第1話 カタツムリは出会う

 4月。


 現代の日本では雨季の初めに当たる。これから徐々に雨が増えて、僕に取っては過ごしやすい季節がやってくる。


 そのはずなのに。


 空から燦々と照り付ける太陽に焼かれて、僕は道端で動けなくなっていた。


 茹だるような暑さが、僕から水分を奪っていく。幻聴で蝉の鳴き声が聞こえてくるようだ。


 今週は例年より最高気温が高く、4月だが熱中症に注意しろと、朝のニュースで天気図とともに解説していたアナウンサーが言っていたのを思い出す。


 暑さに耐えられなくなって、電信柱にできたほんのちょっとの陰を求めて寄りかかる。


 殻の中の保水液入りの水筒を求めて手を伸ばして弄るけれど、目当てのものは見つからない。今日に限って家に忘れてきてしまったようだ。頭がクラクラする。いよいよ持って危なくなってきたみたいだ。電信柱にもたれながらうずくまる。


 救急車を呼ばなければ。スマホはどこにしまったっけ。


 再度殻の中に手を伸ばして探すけれどなかなか見つからない。中学生になったからと、買い与えられたばかりだというのに、いざとなったら見つからないなんて。


 ああ、苦しい。


「……み、ず」


「あの、大丈夫ですか?」


 大触角の上から声がかけられる。天からシトシトと静かに降り注ぐ雨のような、落ち着いた声色が僕の触角を優しく震わせる。


 顔を上げるとそこには、身長140センチくらい。黒い2本の足と、黒い4本の腕、引き摺るように長くて綺麗なお腹、太く逞しい首、吸い込まれそうな真っ黒な双眸、なんでも美味しく食べれそうな強靭な顎を持った、ものすごく綺麗な少女がいた。


「熱中症ですか?歩けますか?」


 心配そうな表情で僕に尋ねる。僕が彼女に見惚れてしまって黙っているのを見て、話せないくらい弱っていると勘違いしたのだろう。焦った様子で鞄からペットボトルを取り出すと、キャップを外して僕の口に中身を注ぐ。


「水です、少しずつ飲んでください」


 与えられた水をニュプニュプと吸う。暑さで蒸発した水分が少しづつ回復してきた。


「動けますか?少し行ったところに休めそうな場所があるので、あそこまで行きましょう。背中に乗ってください」


 そう言って彼女は僕に背を向ける。躊躇っている余裕が無い。甘んじて背中を借りる。


 真っ黒くて、鎧のように丈夫そうな背中に身を預ける。黒いし、熱を集めて火傷しそうなものだけれど、不思議とそんなことはなく、彼女のほんのりとした温かみを感じた。


 彼女に運ばれて、日陰で横になる。彼女はどこかへ走って行ってしまった。しばらく涼んでいると、また彼女が走って現れた。右下腕にはペットボトルを持っている。


「これ、追加で買ってきました。よかったらどうぞ」


「ありがとうござます」


 僕はヌメヌメと腕を動かしてペットボトルを受け取る。


「救急車、呼びましょうか?」


 彼女がギチギチと僕に問いかける。


「大丈夫です。水分さえあればなんとか。助かりました。ありがとうございます」


「いえ、困っているときはお互い様ですし」


「お礼をしたいのですが、連絡先など教えて貰ってもいいですか?その制服、星間中学の方ですよね?」


 見慣れたセーラー服だ。僕が通っている学校と同じ。リボンの色から察するに2年生、先輩のようだ。


「2年B組のマイナネルータ・ダマスター・テュロスです」


「えーっと、なんとお呼びすれば?マイナネルータさんでよろしいですか?」


「はい、構いません、あなたは?」


「僕は、貝被カイカブリ 塗道ヌルミチと言います。1年A組です。あとは大丈夫ですので、お構いなく。必ずお礼はします」


「わかりました。もう少し休んでから、動いたほうがいいですよ。無理しないでくださいね。それでは」


 そう言って彼女は去っていった。


 僕は最初に彼女に貰ったペットボトルを眺める。ボトルの注ぎ口は僕の粘液でヌルヌルになっている。


「飲みかけだったな」


 言ってしまってから後悔した。なんて気持ち悪い。助けて貰ったというのに恩知らずな奴だ。


「綺麗な人だったな」


 これが、僕たちの初めての出会いだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る