魔女の生贄に選ばれた話(2)

 想像と現実は違うものです。たとえば、悪い人。

 漠然と悪い人と言われるとなんだか強面で顔にいくつも傷があって、常に威圧感を出しながら歩いている。絵に描いたような悪い人。

 でも実際、本当の悪い人はなんだかとても優しいそうな顔をして安心感を振りまいて、そして息をするように人を騙すのだそうです。

 両親がそう言っていました。

 まあ必ずしもそうとは限らないでしょうけど、想像と現実にはある程度離れているものです。


 そして今の私の状況ですが、なんとまあ、驚いています。

 暗い色のローブに同じ色の三角帽子。綺麗な人というのはわかるのですが、どこか不健康さを感じられる佇まい。

 魔女です。魔女すぎました。想像のド真ん中。こんなに魔女が魔女なことあります? ってぐらい。

 おとぎ話でしか見ませんよこんなの。

 いや、別に私魔女にあったことがあるとかそういうわけじゃないので、それこそ私の勝手な思い込みで全ての魔女がこんな感じなのかもしれませんが。

 ともあれ、私が初めて出会った魔女はそんな見てくれだったのです。


「……」

「……あ、あの」


 魔女は私を無言で見つめています。疲れきった体に無理矢理力を入れて声を出そうとしたその時、


「……」


 魔女は黙って扉を閉めました。

 そしてそのまま出てくることはなく……


「え、あの、すみません。私に呼ばれてきたんですけど。この近くのテオドルの街から、森を抜けて、あの、すみません!」


 扉を閉める時の魔女の顔は、知らない人に急に話しかけられた時の私そっくりな顔をしていました。それは面倒くさそうな。

 もしかしたら魔女ではない可能性もありましたけど、まあ何度も言うように見た目が魔女すぎたので、彼女が手紙の送り主と断定して扉を叩きつけます。

 いや、私だって魔女に会いたくて来たわけではないのですが、だからってこのまま放置されても野垂れ死ぬだけでしたし、なにより正常な判断ができる状態ではありませんでした。

 弱った体で扉を叩き続けます。


「あのすみません! あの! あのー!私を……レリィ・カルナベルを魔女の生贄にするとかそんな手紙が送られてきたんですけど! うぎゃっ!」


 勢いよく扉が開いて体がはねとばされます。そしてゆっくりと、見るからに不機嫌そうなさっきの魔女が出てきました。

 魔女は地面に倒れた私を見据えて、チッと舌を打ちました。


「なんなの、お前は……。嫌がらせのために命懸けでここまできたわけ?」

「嫌がらせって……私の家に魔女からの手紙が……」

「知らない」


 と、魔女はハッキリとそう言いました。


「え、あの、魔女様……です、よね?」

「そうだよ。あたしは魔女だ。恐ろしくも偉大な力を持っているとされるあの魔女だ。でもそんな手紙送った試しはない」


 ……はい?

 つまり、どういうことなのでしょう。私はなんのためにここまで? それともこの森には複数人の魔女が?


「ああ、念の為言っておくとあたしの他にこの森の中には少なくとも魔女はいない」

「え、じゃあ……え……?」


 ……もしかして、誰かからのただのイタズラ? え……?


「ああ、でも、気配はする。同族の気配だ。お前は確かに魔女からの手紙を受け取ってるわね。でもそれはあたしじゃない。さあ、邪魔だからどこかで野垂れ死んでて」


 魔女はそういうとまた扉を閉めようとします。けれど、扉が締まり切る寸前でなにを思い直したのか再び扉を開けて、なにか不気味なものを見るように私のことをジロジロと眺めました。


「あ、あの……なんでしょう……」


 思わず後ずさる私に、魔女は不可解な声で言います。


「お前、どうやってここまで無事に辿りついた?」

「はい?」


 言われたことの意味がまるでわかりませんでした。全身ズダボロ疲労困憊、なんならこうやって今立って話しているので精一杯にもほどがあるのですが、これを無事と評する神経はどうかしています。


「お前、どうやってここまで来た? まともな人間が入り込める場所じゃない」

「いやそう言われましても……。ただどうすればいいかわからなくて宛もなく歩き続けていたらここに辿り着いたと言いますか……」

「歩いただけ? そんな五体満足の状態で?」


 ――と、ここで私は途中で見たものを思い出しました。かつて私と同じく生きた人間であったであろうそれを。


「久しぶりに人間が来たと思ったらただの強運だったとは……。ああ、自慢していいぞ。生きて――それどころか、なにごともなくこの場所にたどり着ける人間なんてまず居ない。家に帰って自慢するといい。その強運が帰る時も続くのならね」


 そう言って、魔女は初めて表情を変えました。それは笑みではありますが、それは酷く攻撃的に見えました。

 私の疲労と困惑の混じった表情を見て、魔女はクククと声を上げます。


「ああ、この森は昔から魔女の住処でね。今はあたししかいないけど、色んな魔女が色んなことをやっていたらしい。その影響か、森そのものが変質してしまってね……。まさに魔女の領域、魔女の力が巡り続け入るもの無差別に牙を剥く人喰いの森になって久しい、というわけさ」


 怯える私に、魔女は森に関する色々な現象を教えてきました。

 四肢を引きちぎってくる植物、ただの土と見分けがつかない底なし沼、甘い香りの毒、周囲の木すべてが自分目掛けて倒れてくる……など。

 しっかりと聞いている元気がなかったというのもありますが、あまり覚えていません。

 ただそのどれもが私の身に覚えがなく、魔女は「運がいい」としきりに私に言いました。

 ええ、なんの偶然か理不尽に塗れた死が溢れる人喰い森で私はなににも襲われることなく魔女の元にたどり着くことができたのです。


「あの……助けてください……」


 絞り出すような声で言います。私にはもうそれしかありませんでした。

 今の魔女の話を聞くに、このまま帰り道もわからない森を生きて出られるわけがない。目の前の魔女が私に手紙を送り付けた魔女ではないのなら、私になんらかの危害を与えようとしている人物ではないのなら、もうそこにすがるしかなかったのです。

 そして魔女は、本当に不思議そうに言いました。


「なんで?」

「え、いや、だって私……」

「お前がどうなろうがあたしにはあまりにも関係ない。野垂れ死ぬなり、森の肥になるなり、運良く家に帰るなり好きにすればいい。その……なんだったか、手紙のこともあたしは興味ない。なんとなく想像はつくが、関わりたくない。ああ、でも家の近くで死ぬのだけはやめてくれよ。片付けは嫌いなんだ」


 そうして魔女は私に興味を無くしたように、また開いた扉を閉めようとして、そしてもう一度だけ私を見ると言いました。


「左手に回ったところに湧水がある。あたしも使っている綺麗な水だ。寿命を伸ばしたいのなら使うといい」


 そうして、扉は閉ざされました。それから何度戸を叩いても、声を上げてもそこには初めから誰も居なかったように、ただ一軒の建物がそこにあるだけで……。

 そしてしばらく叫んで、また意識が朦朧とし崩れ落ちます。

 ひとまず魔女が言っていたことを思い出して、魔女の家の左手に回ります。そこには魔女の言う通り、湧水がありました。

 地面にぽっかりと空いた穴、そこには出処不明の水が揺れていました。何度も言うようにこの時の私に冷静な判断力などあるはずもなく、そこにどんな危険があるかも考えずその水に口をつけました。魔女に騙されている可能性だっておおいにありましたから。

 手ですくうなんて行儀のいいことはせず、水に頭を突っ込んでがぶ飲みです。


「……あれ?」


 顔を上げるとやけに頭がスッキリしていることに気がつきました。

 体も軽いです。動けます。ジャンプもできます。お腹は……空いています。結構。水ではお腹は膨れません。けれどもそれ以外の疲労は吹き飛んでしまったようです。

 私は目の前の泉を注視します。どこから来ているのかわからない謎の水。飲むだけで限界を超えていた体が元気になった、魔女の水。

 相変わらず、周囲には無人のような建物が一つあるだけで、さっきまでのローブ姿の人物は幻だったのではないかと思うほど静かですが、けれど実感せざるを得ません。

 ここは魔女の住まう森で、彼女は確かに魔女なのだと。

 呼びかけても返事はないのは分かりきっています。なので、私はもう一度魔女の家の扉の前に立ち、深々と頭を下げました。

 すると静かだった森に、一筋の風が吹きました。偶然かもしれませんが、私はそれを彼女からの返事だと思うことにしたのです。都合が良すぎますかね。

 ともかく私はそのまま森を引き返し初めました。

 危ないのでは? と思われるかもしれません。ええ、あんなことを言われた後ですから。

 けれどどこか確信めいたものがあったのです。大丈夫だと。

 それがさっきの水のせいなのか、それとも私の元に届いた手紙のせいなのかは結局最後までわかりませんでした。

 いいんです。その辺は。なにより一番大変なことはこの後起こったのですから。


 道を歩いていました。ええ、道です。森の中のしっかりとした道を。どういうわけだが、迷うこともなく、まるで標のようなその道を順調に歩けています。

 足取りは軽快で、このまま歩き続けていれば家に帰れる。そんな確信すらありました。

 開けた道の左右には、厳かに伸びた木々が時折吹く風に揺られています。

 他の生き物の超えすらなにも聞こえませんでしたが、なんだか居心地の良さすら感じていました。

 もしかして私は、あの魔女に助けられたのでしょうか。そんなことが頭によぎりました。


「ああ、可哀想に」


 その声は、確かに私の耳に届きました。聞いたことのない声。まるで鈴の音のような、消え入りそうな声。けれどその声は、私の耳をとらえて反響し続け、お前を逃がさないのだという確か凄みがありました。

 そして目の前には、穴が。さっきまで続いていた道の真ん中に、巨大な穴がありました。

 私は小さく悲鳴を上げて、その場に倒れ込みます。

 これは、駄目だ――。そう思って、私は後ずさります。すぐに立って走って逃げればまた違った結果になったのかもしれませんが、その突如として現れた穴から目を離すことが、なんだかとても恐ろしいように思えたのです。

 遠目から見る限り、その穴はどこまでも真っ黒で、落ちれば最後きっともう私はこの世界とは別の場所にたどり着いてしまうのでしょう。


「ああ、可哀想に。可哀想に。可哀想に」

「痛ッ?!」


 その声はまるで私の頭の内側から響くようで、酷い頭痛に頭を抱えます。

 動けなくなった私に、なおもその声は語りかけてきます。


「ああ、可哀想。可哀想。でもね、でもね、でも大丈夫。大丈夫。もう、大丈夫だから。あなたはわたしの物。これでもう大丈夫」


 穴の中から、真っ白の細い二本の腕。強く叩けば折れてしまいそうな……そんなものが伸びてきました。

 人間の腕の範疇を大きく超えて伸びて伸びて、それは私の背後に手を回すと、まるで抱きしめるように絡みついてきました。


「た、助け……」


 絡みつく腕に力は感じません。けれど私は、ピクリとも体を動かせず、そのまま穴に引き込まれていきました。

 誰にも届かないようなか細い声で助けを求めながら、頭に両親の姿を思い浮かべて、そしてその後は……なぜでしょう。さっきの魔女の姿が思い浮かびました。

 私、親しい人なんて本当にいませんから、さっき会ったばかりのまじょが浮かんできてもなんら不思議ではないのですが……。でもなんででしょうね、なんとなく、ほんとになんとなく、私はあの魔女のことを悪い人だと思えませんでした。

 そして助けのこないまま、私の足が、腰が、胸が、体が、穴の中に入っていきます。

 目の前が暗闇に染まる直前、もう一度頭の中に声が響いてきました。


「もう安心だよ、レリィ・カルナベル。あなたはわたしのもの――……」

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