魔女の生贄に選ばれた話(6)

「私、ここの管理の仕事をしているの。だからこうやって鍵を……開けれるの!」


 トペは大きな扉に鍵を指し、回してそのままゆっくりと開きました。


「今日は新しい人……レリィが来たからその準備とかでお休みしてたんだけど、普段はずっと私はここに居てここも開いてるからいつでも来ていいわよ!」

「なんなんですかここ? あの子……ノアからは会館って聞きましたけど」


 開いた扉の中に進む前に聞きます。警戒、という程でもありませんが、その先に広がる真っ暗な通路が少しだけ怖かったのです。ほんとに、少しだけ。


「さっきも言ったけど、ここは博物館なの。色んなものを展示しているわ。会館は博物館になる前の呼び名ね。街の人達が作ったはいいけどなんだか持て余してるみたいだったから、私が管理の仕事を請け負って、博物館にしてみたの! どう、すごいでしょ?」

「それは……凄い、ですね?」


 多分、凄いのでしょう。博物館というからには、この先の通路にはなにかが展示されているのでしょう。

 なにが? 魔女の生贄になってしまった人間の標本とか。はは……笑えませんね。


「まあ、とりあえず見て進みましょう。見えずらくて危ないから私から離れないでね、レリィ」

「はぁい」


 と気の抜けた返事をして、夜の博物館探訪のスタートです。

 淡い火の光が狭い通路を照らすと、直ぐに壁の左右に配置された展示物が浮かび上がってきます。


「これは……折り紙で作った、鳥?」


 手のひらサイズのです。それはお世辞には上手く出来ているとは言えず、なんなら私の方が綺麗に折れそうなほどでした。

 その折り紙の正面には、街の風景が描かれた絵。

 まばらに建物があって、ゴツゴツとした地面が続いている、まるでそのまま写し取ったかのような見事な絵です。


「ああ、それはママロアさんが描いたのよ」

「ママロア?」

「ええ。あなたがこの街に来た時も見に来てたわよ。ほら、あの髪の毛がクリンクリンのお婆さん」

「はあ……」


 と、言われても誰が誰だか。そういえば街を見回っている時に、そんな人に話しかけられたような気がします。


「ちなみにこの折り紙はノアが作ってくれてるわ! あの子の作品はこの博物館に全部で3つ展示されているの。見所ね!」


 と言いながら、トペは歩みを進めます。私もそれにならって、左右に等間隔に並ぶ展示物を眺めていきます。

 それは土人形であったり、風景の絵であったり人の絵であったり、器のようなものまで作られていました。


「えっと、薄々もうわかったと思うけど、この街には展示するような立派なものは残念ながらまだないの。だからこうやって、街のみんなが作ったものを今は展示しているのよ!」

「なるほど」

「これがきっかけで、ママロアさんは絵を描くことが好きになったの。入り口にあったのは彼女の10作目ね」

「それは凄いですね」


 と薄い返答をしつつ、私はそのまま反対側の扉へとたどり着きました。まだ左右に空いているスペースが多く、そもそも通路自体がそんなに長くなかったので、ほとんど時間は経っていませんでした。


「さ、これで終わりね。楽しかった?」

「どうでしょう……。まあ、でも少しだけ息抜きにはなりました」

「ほんと? 良かったわ、みんなこの街に来たらすぐ元気になるから、あなたみたいな人珍しかったの!」


 扉の開かれた先は、同じく会館……博物館の入り口でした。さっきまで私が泣いていた。

 博物館内部の入り口から出口はそう離れておらず、奥まで進んで曲がってまた引き返して元に戻ってきたようです。

 電気もマシンもないまま、ここまで広い建物を作れるのは素直に凄いとは思いました。


「そういえば、この街は電気がないんですね」


 それはなんとなく出た質問でした。少し彼女に心を許したからなのか、それともただ雑談したくなったのかもしれません。

 なんにせよ、軽い気持ちでした。けれど、トペは私の質問にしばらく無言で頭を抱えて、そして申し訳なさそうにこう切り出しました。


「……電気。そうね、そうよね。なんだかそういうのがあった気がするわ。でもごめんなさい、レリィ。私あれなの、なんだかそう、もうこの街に来る前のことをあまり思い出せないのよ」

「え……」

「まあ、でも問題ないわ。私は今とても幸せな生活を送っているのだから! この街に確かにその、なんだか便利だった気はするそれはないけれど、それ以上のものに満ち溢れているの!」

「え、あの……」

「過去なんてどうでもいいじゃない! 今は未来の話をしましょうよ!」


 トペは私の手を取ります。それはもう、ありったけの信頼を込めて。


「ま、待ってください!」


 私は思わず、その手を振り払いました。


「どうしたの? 大丈夫? あら、あなたまだ酷い顔をしてる……。ごめんなさい、私にできること、あるかしら?」


 きっと彼女は本心から私にそう言っているのでしょう。その笑顔にはきっと嘘偽りはないのでしょう。

 だからこそ、今ここで彼女の優しさを受け入れてしまうとありとあらゆる違和感に向き合えなくなる気がしました。

 それに、彼女なら明確な答えをくれると思ったのです。

 その後私はまくしたてました。家に魔女からの通達が届いたこと。そのまま森をさまよったこと、一人の魔女に出会ったこと、そして気がついたらこの街にいたこと。

 そして、なにもかもがわからなくて怖いこと。


「大丈夫、大丈夫よ。ここには辛いことなんて……寂しいことなんてなんにもないんだから」


 変わらず、彼女は私に笑顔を向けます。なにも心配することはないと、言ってのけます。

 トペはどこまでも私に寄り添おうとしてくれています。けれど、彼女には私の辛さはまるで伝わらないのです。

 まるで私と彼女の中で、なにか明確に前提が食い違っているような、そんなズレを感じました。


「私、なにもわかっていません。でも、あなたが悪い人ではないことはわかります。だから教えてください。この街はなんなんですか? なんで私はここに連れてこられたんですか? 私はこれからどうしたらいいんですか? どうすれば……どうすれば……家に帰れるんですか?」

「――……」


 私はトペの肩をギュッと掴んで問い詰めて、ゆっくりと彼女の顔を見ました。そこには常に彼女が笑顔がありませんでした。

 ずっと奇妙に思えていたその笑顔が消えた途端、私は言いようのない恐怖に襲われました。


「あ……えっと……」


 私はなにかを失敗してしまったのでしょうか? トペから離れて、1歩、2歩、後ろに下がります。


「驚いたわ……」


 トペはそうつぶやきました。そしてもう1度、


「驚いたわレリィ……。ごめんなさい。こんなこと初めてだから、私すごく驚いてしまったわ。ああ、でもそうね……ごめんなさい、それは考えてなかった……」


 そしてトペはもう一度笑顔になりました。私には理解出来ません。彼女がなににそんなに驚いたのか。私がなにを言ってしまったのか。


「あなた、のね……」

「……へ?」

「この街に来てそんな人がいるとは思わなかったわ……」


 と心底不思議そうに、彼女は言うのです。私はなにも言えずに、ただ真っ直ぐに彼女を見つめます。

 こんな、こんな根本からの齟齬があるのでしょうか。


「……レリィ。そうだったのね、ということは私ったらあなたに酷なことを言ってしまっていたのね。本当にごめんなさい。この通りよ」


 トペは深く頭を下げました。そしてゆっくりと顔を上げて、申し訳なさそうに続けます。


「ねえ、レリィ。よければ教えて貰えないかしら……あなたは、どうしてこの街から帰りたいの?」

「どうしてって、そんなの……」


 言葉に詰まります。

 自分にとって当たり前にもほどがある感覚を言葉にするのは、案外難しいのだとこの時思いました。

 トペは、真っ直ぐに私を見ています。彼女は本当にわからないのです。私が家に帰りたいという、この感覚が。


「え、いや、だって……私普通に暮らしてて……それで、えっと……急に魔女から手紙が届いて、こんな場所に居て、両親、そう親だっているじゃないですか。心配させてるじゃないですか! 帰りたいのが当然じゃないですか! あなただってそうじゃないんですか? あなた……だって――」


 トペを睨みつけるようにして、私はまとりのない感情をぶつけます。

 彼女の持った火が、彼女の顔をよく照らしていました。いつまでも笑顔で、真剣な目をして私を見つめるトペ。


「あなた、あなたって……。トペって、ああ……」


 そしてここに来て、私はあることに気がついたのです。まあ気がついたとてどうということはなく、なんならこの街にいる人間が""そう""なのですから当たり前のことではあったのです。

 けれどもほんの少し、彼女は身近だったから、会話をしたことはないにせよこの顔は必ず見ていたはずなのだから。


「……トペ・マークシア」


 それが彼女の名前。学院の同級生で、同じクラスになったこともありました。

 ああそうか、この街にいる人間は恐らく全員、もしくはほとんどが私がいた街の人間なんだ。あの魔女からの手紙は、エーレックの街で起こっていた現象です。

 トペ・マークシアもまた、数年前街から消えてしまった人なのです。


「私、レリィ・カルナベルです……。街で、エーレックの西の学院で同級だった、私です。あなたは、トペ・マークシアですね?」


 私の問いかけに、トペは変わらぬ表情のままゆっくりと首を左右に振りました。


「ごめんなさい、レリィ。覚えていないの。私、この街に来る前のことはなにも覚えていないの。そのマークシア? というのは私の家名かしら。でもこの輪の街では家名は必要ないから、忘れてしまったわ」


 トペの持つ火は鮮明に彼女の姿を写し続けていました。私の記憶の片隅にあった同級生の彼女を。

 そういえば、彼女はなにも変わっていない。

 たとえば私が、かつての同級生と道ですれ違ったとしましょう。私はそれが同級生だと気がつくことはないでしょう。

 関わりのない人間の数年後の姿なんて、わかるはずがありません。

 けれど私が今彼女を思い出せたのは、それこそ彼女を始めてみた時なんとなくどこかで見たことがあるような気がしたのは、彼女がまるで変わっていないから。

 学園にいたあの頃となにも。

 どうみても14歳だと言っていたノアの見た目がどう考えても幼いのもつまり――


「私、いますごく幸せしかないの」


 私はようやく思い知ったのです。

 ここが私のいた現実とはかけ離れた、魔女の街だということを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る