魔女の生贄に選ばれた話(5)

 輪の街。

 それが私のたどり着いた街の名前でした。

 由来は、手と手を取り合って生きていこうとかそんな感じだそうです。つまりは、人の輪。

 広さは半刻もあればすべてが見回れる程度で、住んでいるのは20人程度。

 人が増えると村人総出でその人の家を作り、必要があればその人に合った仕事場も作られる。

 通貨はノアが屋台で使って見せたような食べ物ではない小さな黄色い石。色や形は全てが同じで、定期的に住民全員に配られるそうです。

 そして、労働に従事している街人には少し多めに配られるそうなのですが、そもそもお金が使えるような場所は限られているらしく、多少多かろうが少なかろうがあまり意味はないそうです。

 そうそう、みんながずっと貼り付けたような笑顔を浮かべている理由ですが、『この街にいる限り辛いことなんてなにもない、常に笑顔でいられる場所だから』というこの街を仕切っている人物の方針によるものだそうです。

 そして、この街を取り仕切っている人物は――はい、魔女です。

 私が森の奥で出会ったあの無愛想な魔女とは恐らく別の。


 とまあ街を連れ回されながらここまでのことを聞けました。ノア、彼女はどうやらこの街の人気者らしく、行く先々で声をかけられました。

 私はずっとノアの後方に控えて苦笑いとも言うべきなんとも微妙な表情でずっと立っていました。

 そういえば一人、活発そうなご老人に、「ねえあなたはなんでまだ笑顔じゃないの?」と言われた時は怖くて倒れそうでした。

 そういえば今さらですが、この街には女の人しか住んでいません。街に届く魔女からの手紙も、女の人ばかりに届いていたそうなのでつまりそういうことです。

 生贄……という表現はもう正しくないのかもしれませんね。

 なんらかの理由で魔女に選ばれた人の街、魔女が自分の作った街になにかの基準で人を選び連れ込み住まわせている。

 ここにいる人間は総じて幸せそう。けれどどこかおかしい。私もいずれああなる? 私は帰れる? もう帰れない? そもそもここはどこ? あの森の地下にある? それとも全く別の場所。たとえば……魔女の力によって生み出されたどこでもない空間。

 魔女はどこに。恐らくあの店主が――。


「ああ、どうしましょうこれから」


 ぐるぐると考えを巡らせるぐらいしかやることがありません。なぜならノアが眠ってしまったので。

 今私は、街の会館と呼ばれる場所に来ています。どういう場所かと言われると、わかりません。その説明を聞く前に、その説明をしてくれる人が寝ちゃったのですから。

 会館は丸っこい建物で、両開きの玄関をくぐると休憩スペースのような場所があり、そこからさらに通路の端にそれぞれ施設の内部に続く扉がありました。

 どうやらそこは閉まっていたようで、とりあえず休憩しましょうかという私の提案に頷いたノアさんは、そのまま私と向かい側の長椅子に寝転んで「お腹いっぱい……」と呟いたかと思うとそのままスヤスヤと寝起きをたて始めました。

 というわけで私はやることがなくなってしまったわけなので、こうしてただ座って頭を回していたわけですが……。

 暇です。なにもない。ただ座る場所があるだけの、曲がった通路。

 食べるものも飲むものもなく、ただ荒く組まれた壁が視界に入るだけ。目の前にはスヤスヤと眠る小さな子供にしか見えない14歳らしい女の子。


「どうやったら帰れるんでしょう……」


 ポツリと、そんなことを呟いてみます。状況こそおかしいですが、頭の中は森を歩いている時と比べてスッキリしていました。

 あの魔女からの手紙を読んだ瞬間から湧いていた、強迫観念のようなものが綺麗さっぱりに消え去っていたのです。

 本当に動揺し混乱していたというのもあるのでしょうが、やはりいきなり家を飛び出すなんて私らしくない。こう言ってはなんですが、私は孤独な分頭はよく回る方なのです。

 ほかの人たちが手を取り合って遊んでいる間に、私は自己研鑽をしていた……みたいな感じで。

 私は自分のことをとても冷静沈着な女だと認識しています。その証拠に、私はノアに連れられながら大人しく街をまわっていたのですから。

 となるとやはり、魔女の力というものなのでしょうか。対象の行動や思考を無自覚のうちに誘導する、そのような力。


「……なんでもありじゃないですか。それ」


 まあ、無限のエネルギーなんてものを作り出せるような存在なのでそりゃあなんでもありなんでしょうが。

 ぐるぐるぐるぐると、頭の中で考えて考えて、けれど1人ではどうすることも出来ず。

 ただ静かな建物の中で、静かな寝息を聞きながら私は天井を見上げることしかできません。

 そんな時間がしばらく続いて、私は泣いていました。泣き言を吐こうにも、具体的になにを吐き出せばいいのかがわからず、ただ涙を流していました。

 あえて言葉にするならそうですね……『なんで私がこんな目に』といったところでしょうか。

 私はただ家族と仲良く暮らしていただけ……。それなのになぜ魔女なんかに……。

 一度気分が沈むと、もうまともな思考もできなくなってしまいます。ただ暗いなにかに塗りつぶされて、そこから押し出されるように涙になって溢れ出てきて、そしていつの間にか眠ってしまいました――。


「あの、もしもし」


 誰かに体を揺り動かされています。とても朗な声も聞こえてきます。けれど私の体は重たく、起きることを拒絶していました。

 これが家族の声ならどんなに良かったか……。薄い意識でそんなことを思います。


「もしもし、もしもし」


 ああ、そういえば私はもう一人と一緒にいたんでした。

 ノア、小さな黒髪のがいどさん。思っていたより年齢は低くなく……そうだ、彼女がいたんでした。


「……あら、やっと起きたのね。もう夜よ。街に夜が来たら休まないと。明日を元気に迎えるために」


 私の目覚めを待っていたのは、ノアではありませんでした。もっと大人の、私と同じぐらいの女の子で、青い髪のどこかで見たような……。


「あれ、あなた……誰でしたっけ……」

「私はトペよ。えーっと……そういえば名前は聞いてなかったわね。ともかくあなたがこの街が来た時に顔を合わせたわよ! 覚えていてくれると嬉しいわ」

「……ああ、そういえば……」


 ゆっくりと、意識がハッキリしてきました。そしてフッと顔を逸らします。やっぱり、この街の人の作り物のような笑顔はどこか苦手です。


「えっと、私のガイドをしてくれていたあの子は……」

「ああ、家に帰したわよ。だってもう夜だもの。夜は帰って眠らなくちゃ」

「ああ、そうですか。夜なんですね。夜があったんですね、この場所」

「当たり前よ! 面白いことを言うわねあなた」


 当たり前……。当たり前がどのようなものだったかもう私にはわかりません。


「ところであなた……えっとそろそろ名前を聞いても?」

「レリィ……です」

「レリィね、覚えた。忘れないわ! ところでレリィはどうしてそっぽを向いているの?」

「え、あ、すみません」


 確かに失礼な行いです。けれど彼女、トペは首を振って言いました。


「謝らなくていいわ。でもあなたがよければ顔を見てお話がしたいわ、ちょうど明かりも持ってきていることだし」


 と、彼女は火の入った籠を掲げてみせます。それは確かに温かくて明るく、けれど私がこれまで見てきた明かりよりずっと弱いものでした。


「すみません、人と話すのは得意ではなくて……」


 間違いなく、目の前の彼女は善意で私に話しかけていることの後ろめたさからよくわからない言い訳をしてしまいます。

 けれどこれ以上妙な空気のまま過ごすのも余計に心地が悪く、私はようやくトペと顔を合わせました。

 珍しい火の光が、わたし達二人を照らします。


「わっ、あなた酷い顔ね?!」


 と、いきなり満面の笑顔のまま言われました。やはりこの街は恐ろしい場所なのでしょうか。

 私が唖然としていると、トペは慌てて「ああ、違うの違うの!」と両手を振りました。

 火が落ちそうで怖い。


「安心して、あなたとても綺麗よ! 鼻も私よりずっと高いし、髪もすごく綺麗! 長い髪って私顎がれてる! でも今はすごく、泣き腫らしたような顔をしている……」

「あ、いえ、これは……」


 途端に、背筋に汗が伝いました。この街の人は全員がずっと笑顔。もしかすると、泣くという行為は重大な違反行為だったりするのかもしません。

 そしてトペは、その笑顔を絶やさないままにゆっくりと私の手を取りました。


「そうね、あなた……レリィと呼ぶわね。レリィは今日この街に来たばかりだものね。魔女様からの招待状を受け取って……そうよね、不安もあるわよね。ごめんなさい、気がつかなくって。ガイド役に任せて村を案内させればきっと大丈夫だなんて思ってたわ。でも、この街にいる以上そんな悲しい顔私が……私たちがさせないわ……そうだ!」

「うわっ、とっとっ」


 トペはいきなり、私の手を引っ張り無理やり立ち上がらせました。


「あらごめんなさい」

「な、なんですか……?」


 ずっと笑顔でいる人間の怖いところは、感謝の移り変わりがわからないところです。私は思わず一歩後ずさろうとして、真後ろにあったイスに軽くぶつかりました。

 顔はきっと、怯えていたと思います。


「大丈夫よ、レリィ。この街はあなたの敵じゃないわ。絶対に。ねえ、レリィ、私があなたの最初のお友達になってあげる……ああでもガイド役の……ノアとはもうお友達になったのかしら? そうしたら私は二人目ね」


 話が見えず、私はなにも返答することができません。ただまあ、なんだか私を元気づけようとしてくれているのは伝わります。


「ねえ、レリィ! 友達が最初にすることってなんだと思う?」

「え、えーっと……」


 答えられません。怯えているからではなく、単に正解がわからないからです。だって友達とか出来たことありませんから。

 そんな私の様子を見て、トペはふふっと笑います。


「知らないわよね。教えてあげる……それは、悪いことよ!」

「……そう、なんですか?」


 驚きです。私は両親から悪いことだけはしてはいけないと教わって育ってきましたから。まさかそのせいで友達が出来なかったのでしょうか。

 ノアは明かりを手に、ゆっくりと歩き始めました。「暗いからなるべく近くにいてね!」と私に声をかけて。


「本当はこの時間、街人は全員家に帰って寝ないといけないの。でも今日はこっそり、この博物館を案内してあげるわ!」


 ここで立ち尽くしていても、見知らぬ場所での夜が私を包むだけ。

 私はひとまず、小さな明かりを揺らす彼女の背中に着いていくことにしたのです。

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