公爵は椅子になりたがる
福島んのじ
プロローグ 彼女とド変態
彼女は少し疲れていた。
社交界特有の慣れない煌びやかなドレスに、誰が得をするのかも分からないマナーの数々、ついでに酒の肴が来たとでも言わんばかりの陰口。あげ始めたらキリがない。そんな貴族としては当たり前のことに、彼女は辟易していた。
だからなのだろう。普段であれば流せる自分への誹謗に、耐えきれなかった。
「本日も皆さまお元気でいらっしゃいますわねぇ‼ 口を開けば我が家への暴言ばっかり‼」
吐き出した分の息を吸い込みながら周りを見ればあることに気付いた。今夜この場所に集った者たちの瞳の色が、軽蔑から驚愕に変わっている。しかし彼女は止まらなかった、止まれなかった。
「私、社交界とは貴族様の情報交換会と認識していたのですが、どうやら誤りでございましたわぁ‼ えらくお暇な方々が寄ってたかって私のような小娘を叩きまくるだけの会でしたのね‼ ごめんあそばせぇ‼ そうとは知らずに招待されてしまいましたわ‼ この美味しそうなマカロンだけいただいたら即刻、帰らせてもらいます‼」
高級そうな皿の上に載っている緑色のマカロンを口めがけて雑に放り込む。味なんて分からなかった。
「ほれでは‼ ごみめんようッ‼」
咀嚼しながらの挨拶は上手く音にならない。しかし言い切った、言ってやった。最近国中で流行っている小説の悪役令嬢のように。――嫌味ったらしく、横柄に。
いくら下級貴族といえど、形だけでも貴族令嬢の名を持つ彼女にとって褒められた行為ではなかったが、咎める者もいなかった。何もかもが止まったかのような空間で、歩を進める彼女の赤髪だけが揺れる。その光景は異常だった。
その瞬間――
「――少し待ってくれないかな?」
よく通る声がホールに響き渡る。少女に釘付けだった視線が、声の主へと方向を変えた。そこには、透き通る金色の髪を持ち、紺色のペリースをまとった男性が立っている。
その場にいるほとんどの者が、絵画から出てきたかのようなこの男に目を奪われた。ゆるくうねったやわらかい金髪、どこまでも潜れそうなほどに深い青の瞳、そして中毒性の高い劇薬のような甘い声。
アルレッキーノ・ソリタリウス公爵――国王直下の上級貴族である。
「そう固くならないで。僕はただお願いしたいだけなんだ」
この状況に似つかわしくないほどの優しい笑みが向けられる。次に、形のいい唇が言葉を紡いだ。
「――僕を、きみの椅子にしてほしい」
「……………………は?」
誰もが一目置く貴族様の『お願い』とは一体何なのか、と状況を見守っていた他貴族たちも少女と同じく「は?」と言ってしまった。アルレッキーノ公爵が言ったことは、人間が流せる話題の領域を遥かに越えていたのだ。
彼は自らを除く他全員の反応を見て、何か理解したような表情をした。
「あぁ、申し訳ない。言い方が悪かったね、訂正しよう」
そうだ、訂正してくれ。今の発言ごと撤回してくれ。あわよくば聞き間違いだったと思わせてくれ! ホール内全員の心の声が一致した瞬間だった。誰も年若い公爵のド変態発言なんて聞きたくない。
「――きみ専用の犬でも可です!」
駄目だった。聞き間違いでもなければ、撤回してくれることもなかった。
会場は今日一番の静寂に包まれている。誰もぴくりとも動かない。いや、動けない。しかしその中でも真っ先に行動した者――それは渦中の赤髪の少女だった。
「……あ、その、えっと、こ、今回はご縁が無かったということで、その、諦めてくださ――」
急な変態発言に対する混乱と恐怖から、先程の啖呵は何だったのかと聞きたくなるほどのか細い声で告げる。そしてさっさと気持ち悪いこの男から距離を取りたいという本能で彼女が後ずさった――その時だった。
「――ぉわッ⁉」
ドレスの裾をヒールで踏んづけた。彼女はのけぞる形で大きく体制を崩してしまう。加えて最悪なことに、床は大理石で出来ていた。そのため、強烈な痛みが少女を襲う――はずだった。しかし、実際に訪れたのは生暖かい椅子のようなものに座った感覚だけ。
助かった。そう安堵したのも束の間、猛烈な悪寒に襲われる。嫌な予感しかしない中、視線だけで自分を支えているものを確認する。それはまさかと言えばいいのか、やはりと言えばいいのか――
「大丈夫かい? 急に倒れそうになるから驚いてしまったよ」
「ひょッ⁉」
――アルレッキーノ公爵その人(四つん這い)だった。何もなかったかのように会話をしているが、乗っている少女は悲鳴すら音になっていない。
「恐ろしく速い四つん這い……! 私でなければ見逃していた……!」
「な……、伯爵は見えたというのですか……! あの状況になるコンマ数秒が……!」
「ああ、あの若さでそこまでの領域に達するなど……一体どんな代償を払ったのだ!」
ざわつき始める会場内。よく分からない会話が繰り広げられていたが、事の次第はそう難しいことではない。
彼女が後ずさりした瞬間、公爵は少女の後ろにまわった。そして裾を踏んづけてしまったことに気付くと、瞬時にその場で四つん這いになり、最悪の事態を防いだというだけのことだった。代償なんてもちろん払っていない。
「予定とは違う過程だったけど、結果はオーライ、かな?」
「……お、おーらい?」
「ああ、きみが僕に座ってくれたからね。今日のところは万々歳だよ! 本当にありがとう、ご主人様!」
「ご、ごしゅじ……!」
彼はまっすぐな目で少女を見る。合わせないといけない気がして、彼女も引きつる顔を隠すこともせず視線を合わせた。
「急にこんなことを言われて驚くと思う。……でも、第一印象から決めてましたッ! 僕だけのご主人様になってください!」
「…………い」
「い?」
「嫌です……」
この少女の名はシュンエイ・ブリゲッラ。二年ほど前、商いで大当たりし爵位を授かったタンコー・ブリゲッラ男爵のご息女――つまるところ、成り上がり令嬢である。どんな間違いを犯しても、公爵を椅子代わりにすることなど絶対に出来ない身分の女だ。
しかしこの日から、彼女の望まぬ『ご主人様ライフ』は始まりを告げる。
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