純白に、青

鈴谷なつ

第1話

 ミクが嫌いだ。

 童顔、丸顔、たぬき顔の三コンボ。

 肌荒れ一つない白い肌も、くりんとした黒目がちな目も、リップを塗らなくても血色のいい唇も。何もかも腹が立つ。

 女子の平均身長よりも少し小さめ、痩せているけどガリガリじゃない。女の子らしいふっくらとほど良い肉付き。

 声だってオタク受けしそうな甘いソプラノ。音感もあるから、ハモリだって簡単にこなしてみせる。

 これで少しでも性格が悪ければ、まだ可愛げがあると思うが、ミクはムカつくことに性格も完璧だ。いつもにこにこ笑顔で、誰のことも悪く言わない。周りで悪口が聞こえてきたら、さりげなく話題を変えてみせる。人懐っこくて、甘え上手。分かりやすく男に媚びていたり、ファンに色恋営業をしかけているわけでもない。

 ミクが嫌いだ。神様に何でも与えられて、じゃあお前は逆に何を持ってないんだよ、と訊きたくなる。どうせ必要なものは最初から手の内にあって、欲しいという感覚さえないんだろう。


 ノンちゃんは美人でいいなぁ、とミクが言う。私はミクを睨みつけ、「イヤミなら他所で言ってくれない?」と吐き捨てた。ミクはきょとんとした後、慌てた様子で首を横に振る。

「えっ違うよぉ! ノンちゃんは本当に美人だもん!」

「ミクに言われてもねぇ……」

「えー、嬉しくない?」

「嬉しくないよ」

 ノンちゃん、こと私は鏡の中の自分を睨みつけた。子どもの頃から大人っぽいね、と言われ続け、実際の年齢よりも上に見られることが多かった。それってつまり老けてるってこと? と言い返すと、大抵の相手は黙り込む。私はミクと違って性格も悪いから、ケンカを売られたら前のめりに買いに行くタイプだ。

 鏡越しにミクと目が合った。にこり、といつもの人懐っこい笑顔を向けられる。

「だってノンちゃん、すっごく目力強くて、鼻も高いし、何よりうちで一番の小顔なんだよ? 羨ましいよ」


 うち、というのはアイドルグループ「アンジュ」のことだ。メンバーは五人。赤、青、黄、紫、白というメンバーカラーが振り分けられている。

 例えば戦隊ものだったら、赤はリーダーで熱血な主人公。青はクールで知的なサブリーダー。黄はムードメーカーで、紫はミステリアス。白はたぶん戦隊グループに後から加わる、強くて特別で人気の出るキャラクターに違いない。ちなみに私は戦隊ものの番組を見たことがないので、実際には違うかもしれないけれど、なんとなくそういうイメージがある。きっと色のイメージが影響しているのだろう。


 これがアイドル、それも女性アイドルグループのカラーだったらどうだろう。意味合いは少し変わってくると、私は思う。赤はセンターでチームを引っ張るリーダーの色。青は大人っぽいお姉さん系。黄は天真爛漫で明るい。紫は二択になるけれど、色気の多いタイプか、おっとり天然系。じゃあ、白は? アイドルにおける白も、やっぱり少し特別だ。何にも染まっていない純粋無垢で、とびきりの美少女でなくては務まらない。ちょっとかわいいでも、かなりかわいいでもない。とびきりの美少女限定色である。


 当然アンジュにおける白は、ミクだ。それだけでも運営からの特別扱いが透けて見えて腹が立つのに、センターもミクなのだ。

 一番初めのグループ結成時、運営から告げられたのは五人でアイドルグループを組むこと。そして、メンバーカラーだった。私は青を振り当てられて、「はいはい、かわいい枠じゃなくてお姉さん枠ね」と苛立った。赤を言い渡されたメンバーは、何も言わなかったが目は輝いていた。赤ということはセンターをもらえる、と思ったのだろう。確かにアンジュでの赤色担当はかわいい。顔もかわいいけれど、とても愛嬌のある笑顔が特徴的だ。黄、紫、と色を振り分けられていき、最後に残ったのがミクだった。ミクとは初対面だったけれど、ピンクだろうな、とすぐに思った。アイドルとして集められているのだからみんな整った顔をしているけれど、ミクだけは異質だったから。グループのかわいい担当、あざとくてぶりっ子でもそういうキャラとして許される。それがピンクだ。でもミクは白をもらった。ピンクよりももっと特別な色。アイドルグループによっては存在さえしない、運営が絶対に推すと宣言するカラー。

 私含め、ミク以外のメンバー全員がどよめいた。だからきっと私のアイドルグループにおける色の印象はあながち間違っていないのだと思う。当のミクだけが、その意味を理解していないようだった。少しがっかりした表情を見せていて、私はそれを見た瞬間から、ミクが嫌いだったのだ。


 しかも話はそれだけで終わらなかった。ミクは特別カラーをもらった上に、センターまで任された。赤を言い渡されたメンバーは、動揺して、えっ、と小さく呟いた。

 リーダーとメインボーカルはノンがやってくれ、と言われたときは心底腹が立った。かわいいメンバーを寄せ集めて、一人だけお姉さん枠、引き立て役になりそうなポジションなのに、リーダーでメインボーカル? 私は便利屋じゃねえんだよ、と心の中で叫んだ。でもグループでは最年長のようだし、アイドル経験者は私だけだった。引き立て役として呼んだけど、年齢的にも経験的にもノンにリーダーを任せないとうるさそうだから。そんな運営の声が聞こえてくる気がした。


「私にはリーダーは気が重すぎるので……」

 このグループでの活動を辞退してしまおうと思った。アイドルグループにもたくさん方向性がある。王道のかわいい系、清楚系、ギャル系、クール系、歌やダンスで魅せるグループもある。私は確かに王道のかわいい系アイドルになりたかった。前のグループではほとんど売れず、端っこのポジションだった。でも、まだ年齢が若かったこともあり、グループの中では毒舌かわいいキャラとして、あざとパープルなんて呼ばれてかわいがられていたのだ。

 もちろん年齢が上がるにつれて、求められるものが変わってくるのは分かる。でもまだ私だって十九歳だし。顔がかわいい方ではなくても、キャラ立ちがうまくいけば、かわいいポジションでも立ち回れるはずなのだ。


「あの……私、ノンちゃ……ノンさんと、一緒にやりたいです」

 そう言ったのはミクだった。私は別にあんたとやりたいとは思わないけど、と反射で言葉を返していた。泣くかもしれない。こういうかわいくてチヤホヤされてきたタイプは、ちょっと強く言うとすぐに泣くから。

 でもミクは泣かなかった。それどころか一歩も引き下がらずに、私はノンさんと一緒じゃなきゃいやです! と言い張った。

 これには運営も頭を抱えているのが分かった。私が抜けても大した穴にはならないし、もっと適任な美人がいるだろう。しかし私が辞めるならミクも辞める、私が他のグループに入るならミクもついていく、とあまりにもしつこく食い下がるのだ。最終的には運営が「お願いだから二人とも残ってよ」と頭を下げてきたので、渋々頷いた。そもそも他のグループに入れたとしてもミクがついてくるのなら意味がない。ミクと同じグループにいる限り、私がかわいいポジションを取れず引き立て役に回ることは、確定しているのだから。


 斯くしてアイドルグループ、アンジュは結成した。そして今や売れっ子アイドルの仲間入りだ。理由は簡単、ミクがいるからだ。

 王道路線の量産型でかわいいアイドルグループ。そこに、量産型ではない唯一無二の美少女、ミクという圧倒的センターがいる。売れるまでに時間はかからなかった。

 アンジュのメンバーは、最初こそみんな仲良くしようとしていたが、売れ始めてからあからさまにギスギスし始めた。メンバー同士で足を引っ張るように、一人席を外せばここぞとばかりに陰口が始まる楽屋。そのたびにミクは話題を変えようとした。誰の悪口も言わないいい子ちゃん。ミクとの付き合いも長くなった今なら分かるが、ミクは元々そういう性格なのだ。しかしメンバーたちは思ってしまったのだ。あんたは運営に推されているし人気があるから余裕なんだね、と。全ての悪意は、ミク一人に向けられるようになった。

 メンバーの一人がSNSの裏アカウントで、ミクが人気あるように見えるのは運営が推してるからでしょ、とポストしているのを見たときは、さすがに頭を抱えた。

「ごめん画面見えちゃったんだけど、ミクが人気あるのは必死に努力してる結果でしょ。裏でこそこそ陰口叩くくらいなら練習したら?」

 口から飛び出たのは不思議とミクを庇うような言葉だった。メンバーは顔を真っ赤にして怒り出したが、楽屋にちょうどミクが帰ってきたので、逃げるように出ていった。

「あ、あれ……、何かあったの……?」

「何にも」

「でもなんか怒鳴り声みたいなの聞こえたよ?」

「何にもないって」

 いちいち説明するようなことでもない。女ばかりが集まり、ファンという目に見える形で人気が評価されれば、諍いが起きることもある。ミクのことは嫌いだが、努力しているのは知っているし、さっきの件に関してはミクは悪くない。私が黙り込むと、ミクはなぜか嬉しそうに笑った。

「ノンちゃんはやっぱり優しいね!」

 大好き! とミクはいつものように笑った。


 ミクが以前から私のファンだった、と知ったのは、アンジュ結成直後のことだった。前のグループで活動していたときから、ノンちゃんのファンでした! と握手を求められたときには白目を剥きそうになった。

 私の以前のメンバーカラーが紫だったので、ミクは自分もアイドルになるなら紫だといいな、と思っていたらしい。その話を聞いて、私は運営からメンバーカラーを告げられたときのミクの表情を思い出した。白という特別な色に不満があったのではなくて、単純になりたいカラーがあっただけらしい。

 どんなに好意を寄せられても、ノンちゃん! とミクがひよこのように後ろを着いてきても、私はミクを好きになれなかった。

 努力しているのは認める。未経験から始めたので、歌もダンスも他のメンバーには敵わない。他のメンバーはデビューこそしていなかったが、事務所所属でレッスンを受けてきたからだ。それでもみんなに置いていかれないように、ミクは毎日遅くまで練習していた。気がつくとみんなに肩を並べるくらいの実力がつき、今では立派にセンターの役目を果たしている。

 顔がかわいくて、性格もよくて、ひたむきな努力家。非の打ち所がないミクに、悔しいけれど私は嫉妬していた。嫌いだと思い続けないと、嫉妬で頭が狂いそうだった。


 アイドルの恋愛は、親の仇かと思うほど叩かれる。ミクが週刊誌に撮られたのは、三年目の春だった。運営が呆れた顔で「デートするにしてももう少しうまくやってくれないと……」とミクを責める。メンバーの一人は、「センター様は忙しいのにデートする時間があるんだねぇ。しかもイケメン俳優。いいご身分じゃん」と大きな独り言を口にした。ミクは困惑した様子で「私デートなんてしてません」と言った。

 『人気アイドル、深夜の密会』という見出しで書かれた記事。一緒に載っているのは、変装したミクが夜中の街で若手俳優と向かい合い、小さな紙袋を二人で手に持っているような写真だった。どちらかがプレゼントを渡している、そんな印象を受ける。実際に記事を読んでみると、ミクが若手俳優に贈り物をした、という内容だった。

「街中で堂々と彼氏にプレゼントとかアイドルとしての自覚ないわけ?」

「プロ意識のかけらもないじゃん」

「今せっかく売れてて大事な時期なのにねー。まあこっちはあんたのファンが流れてくるだろうから? 正直ありがたいしざまあみろって感じだよね」

 メンバーから浴びせられた言葉に、ミクは慌てた口調で弁明した。

「違うよ! これはただ借りた本を返しただけで……! 付き合ったりしてないの!」

「口では何とも言えるよね」

「本当だよ! デートなんかじゃない……!」

 なぜかミクの目は私に向いていた。私はミクを責める言葉を口にしていなかったので、その視線の意味がどういうものかは分からない。ずっとファンだったと言っているから、私だけには信じてほしいとか、そんな理由だろうか。私は思ったままのことを口にした。

「アイドルは夢を売る仕事だよ。付き合ってなかったとしても人目につくところで男と会うなんて意識が低すぎる」

「ノンちゃん…………」

 傷ついたような顔で、ミクが目に涙をためた。私は自分がミクをいじめたような気持ちになって、気分が悪くなった。今までメンバーがミクをどんなに嫌っても、それを悪口や嫌がらせという形でミクに向けても、決して加担しなかった。ミクのことは嫌いだ。でも一度だって悪口を言ったことはない。それは、ミクに負けたと自分で認めることになるからだ。

 メンバー内で起きる諍いにうんざりして止めるたびに、ミクは私をヒーローでも見るような目で見つめてきたけれど、そうじゃない。ミクだから庇ったんじゃない。私がリーダーを務めるグループで、揉め事が起きるのは嫌なだけだ。


 その日のライブで、ミクの応援は目に見えて減っていた。いつもなら白の割合が大半を占めるサイリウムも、今日は他の色ばかりが目立っている。難しい話じゃない。いつもミクを応援しているファンが、今日は白のサイリウムを振っていない、それだけだ。

 歌っている間はさすがにファンも大人しく見ていたが、トークパートに入り、ミクが少しでも喋ると野次が飛び始めた。隣に立つミクの足が震えていた。それでも必死に笑顔を作って、なんとか喋ろうと頑張っている。

「アイドルのくせに男作るとか最低だよ!」

「ミク担降りるからな!」

「金返せ!」

「裏切り者!」

「男を知らないからお前を応援してたのに!」

「ミクはアイドルなんてやめろ!」

「責任とれよ!」

 ファンの数が多い、ということは、スキャンダルを起こしたときに怒る人も多い、ということだ。特に女性アイドルのファンは、アイドルに対して処女性を求めてくる。だから女性アイドルが男と一緒にいるところを撮られれば、叩いて当然だとファンたちは思い込んでいる。本当に恋人なのか、記事の内容の真偽は二の次。仕事以外の場で男と会った、という事実一つで、袋叩きにしてくるのだ。

 運営はミクに言った。記事のことについて何も喋るな、と。

 実際に、きっとミクが何を言っても火に油を注ぐようなものだろう。自分が正しいと信じきっているファンたちは、ミクが紡ぐ言葉を嘘であり言い訳だと判断するに違いない。だから運営が週刊誌の記事について、ミクに何も喋らせないようにするのは、間違った判断ではないと思う。

 でも、と私は隣のミクを見る。必死に笑顔を作っているけれどその顔は青ざめていて、神様から与えられた特別かわいい顔が台無しだった。たとえ言い訳にしか聞こえなかったとしても、何も発言させてもらえないのは可哀想だ。私なら絶対に運営に噛みついている。黙っていたら記事の内容を認めているようにも見えてしまうからだ。それでもミクは言いたいことを必死に堪え、ステージ上でファンの言葉を聞いていた。


 メンバーの一人が言った。

「あの記事はびっくりしたよねー。ファンのみんなが怒るのも分かるよー。でもミクはいつも頑張ってるし、ちょっと息抜きに食事に行ったくらいなんじゃない?」

 フォローをするふりをした、ミクを貶める発言だった。口止めをされたのはミクだけだから、とここぞとばかりに責め込んでくるずる賢さには頭が下がる。

 ミクは頑張ってるから許してあげてよ、という優しい自分を演出するのが、そもそもずるい。いつもミクの悪口ばかり言ってるくせに、私はミクの味方だよ、ファンのみんなも許してあげて、と言わんばかりだ。ただ本を返しただけだとミクは言っていて、それを公言することすら禁じられているのに、食事に行った、と話を盛っている。しかもファンからすれば、メンバーはミクのことを庇っているように見えるからタチが悪い。ミクのことを庇って「食事に行ったくらい」と言った。つまり、本当はそれ以上の関係があった、と匂わせているのだ。

 ずいぶんと悪知恵が働くものだな、と私は感心してしまった。自分の立場を守り、好感度も上げながらミクを蹴落とす、という彼女の目的を達成するには、最良の方法かもしれない。

 ミクはショックを受けた表情をしていた。メンバーには事情を説明したのに、どうしてそんなことを言うのか、と思っているのかもしれない。ミクは人の汚い部分を知らなすぎるのだ。自分の利益のためなら平気で人を傷つける、そういう人間がたくさんいることを、ミクは分かっていない。

 当然ファンたちの怒りはおさまらなかった。むしろ先ほどまでよりもヒートアップしたようにすら感じる。こうなることは分かっていたくせに、ミクを嵌めたメンバーは、「やーん、ミクごめーん!」とわざとらしく口にした。それから私の方を見て、「リーダーミクのこと助けてあげて」なんて思ってもいないことを言うのだから腹立たしい。


 いつもなら、トークパートで私が喋り始めると、ミクは必ず私を見た。ファンよりも前のめり気味に私の話を聞きたがる。それがミクだ。

 でも今日はそんな元気はないようで、下を向いて俯いてしまっている。私はミクの名前を呼んだ。

「ミク」

「…………ノンちゃん……」

 泣き出しそうな目が、ようやく私を捉えた。潤んだ瞳が、信じて、と訴えかけてくる。私は構わず言葉を続けた。

「こんな状況だし、本当は隠したいかもしれないけど、アレ、言っていいよね?」

「えっ?」

 困惑した様子でミクが首を傾げる。こんなに追い詰められた状態でもこの場にいる誰よりもかわいいのだからムカつく。これだからミクは嫌いなんだ。ミクの持っているものは全て私の欲しいものだ。特別なかわいさ、性根の優しさ、努力家でまじめなところ、センターを任される運営からの期待、かわいいというファンからの声援も、メンバーカラーの白だって、本当は私が欲しかった。

 だけど私に与えられた役割は、青だから。王道のかわいいアイドルグループにおける、青。一人だけお姉さん枠。みんなをまとめるリーダー。

 それならやってやる。私は私として。お姉さん枠でもリーダーでも青でも、役目を果たしてやるんだ。そうすればきっと誰かが私を見ていてくれる。応援してくれるから。

 頷いて、とマイクに入らないようミクに呼びかける。ミクは訳が分からないという表情のまま、それでも私の言った通りに頷いた。

「あの俳優さんがミクをどう思ってるかは知らないけど、ミクの本命は私だから!」

 マイク越しに、観客席に呼びかける。

「私とミクは付き合ってるわけじゃないけど、ミクが私のこと本気で好きなのは知ってる。だからミクが私以外の誰かを好きになるとかありえないから!」

「ノンちゃん…………」

「それとも何? 私にさんざん好きって言っておきながら、あんた他の人に目移りしたわけ?」

「してないよぉ! 私、世界で一番ノンちゃんが好きだもんー!」

 ミクはついに泣き出した。メイクが崩れるぞ、と思ったけど、この女はすっぴんでも変わらずかわいいのだ。心配するだけ無駄である。

 それにしても私が適当にアドリブで振った言葉に、よくちゃんと返せたものだ。今の返しならばファン受けも問題ないし、男とのデートもやんわり否定できている。

 しばらくの間は、ミクには同性愛者疑惑を背負ってもらおう。アイドルとしては異性とデートするよりも、同性に片想いをしている、という方がダメージは少ないはずだ。それに今のご時世同性愛にぐちゃぐちゃ言うやつの方が叩かれる。実際、好きになるのが同性だろうが異性だろうが、個人の自由だと思う。

 ぐずぐず泣いているミクを見て、文句を言っていたファンたちも、ようやく黙ってくれた。それでもいつものように白のサイリウムを振らないのは、すぐに手のひらを返すのはカッコ悪い、というしょうもないプライドからだろう。

 ミクが泣き止まないのでハンカチを貸そうと思ったけれど、ステージ衣装なので持ち合わせがなかった。仕方なく首に巻いていた青のスカーフをミクの顔に押し付けると、ミクはぐしゃぐしゃの顔で嬉しそうに笑った。


 ミクが泣き止むまではライブを再開することができなかったので、トークで繋いだ。トークの際に何度かミクに話を振り、鼻声でミクが喋ったけれど、もう誰もミクを責めたりはしなかった。

「はい、じゃあミクも泣き止んだことだし曲に戻るよー。ほら、ミク。スカーフ返してよ」

「…………やだ」

「いや、駄々こねるとこじゃないでしょ! あんたにそれ貸しちゃったら私の衣装ちょっと寂しくなっちゃうじゃん!」

 実際ミクに青のスカーフを貸してしまったら、衣装からほとんどメンバーカラーがなくなってしまった。あるものといえば頭についている青い花飾りくらいだ。今回の衣装は白を基調に、それぞれのメンバーカラーを少し取り入れてアレンジしたものだった。ミクはメンバーカラーも白なので、頭に大きな白いリボンをつけていて、真っ白だ。ちょっと頭が悪そうに見えるけれど、かわいいと思う。

「今日だけおそろい。ダメ?」

 ミクが上目遣いに私に訊ねる。お揃いというのは、メンバーカラーのことだろうか。普通に考えればダメだ。ファンも何色のサイリウムを振ればいいか分からずに混乱する。こっちも青を見つけてファンサービスをしているのに、ミクにも青要素が入ってしまったら分からなくなってしまう。

 でも私は知っている。ミクはかわいい顔をして意外と頑固なのだ。実際グループを結成するときも、私が辞退しようとしたら一緒にやりたいと言って退かなかったし。言い出したら聞かない性格だと分かっているので、私は仕方なく頷いた。

 ミクは嬉しそうな顔で青いスカーフを首元に巻き、お待たせしました! と声を上げる。さっきまでぐずぐず泣いていたのが嘘のように、晴れやかな笑顔だった。


 ライブ終演後、アンジュのメンバーは全員運営からお叱りを受けた。

 週刊誌の記事については触れるなと言っただろう。まるでミクが男と食事に行ったかのように誤解を受けるような表現はやめろ。ノン、お前も場をおさめようとしたのは分かるけど他にもっと方法があっただろ! あれじゃあミクが同性愛者みたいじゃないか! ミクもメンバーカラーを勝手に変えようとするな。アイドルにとってメンバーカラーっていうのは大事なんだからな。

 メンバー全員何も言わずに聞いていた。たまにこうして叱られることがあるが、黙って聞いているのが一番いい。下手に言い返すと倍以上になって返ってくるのだから。それに今回は私たちに非があるのは明らかだ。大人しく反省しよう。そう思って聞いていると、ふいにミクが手をあげた。

「あの、私、嘘は言ってません」

 突然の発言に、私だけでなくその場にいたみんなが首を傾げた。運営の話はちゃんと聞いていたが、ミクのことを嘘つきだなんて言っていなかったはずだ。嘘をついていない、だなんて言葉がどこから出てきたのか分からない。

「私がノンちゃんのことを好きなのは本当です。ノンちゃんが気付いてるとは思ってなかったけど……だから、嘘じゃないです」

 ミクの言葉を理解するのに数秒かかった。それは私に対する告白だった。ただの憧れではなく、恋愛感情を含んだ気持ち。驚いて唖然としていると、「カラーについてはごめんなさい。一度青色つけてみたかったの」とミクは笑って謝った。この様子だと全く反省していなそうだ。

 運営はミクの爆弾発言に頭を抱えたが、ファンからの反応は思いのほか好意的だった。

 男と付き合うくらいならノンと付き合ってほしい。相手がノンなら安心。ミクは見る目があるね、頑張ってノンを落とせ!

 そんなファンからのコメントを見た運営は、これでいいか、と開き直ってしまった。あの一件から、私のファンは増えた。ミクとセット売りをされるようになったので、そのせいかもしれない。ファンが増えるのはありがたいことだが、それがミクのおかげだと思うと悔しい。新規ファンのほとんどが、白と青のサイリウムを二本持ちしている。ファンは増えてほしいけれど、自分の力で好きになってもらわないと意味がないのだ。でも今まではミク一人に向いていた視線を、私にも向けてもらえるならチャンスだ。新しいファンは全てミクから奪うくらいの気概でやってやる、と私は気を持ち直した。

 これは蛇足だが、ミクはあれからどんな衣装のときも、プライベートのときですら、青色のヘアピンをつけるようになった。毎回運営が注意をするけれど、ミクは毎度無視してそのまま出ている。それを特別扱いだなんていうメンバーもいたが、ミクはもうそんな言葉を気にしていないようだった。

「これね、ノンちゃんにプレゼント!」

 ミクから渡されたのは、白いヘアピンだった。小さなお花が散りばめられていてかわいい。でもよく見たら、ミクがつけている青いヘアピンの色違いだった。

「かわいいけど、私のカラーは青だから。ブレたくないし、つけないよ」

「うん、ノンちゃんはそう言うと思った。でももらってくれたら嬉しいな」

 にこにことミクは笑いながら言った。つけないと分かっているなら、なんでプレゼントをするんだろう。そう思ったけれど、ヘアピンがかわいいのは事実なのでもらっておいた。

 ミクの長い黒髪には、青い花のヘアピンが飾られている。それを嬉しそうに触りながら、ミクが笑う。神様にもらった特別かわいい顔で、「ノンちゃんは誰にも染められないの。そこがいいんだよ」と言った。ミクの言葉の意味は分からないけれど、褒められたことは分かったので、放っておくことにした。

 私はミクが嫌いだ。同じグループで、ライバルで、私の欲しいものを全部持っている。絶対に負けたくないし、ミクがもらっている声援を、いつかは私が奪ってやる、と思っている。

 でも、と白いヘアピンをポーチの中にしまいながら私は心の中で呟く。

 もしも私がアイドルを卒業する日がきたら、このヘアピンをつけてあげてもいいかな。

 制服風の衣装に青いネクタイを締め、私はミクを見る。今日は白いリボンで胸元を飾っている。その髪に青いヘアピンが光るのを見ながら「行くよ!」とミクに声をかけた。

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純白に、青 鈴谷なつ @szy_piyoko

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