魔女の生贄に選ばれた話(7)
「少し狭いけれど我慢してね。布団もありあわせの布で申し訳ないわ。明日の夜にはきっともっとちゃんとしたものが出来上がっていると思うから……」
「そういえばこの街、ずっとあんな空の色をしているのに昼と夜がちゃんとあるんですね」
「もちろんよ。昼と夜は人間の生活には欠かせないものよ。眠ること、動くこと。そのサイクルをこなさないと幸せは遠ざかっていくのよ……ってママロアさんが言ってたわ!」
「人間の生活……ですか」
結局私の感情がどうであれ、この街がなんであれ、私に今できることはありませんでした。
体も心も疲れきっていますし。
そういうわけで私は今、トペの住んでいる家に泊めてもらうことになったのでした。
私の住む家はこの街の誰かが今も作ってくれているそうで。
「ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」
「あらやめてよ、迷惑だなんて思わないでちょうだい! それに私初めてなの。お友達と同じ部屋で眠るのが!」
そう言って、トペは木組みのベッドに勢いよく寝転がりました。
トペの……いえ、この街の家すべてがそうなのでしょうが、大きな一部屋の中にベッドも調理場も仕切りを挟んでトイレもすべて収まっている、こう言ってはなんですがとても安っぽい家出した。
ともあれ私はもう少し感謝しなくてはなりませんね。こうしてまた屋根の下で眠れることに。
けれどどうにも、ここまで世話になっておきながら気まずい。
その空気を彼女が察さないわけはなく、申し訳なさそうに私に話しかけました。
「あっ……そうね、ごめんなさい。友達だなんて迷惑よね。ごめんなさい、またあなたの事を考えずこんな」
「いえ、そういうわけでは……。むしろありがたいぐらいです。こんな私を家に泊めてもらって」
「気にしなくっていいわよ! 助け合うのは当然よ! だってこの街に住む以上――あっ……」
とまあ、気まずいわけです。
諸々の状況を鑑みても、私が悪いとは思いませんが、なんだかこう心にくるものがあります。
もうこの際だから言ってしまえば、少し面倒くさいという感情も湧いてきていたのです。ああ、こんなんだからずっと友達とか出来なかったんですかね私。
もう目を閉じて眠ってしまった方がいいなと思いましたが、トペはこの空気をなんとかしようと私に話しかけ続けます。
「そうだわ! そういえば結局聞けなかったのだけれども、レリィはこの街に来る前の私のことを知っているのよね? 私どんな風に過ごしてた? あなたとはどんな関係だった? この街に来る前のことなんてどうでもいいけれど、やっぱり気になるわ!」
「あ、えっと……顔と名前をうっすら覚えている程度で特に関係とかは……。喋ったこととかないですよ、多分、一言も……」
……気まずい。
これ以上空気が悪くなったらいよいよ私が出ていくしかなくなります。
「ひとまずもう寝ませんか?」
そう声をかけました。トペが用意してくれた布団に寝転がって、彼女に背を向けて。
「起きたらもう一度この街を探索してみます。帰る方法を探すために。もし行き詰ったら……協力して貰えませんか?」
「え、ええ……もちろんよ!」
どこか歯切れの悪い返答。彼女にとって、この街から帰りたがるというのは相当に理解し難いことなのでしょう。
「ありがとうございます」と小さく呟いて、私は目を閉じました。最後まで彼女に背を向けていたのはあれです。
眠る時も笑顔のままだったら、ちょっと怖すぎるので。
私が眠りに落ちたのは、背後から静かな寝息が聞こえてきてしばらくししてからでした。
『本当に来んのか?』
誰かが私に話かけてきます。私はその相手に背を向けているので、それが誰かはわかりません。
『きっと、長く苦しむことになる。儂はお前にそんな思いをして欲しくないのさ』
まるで老人のような口調でしたが、声そのものは若く、けれどどこか貫禄のあるものでした。
聞いていると、胸がなんだかザワザワします。
『さあ、もう一度だけ聞くぞ。儂と一緒に来んかえ? きっと2人なら、苦しくないじゃろて』
大きな、それはそれは大きなため息が私の口から出ました。落ちた視線の先には、街でもよく見かける苦い野菜のスープの入った器。私、これ苦手なんですよね。
目を背けようと思いましたが、できません。手が勝手に動いてスープの入った器を手に取ります。そして私の意に反してそれは口に運ばれました。
けれど、味も熱さもなにも感じません。
ここに来てようやく、これが夢であると気がつきました。どうやら今私は、自分ではない誰かの視点を見ているようです。
私ではない誰かは、スープを飲み干すと背を向けたまま言いました。
『断るよ。そんな馬鹿げたこと、あなた一人でやればいい。あたしは……魔女は孤独なんて怖くない。むしろ孤独でないと魔女だなんてやってられない。なんならもっと好き放題してこの森を荒らして欲しいものだよ。未だに魔女と聞いてノコノコやってくる
少し低く高圧的なその声は、聞き覚えがありました。魔女……そう、魔女です。
私が森でさ迷っていた時に出会った魔女。私は彼女の夢を見ているそうです。でもなんで?
『そうかいな。ああ、そうかいな。儂は怖いよ。一人でいるのが。孤独のまま過ごすのが。とても、怖い。だから逃れたいのさ。永遠に』
『だから勝手にすればいいだろう。あなたにはそれだけの力があるんだから。じゃあね、一人が寂しい奇特な魔女』
私――魔女が振り返るとそこには、誰もいませんでした。けれど誰かがいた痕跡だけはありました。
引かれた椅子に、テーブルの上に乗った空になったスープの器。
はぁ……と、もう一度大きなため息。
『なんで今さらこんな夢を見てる。おまけに、余計なものまで入り込みやがって。ねえ、おい。一体どういうつもり?』
魔女は一人言をブツブツと呟いています。
『一人言じゃない。お前に言ってるのよ』
誰かに話しかけているようです。……あれ、もしかして私?
『他に誰がいる。人の夢を覗き見だなんて趣味が悪い。というかお前、この前家に来た死にかけの金髪女だろう。一体どういうつもり?』
口悪っ。
いや、どういうことかと言われても私にもさっぱりなんですけど。
急に穴に引きずり込まれて知らない街に来てそれで笑顔の人達に――
『ああ、いい。興味ない。どうでもいい。クソ、中途半端に関わりなんて持ったからこうなったのね……。いっそ殺しておけば良かった』
物騒すぎる。というかあなたと出会った時の私なんて殺されなくても死にかけだったじゃないですか。
『あーたしかにそうだった。元気で残念だよ。無事、"魔女の街"にたどり着けたそうでなによりだ。元気にすごしなさい。永遠に』
……やっぱりあなた何か知ってんたんじゃないですか! なんでもいいから教えてくださいよ!
私、どうやったら家に帰れるんですか?! この街一生だなんてごめんです! なにか知ってるなら――
『あーもう、人の夢でうるさいわね。知らないんだよ、なにも。あたしはそこになにも関わってない。あーあと一生じゃない。永遠だ。あの魔女のことだからね』
一生ではなく、永遠。
その言葉が意味することはつまり……。
その想像に思わず吐き気が込み上げてきました。
『おいやめろ、あたしまで気分が悪くなるじゃない。あーなんだこれ。くそ……あんな水飲ませたせいでこんなことに。魔女の力の作用は未だにわけがわからない』
私、どうすれば……。
『あたしに頼ってもどうにもならないことだけは、そろそろわかって欲しいけどね。ああそうだ、一つ頼まれてよ。お前がいる街を管理している魔女、そいつにあったら伝えてくれ。あの森はやりすぎだ。人が死にすぎてるってね』
途端に視界がぐらつき始めました。夢から覚める、ということでしょうか。
ゆっくりと重なっていたなにかが剥がれるように、魔女の姿が見えていきます。
やはり、私があの時見た魔女でした。暗い色のローブに三角帽子。少し不健康そうですが、綺麗な顔立ちをしています。
その魔女が、しっかりと私を見据えて言いました。
『お前がどうなるにせよ、まずは魔女を探すことだね。どんな街だかは知らないが、どこかには必ずいる。二回もあたしの邪魔をしたんだから、言伝ぐらいはやってちょうだいよ』
そして電灯が消えるように、私の視界は黒に切り替わり、そのままただの睡眠の続きへと導かれるのでした。
――目が覚めると、なぜかベッドの上にいました。私が寝ていたはずの床の寝床は綺麗に片付けられて。
「うー……」
頭を抑えます。見た夢の記憶が鮮明に残っているというのはいい気分ではありません。
「魔女を、探す」
忘れてしまわないように、それを口に出して繰り返します。当面の目標が出来た。それは今の私がまともな精神を保つにあたってとても重要なことです。
「あら目覚めたのね!」
気がつくと、トペが部屋の中にいました。外から帰ってきたのかずっと部屋にいたのかはわかりません。
「よく眠っていたわね。こっちの方が眠れるかと思ってベッドの方へ移動させたのだけれど、どうだったかしら?」
なんと、彼女が動かしてくれたようです。にしてもよく起きませんでしたねそれで。あの夢を見ていたせいでしょうか。
「私、力には自信があるのよ!」
「……それは私が重かったということですか?」
「いやいや、そういうつもりじゃないの! でも眠っている人を運ぶのって結構大変で……レリィが太っているとかではないの! むしろハリのある肉付きをしていると思うわ!」
なにを言ってんですかこの人。
「そうだ、水をくんできたから顔を洗って! もうお昼だからお腹は空いているかしら? 食事を貰ってきたわ!」
と、私に差し出されたのは例の石。コレ、本当にこの街の人の主食なんだ……。
「いえ、どうにも食欲がなくて……」
「あら、そうなのね。まあこの街は食べなくても死にはしないから気が向いたらいつでも言って。あ、そうそうレリィにとっていい……かもしれない知らせがもう一つあるのよ!」
「いい知らせ……ですか?」
どこからかで汲まれた水で顔を洗うという体験をしながら、トペの話に耳を傾けます。
それが本当にいい知らせかは、あまり期待していません。
「そう! この街に一人だけいたの! 街に来た時に数日間帰りたがってた子が!」
「ほう、それは……」
朗報、なのでしょうか? 結局はその人も今もこの街にいて、帰れてはいないということです。
「お昼ご飯を食べたらここに来てくれるそうよ。なにか知ってるかもしれないわ!」
「ありがとうございます……わざわざ私のために」
「気にしないで! 言ったじゃない。友達……にはなれないかもしれないけれど、頼って欲しいって!」
「あはは……」
いい人、ではあるのでしょう。本当に。
ともあれたった一晩で事態は大きく前身しました。そう思うことにしましょう。
トペに手伝って貰いながら身支度を終えると、外から扉を叩く音が聞こえてきました。
開けられた扉の先には、これまた見慣れた笑顔の少女が手を振っていました。
「やっ、言われてきました、ノアです」
あんたかい。
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