第2話 音楽×僕×ハジメノ2×ナカミセス

 はい、そうです。

 HUNTER×HUNTERが好きなのです。

(ということはさておき、なんだこの万人に開かれていないエッセイは! 読むのを止めちまえ! 、とひととおり書いて読み返した後の僕が言っているので、すこぶる信憑性がある提案である)


 僕がまだ小学生だった頃、父親とよく温泉に行った。僕らには行きつけの温泉があったというわけではなく、しかし常連客になりそうなくらいには訪れている温泉がある、という具合に、とりあえず当時の僕らは温泉に行きすぎていたのである(今の僕はどういうわけか風呂が嫌いだ)。休日になると特にすることがなくて暇だから、という理由で温泉に付き合っていたのかも知れない。今、父親が元気に生きてくれているから言えることがある、「当時の僕は大して温泉は好きではなかったのだ」。


 手提げにバスタオルとフェイスタオルをぎゅうと詰め込み、意外に父親よりも先に車に乗る。この時点で既にどの温泉に行くかは決まっていることが多い。

 急な斜面を登る車内では、特に父親と話すこともないので、窓の外へと手持ち無沙汰な視線を飛ばしておくことが多かった。そうすると今度は耳が暇になる。

 耳を澄ませてみる。

 タッタカタンタン

 次第に、耳を澄ませなくても音楽が大音量で流れていることに気が付き、それを歌ってみる。

 しばらくして父親が僕に言う。「この歌知っているのか」

 いつも聞いていればそれは少しぐらいは覚えてしまうさ、と僕は思い、「歌詞とリズムが流れで想像できる」と答えた。

 父親は驚嘆していた。阿呆な父親からこんなに聡明な子供がうまれることがあるんだろうか、天才だお前は、と言っているのではないかという具合に。

 情けないことに、これが僕の覚えている音楽との触れ合いのハジメの一つだ。

 ノ1、ここでは音楽はただ自分の賢さを誇張して伝える為のツールの一つとしか思っていなかったのだろう、ということを言いたかった。溜息が出る。僕がこのことを知った親だったとしたら、つまりもし僕がこの場面での父親で、かつその科白せりふを言った僕の本心を見破ってるようであったら、この生意気な糞ガキを裸にして駅前を歩かせていたかも知れない。しかしもちろん、小心者の僕にはそんなことをさせる勇気が無いのであるが……。

 ところで僕は「勇気」を獲得しようと最近は奮起しているつもりである。もし僕がそれに成功したら、将来の僕の血を受け継いだ子供とパートナーはさぞ苦労することだろう。なぜなら僕の両手は正義の輪でつながれて身動きがとれないでいるだろうから。


 ここで、今ラジオ感覚で流しているYouTubeの画面に目をやり、水を飲む。気持ちが落ち着いてきたところで改めてこのエッセイのタイトルを見てみると、「ノ2」とある。ここにはもう一つの僕と音楽の仲みたいなものを書かなくてはならないことになっているので、タイトルを考えたときの気持ちを思い出しながら「ハジメ」の二つ目を書いておく。


 多くの学生(生徒?)がそうであるとおもうが、小学校、中学校ではクラスで合唱をする機会が途轍もなく多い。そして歌の練習も、それをしなかった日には実際に(彫刻刀やらで)腹を切る人もでてくるのではないか、といっても言い過ぎではないくらいに習慣化された。もちろん僕は、そんな日があればクラスの主役達も驚くくらいには喜んだ。そしてそれをみた僕の友達は苦笑いをする。

 僕はクラス合唱がとても嫌いだった。クラス三十人で声を揃えて歌うのがとても気持ち悪かったし、何しろ音痴がばれてしまう。

 音痴がばれることに対して、大げさな危機感を持つべきじゃない、別に音痴がばれても良いネタになるだけだ。そういう言葉があぁもうあちこちから聞こえてくる、うっとおしい。

 まだ幼かった頃、音楽はただ自分の賢さを誇張して伝える為のツールの一つとしか思っていなかった、と僕は先に述べた。このように自分を美しさを見せることに必死だった幼い頃の僕が、音痴をばれないようにするのに努力を惜しまないことがあろうか。


 これが「ハジメ」の二つ目である。「ハジメ」の一つ目よりは大分音楽に対する気持ちも変わったのではないだろうか。明確に、「嫌い」であり、それは「一人」という条件の下に、「好き」になる。

 これらが「音楽×僕×ハジメノ2」である。もう少し膨らませて書きたい気もするが、Xとかでアンチ行為をする不幸な人間に生まれた方が将来安泰だったのではないかと思われても嫌なので、止めておく。


 このエッセイは、「ナカ」ヘと移る。の僕と音楽に関してである。

 僕はYouTubeを流しながらこれを書いている、というのに近しい言葉を前に述べたとおもう。何を流しているかというと、ミセスのライブである。ミセスと言うのはどこか知らない地域の名称でも、映像の粗い底辺YouTuberの名前でもなく、アーティストMrs. GREEN APPLEである。僕は音楽が好きになったのだ。

 クラス合唱が嫌いだった僕から、今の僕に至るまで、音楽に対する気持ちは春の陽気のようにもろく変化していったのかというと、そうではない。そのままずっとたいして好きというわけではなく、日常でも音楽を自ら聴こうとしたことは一度も無かった。特に大学一年の初めには、「物理こそこの世の真理を言い当ててる学問だ」と頑固に思っていて、作品芸術エンタメに対しては正直白い目で見ていた。ただそれが変わる出来事が起こる。

 起こったはずである。

 だが、非常に残念なことに、まったくそれを覚えていない。何がきっかけで創作を尊敬し、僕の興味の多くを占めることになったのかは、もう思い出すことができない。紙に穴を開けたように、そのあるはずの記憶は全くの無となってしまった。ところで本を読むようになったのはその頃からであり、9.9割は小説である。

 映画も見るようになった。今まではあり得なかったのだが、一人で映画館にも行くことになる。俳句や詩も作ってみる。折り紙をしてみる。小説家になりたいと本気で思ってみる。アーティストになれたら良いなとこれも強く、そしてアーティストになりたいと思ってみる。

 本当に分からないけれど、創作にこの世の真理があるのではないかという非常に直線的な思考にも陥っている。

 つくづく困った奴である。

 僕は今までカラオケに行ったことがない。


 ほんとうに、困った奴である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【エッセイ】キロクとハメツ 赤瀬川 @Ioio_n_furinkazan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ