森の奥の魔女さん、いま私が来ましたよ
林きつね
魔女の生贄に選ばれた話(1)
電気という半永久的なエネルギーが身近にある現代において、暗闇というのはもはや貴重なものです。
夜の足元でさえおぼつくことはなく、光の中を歩いていける。
暗闇というのは空にあるもの、あるいは眠る時にだけ広がるもの。
電気のない時代を生きていた老人達はともかく、20年も生きていない私のような若者にとってそれは、ごく当たり前のこと……の、はずでした。
暗い。とても、暗い。
電気の──光の届かぬ森の中を、私はがむしゃらに進んでいました。家を飛び出したのは夕方ぐらいだったので、もう夜でしょうか。
それともそんなに時間はたっていないのでしょうか。よくわかりません。
そもそもどうでもよかったのです。なにせもう終わり、だったんですから。
それは数刻前のこと。普段は騒がしいと和やかをいったりきたりしている我が家の食卓はそれはそれは重苦しい雰囲気につつまれていました。
いつもはつまらない冗談を一人で言い続けているような父親が腕を組み黙ったままうつむいていました。
そして怒るどころか笑うことすら滅多にない母親のすすり泣く声が響いていました。
私は……どうだったでしょう。ただ無感情に、父と母を眺めていたと思います。
食卓、とは言いましたがテーブルの上に並んでいるのは料理ではありませんでした。
そこにはあるのは一枚の手紙で、そこにはのたくった字でこう書かれていました。
『この家の娘 レリィ・カルナベルを魔女のものとす』
私が……というか大体の人間が知っている魔女という存在については二つあります。魔女とは偉大なる技術者であることそして、魔女とは恐ろしい異能者であること。
この世界では多くの街が電気と呼ばれる魔女の作り出した半永久的エネルギーによって豊かな生活をおくっています。私たちの街も例外ではありません。
街の中央には、大電球と呼ばれる楕円型の透明な入れ物の中に尽きることのない電気がうごめいており各所へ配給されます。
そして人々は乗り物を動かし、料理をし、街から暗闇をなくしました。
街の至る所にある電灯は、夜という危険を限りなく薄めます。
そんな人類にとって多大な技術を残した魔女という存在は、敬われ崇められそれはそれは丁重に扱われます。
けれどそれ以上に、人々は魔女を恐れています。当然ですよね。だってこの世は魔女の作った世界に依存しているんですから、逆に言えば魔女様の機嫌ひとつでまともな生活が出来なくなってしまう恐れだってあるわけです。
そうして、人々は魔女を敬いながらもそれとなく魔女を自分達の生活圏内から遠ざけているのでした。
この辺の詳しい事情? いや私は知りませんよ。そういうのを研究しているわけでも学んでるわけでもないので。一般認識としてそういうものってだけです。
――で、これは私たちの街に限った話なのですが、街を出て南に巨大な森があります。
この森は人喰らいの森と呼ばれ、私も小さい頃は『入ると二度と出られなくなる』とよく両親に脅されたものでした。
その森は電気が届かず、当然人も住んでおらず、そしてどういうわけだか獣の気配すら感じられません。しかし、事実としてその森の奥深くに住まうものが一人だけいました。そう……魔女です。
その魔女が電気を? と言われるともちろんそんなわけはなく、けれど超常的な力を持っているのは間違いありませんでした。
なにせ事実として、その森へ行った何人もの街の人間が向かい、誰一人として戻ってこなかったのですから。
なぜそんなところに? 理由は私と一緒です。森に住む恐ろしい恐ろしい魔女様に選ばれたのです。そう、生贄に。
私の家に届けられた手紙は、この街で度々見られる現象でした。
老若男女問わず、無作為に個人指名され森に招待される。
そして魔女に選ばれたものは森にいったきりそのまま帰らず、死体すら見つかっていません。
ある少女が魔女の生贄に選ばれた時、勇敢なその少女の家族が共に森に向かったそうなんですが、その答えは言うまでもないでしょう。
もちろん、魔女に選ばれずとも不用意に森へ入った人間がこれまで何人も帰らぬ人となっています。
そこでいったいなにが待ってるのか、そこに住む魔女はどれほど恐ろしい存在なのか、誰も知らないまま、知る方法もないまま……そんな場所を、私は歩いているわけです。
明かりが存在しないことが、喧騒が聞こえないことが、これほどまでに恐ろしいのだと、私はこの時まで知りませんでした。
「本当に……獣の一匹もいないのね……」
つい漏れ出た独り言が響いて、なんだかおぞましいものに変わり自分の耳に届きます。
後ろを振り向いても、本当にそこが今自分が歩いてきた道なのかもわかりません。
もう帰ることは、少なくとも私一人では不可能でした。
魔女の手紙を見た私の両親は、それはそれは長い時間口を開こうとしませんでした。
私も黙ったまま時間が過ぎ、ついに耐えられなくなりました。
次に両親から出てくるの言葉がなんであれ、私の背にのしかかるには重すぎたでしょうから。
だから私は、別れも告げずただ逃げるように家を飛び出して、魔女の森を目指しました。
せめて自分で向かえば、私の中の両親はこれまでと変わらない二人のままなのだとそう思って。
いいんです。
どうせ私、仲のいい友達とかそういうのもいませんでしたし。そりゃあ両親とは仲良く暮らしていましたが、それだけです。
ええ。私がどこかへ逃げ出して、もし魔女が怒って街になにかあったら、それはちょっと辛いので。
そういえばあんな飛び出し方しましたから、両親は私がどこかへ逃げ出して生きていると信じてくれたなら、まあそれで、いい感じに?
……なわけないですよね。結局のところ、ただ錯乱しているだけです。でもどうにか折り合いをつけないと、本当にもう心もなにもかも壊れてしまいそうでした。
だってこの後、自分がどんな目にあうのかとかそういうのなんにもわからないんですよ。
ただいつも通り家のポストを開けた。ただそれだけで私の今まではすべて壊れてしまったわけです。
「魔女の力で、この世のものではない生き物が沢山いるとか、森そのものが巨大な一体の化け物になっているとか、そういう話は聞いたことがあるけど……本当に、ただ暗い森だ。電気がないと、こんなに暗いんだ」
ただ森の中を進むだけ。心細さで次第に独り言が多くなります。
そういえば、私はどこに向かえばいいのでしょう。手紙には文言だけで、目的地もなにも記されていませんでした。私に手紙を送った魔女が迎えに来るのでしょうか。もしかして、魔女が直接私の家に? ……いえ、そんな話は聞いたことありません。
急に冷静になってきました。もしかすると私は、このままこの森で魔女もなにも関係なく野垂れ死ぬんでしょうか。
「痛っ」
歩きすぎか、足が痛みました。けれど歩みを止めることはしませんでした。だってもう、体を動かしてないと本当にどうにかなっちゃいそうでしたから。いや、もうどうにかなっているのでしょう。だって私のような華奢な乙女がもう何時間も真っ暗な森の中を歩き続けているのですから。
「はあ……はあ……」
またしばらく歩いて、荒々しい呼吸は止むことがなく、ふらつくことが多くなりました。
今はまだ夜でしょうか、それとも朝なのでしょうか。森の暗さは一向に変わる気配がありません。
見上げた空にはただ暗闇が広がっており、そこには月も星もなく、私の知る夜とは全く違ったおぞましさがありました。
思えばもうずっと、景色も変わっていないような気がします。あまりにも変わらない。
同じ木が、同じ場所に生え続けている。それはきっと、森だけの特性ではないのでしょう。
魔女は生贄に選んだ町人になにをしているのでしょうか、そもそもこの森にきた町人達は魔女の姿を見たのでしょうか。
ただこの奇怪な森を朽ち果てるまでさまよったのでしょうか。そしてそれは、私の未来なのでしょうか。
わからないまま、歩き続けます。
「きゃっ!」
意識が朦朧として視界も歪み始めた頃、私はなにかにつまずいて転んでしまいました。
自然と、私の目線はたった今自分が足を引っ掛けたものへと向かいます。
それはこれまで私が歩いてきた道にはなかったものです。絶対に自然のものではないそれは、形だけなら恐ろしく身に覚えがあります。
足があって、手があって、体があって、顔がある。けれど認識できる穴からは植物が生えており、森に食われているような、そんな印象を受けました。
ええ、死体です。誰のものなのかはわからない、けれど誰かではあった人間の死体。
それを目にした時、体力も気力も限界を迎えて、私の意識は遠のいていきました。
――そして驚くべきことに、私は目覚めることが出来ました。全く同じ状況、同じ場所で。
当然、体の疲労も。まあ、それはそうでしょう。
眠るというより気絶だったんですから。
腹の底から酸っぱいものが込み上げてきて、それを盛大に吐き出しました。
そして、それが放つ悪臭から逃げるように私はまた歩き始めます。
もはや進んでいるのか戻っているのかすらわかりません。ただ足を動かすだけの機工になってしまったかのようでした。
それを見つけた時、私はとうとう来るってしまったのだと思いました。それは、紛れもなく明かり。暗闇しか存在しなかった森の中に一筋のひかりが見えました。
「電気だ……」
まだ自分がそんなはっきりとした声を出せたことに驚いて、歩みをその方向に進めます。思ってしまったのです、街に帰って来れたのだと。
父と母はどこだろう。会えばどうやって謝ろう。許して貰えたらご飯を食べよう。そんな希望に涙が一筋零れました。
ちなみにですが、私がその時見ていた場所はもちろん街ではなく、ただの一軒家。御屋敷というほど広くはありませんが、小屋というには大きい立派な二階建ての家。
そして明かりの正体は電気ではなく火。
扉の前に灯された松明が火を揺らめかせていました。
それらの事実に気がつく余裕はなく、私を現実に引き戻したのは、その家の扉が開いて出てきた人物でした。
それは両親でもなければ、顔を知っている街の人でもない。
それは私よりは年上で、私の母よりは年下の、なんというでしょうか。妙齢という言葉が似合う綺麗な人で、背は高いのですが猫背気味。
そしてなんとも目を引くのはその格好。暗い色のローブをきて、同じような暗い色の三角帽子をその人は被っていました。
ええ、どんなに疲労困憊でもわかります。というかわかりやす過ぎると思いました。
どこからどう見ても、魔女のお出ましです。
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