第9話 性質
近未来的な内装の通路をヒールをカツカツと鳴らしながら白衣の裾を靡かせて歩くハニーブロンドのアップポニーテールの女性。手には薄型のノートパソコンが1台。彼女の首から提げられたIDカードには自身の顔写真と共に、『ラダ=ハンプバーク』と名前が記されている。
ラダはそのIDカードを扉の横に設置されているタッチ式のカードリーダーに翳し、カードリーダーの上にあるカメラに瞳を映し、さらにカメラの隣の指紋認証装置に中指を置いた。
物理キーと生体認証が二重に掛かった、合計三重にもなる電子ロックの扉である。
『認証されました。ラダ=ハンプバーク研究員』
機械音声が認証成功のアナウンスをすると、SF映画で観るような宇宙船風の合金の扉が左右に自動で開いた。
「ただいまー。あれ、リンダ1人?
ラダは部屋の中に入るやいなや、黒髪ロングの女性研究員のリンダ=ハイゼルしか部屋にいない事を確認すると、すぐにフォーミュラの代表である
「
リンダはラダに背を向けたまま自席のパソコンの画面を凝視しながらカチカチとキーボードを高速でタイピングしている。
リンダの席の周りにはモニターが何台も設置されており、全てが何らかの情報を表示している。
「もう夕方なのに、また
ラダはリンダの隣の自席に座ると、くるりと一周リクライニングチェアを回してからリンダの方を見て言った。ラダの席には資料が乱雑に置かれ、手書きの文字の書かれたカラフルな付箋がそこら中にペタペタと貼られている。
「はい、だから言われた通り無理やり部屋から追い出しました」
「偉い! じゃあ、オッサン達は?」
「
「はえ〜、まだ篭ってるの? 皆熱心な事で」
パソコンの画面に向かい、淡々と仕事をするリンダはラダの方を一切見ない。
時折、縁のないスクエア型の眼鏡を上げる仕草をするが、それ以外ではキーボードやマウスから手を離さないしモニターからは目を離さない。
「アンタも少し休憩しなよ。過労死するよ? ネフィスじゃないんだから」
ラダは自席の散乱した書類をテキトーに横に払い除け、持って来たノートパソコンを置いてパカッと開き電源を入れた。
だだっ広いオフィスにはデスクが無数に置かれているが、利用されているものは、ラダとリンダのデスクを含めて6席だけ。かつて世界的に大きな組織だったフォーミュラの研究員は今やたったの6人しかいない。残ったのは
「人手不足なんですから、休んでる暇はないですよ。心配しなくても、死なない程度には調整出来るので大丈夫です」
「あーそう。でもさ、たまには息抜きに外出たら?」
「私の心配より、戻ったなら今朝送った遺伝子配列の解析進めてください。私たちが少しでも解析を進めないと、
「分かってるよ。ほら、だから今パソンコに電源入れたでしょ? ほら、見て、今起動中、ほら見てリンダほら、ほら」
「先輩だからって、怒りますよ」
声色は変わらず、淡々とリンダは言った。
「こわっ、最近アンタ頑張り過ぎだよ。アンタが死んだらもう代わりなんていないんたからさ」
「私には一刻も早く
リンダの声色が初めて変わった。少し沈んだものになり、やがてタイピングも止まった。しかし、顔はモニターに向けたままだ。
「ほい」
ラダは白衣の右ポケットから缶コーヒーを取り出すとリンダの机に置いた。
すると、初めてリンダの視線がモニターから缶コーヒーへ動いた。
「カフェラテ……私の好きなやつ」
ラダは今度は左ポケットから自分の分の缶コーヒーを取り出しプシュっと開けると一口飲んだ。
リンダはそれを見て同じく缶を開けると静かに口に運んだ。
「そう言えば、ハンプバーク博士、島に追加したネフィスの女と一緒に、アーキタイプの男を送り込んだそうですね」
「あー、そうそう。威勢のいい青年でさ、島のネフィスの中に幼馴染がいるらしくて、そいつが帰らないからって、安否確認の為に乗り込んで来たんだって」
「アーキタイプは要らないのに」
「あたしもそう思ったんだけどさ、
「ありません」
「そう。もしかしたら、クルーザーの爆発でアーキタイプは死んだかもね。生きてたら個人的に興味は湧くけど」
「クルーザーの爆破成功のログはあるので、近々連絡は来ると思います」
「おけおけ。意外とパイドパイパー内でそのアーキタイプがいい反応を起こすかもしれないよね。あんなネフィスの女ばかりの所に男が混ざったら、何も起きないはずない」
「ネフィスは生殖本能もアーキタイプの倍以上ですからね。それが短い寿命が故なのかはまだエビデンスが足りないので断定出来ませんが、万が一、ネフィスの女性とアーキタイプの男性が交配しても、遺伝子が全く別物ですから子孫は残せません」
「うーん、そうだけどさぁ、じゃあ何で
「さぁ……
そう言ってリンダはまたカフェラテを口に運ぶと、1台のモニターに新たに島へ送り込んだネフィスの情報を映し出した。
「澄川カンナ、22歳。性別:XX……またXXですか。通常の女性被検体は足りてるのに」
「しょうがないよ、XYの被検体は生成が難しい激レア個体なんだから。その激レア個体を島に3体集めたあたしにもっとボーナスくれてもいいのにな〜」
染色体XXは女性を意味し、XYが男性である。アーキタイプの場合は、男児の出生率が僅かに女児よりも高いが、その出生率に重大な偏りはない。これに対し、ネフィスに関しては謎のエラーが起こる。男性ネフィスを生み出そうとして、染色体をXXの片方のX染色体をYに修正しようとすると、大抵の場合X染色体はXY染色体に変異し、XYXという新種の染色体が生まれてしまう。XYX染色体は、性別上も見た目も女性でありXXの女性と見分けがつかないが、性格的に攻撃的になるなど、テストステロンが強いと思われる性質があり、成長に連れてオスの生殖器が生成される傾向が観察されるが、ネフィスの30年という短い寿命の中では完全にオス化した個体は今のところ存在しない。
このように、ネフィスにはアーキタイプとは見た目上は同一の人間という種族でも、全く異なる遺伝子である為に解明されていない特異な性質を持ち合わせている。エクセルヒュームという特殊能力の発現も、解明されていない突然変異の1つである。
「あ……でもこの澄川カンナって個体、エクセルヒュームなんだ。『
リンダは眼鏡の位置を片手で調整しながら、画面に表示されているカンナの情報に首を傾げる。
「さあ……シュトラ博士に澄川カンナの能力について調査して詳細データ送るように伝えといてよ。あと、追加したアーキタイプの青年が生きてたらソイツも監視しといてって」
「了解しました。で、アーキタイプの名前は?」
「え? えーっとね、何か珍しい名前だったな。何だっけ? 何かこう、綺麗な感じの響きの……日本語特有の……」
「何ですか、それ? 抽象的過ぎて日本人でも分からないでしょ、そんなの。そのままシュトラ博士に伝えます。ハンプバーク博士はさっさと解析進めてください」
すると、ラダの顔が曇った。
「えっとねー、あたし、次に島送りにするネフィスの特定と招集しなきゃいけないんだよね……あと、本部に来てるクレーム対応とその他諸々の会計業務」
リンダはラダの業務内容を聞いて思わず溜息をついた。
「そんな事務作業、バイトでも雇ってやらせてくださいよ。せっかく優秀な頭脳を持ってるんですから、ハンプバーク博士は研究に関わる仕事をして欲しいです。これだから
「あたしだってこんな仕事したくないよ。でも、バイトなんか雇える状況じゃないでしょ?
ネフィスの情報なんて機密情報なんだから、バイトなんかに任せられないよ。ただ侵入者を排除させておけばいい用心棒とは違うのよ」
「そうですね」
静かな声でリンダはそう答えると、カフェラテの缶に視線を落とした。
「これ、ありがとうございます。やっぱり私、本格的なものより、こういう缶コーヒーのケミカルな感じの方が好きです。あとでお金返しますね」
「いらない! お金返すくらいならちゃんと休んで」
「善処します」
「はは、絶対嘘」
笑いながらラダは自分のパソコンへと身体を向けた。ブツブツ言いながら仕事を始めたラダを見たリンダは初めてクスリと笑った。
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