第6話

 私はベッドからゆっくりと起き上がり、隣で眠る奈々の顔をそっと見つめた。彼女が隣にいるだけで、私はこんなにも安心できるのだと気づいた。


 いつも隣にいてくれる存在が、こんなに大切だなんて――。


 今まで当たり前のように思っていたけれど、それはとても特別なことなんだと、今改めて実感した。


「奈々…」


 私は小さく彼女の名前を口にし、奈々の顔をじっと見つめた。柔らかい髪が顔にかかっていて、そっとその髪を耳にかけてやる。その瞬間、奈々が微かに身じろぎし、私の胸はドキリと高鳴った。


 奈々への想いは、同性に向けるべきではない友達以上の感情だ。こんなにも彼女が愛おしいのに、それを伝えることができないことに少しもどかしさを感じる。


 奈々を起こさないようにゆっくりと起き上がり、そっと部屋を出る。昨夜、泣きながら眠ったせいか、目が少し腫れているのが気になった。洗面所で顔を洗いながら、自分の顔を鏡で見つめると、なんだかとても疲れているように感じた。


「大丈夫、今日は笑顔で過ごそう」


 しばらくして、奈々が眠そうな顔でリビングに現れた。彼女の寝癖が少しだけ残っていて、その姿に思わず微笑んでしまう。


「おはよう、美咲」


 奈々はにっこりと笑いながら、私の隣に座った。その瞬間、奈々の視線が私の目元に止まり、少し心配そうな顔をした。


「美咲、なんだか目が腫れてるけど、大丈夫?」


 奈々が心配そうに問いかけてきて、私は少しだけ緊張した。昨夜のことを知られるわけにはいかない。だから私は、できるだけ自然に答えるように努めた。


「うん、大丈夫。ただちょっと寝不足なだけだよ」


 奈々は私の言葉を聞いても、まだ少し不安そうに見えたが、それ以上は何も言わなかった。




 朝食が終わり、少し時間が経った頃、私は奈々にずっと聞きたかったことを口にしようと決意した。心臓がバクバクと高鳴り、胸が苦しくなる。


 奈々のことをもっと知りたい。でも、それを口にすることが怖い気もしていた。リビングで二人きりになったとき、私はふと奈々の方を見て、小さく息を吸い込んだ。


「奈々ってさ……付き合ってる人とか、好きな人っていないの?」


 自分の口から出た言葉に、私自身が驚いてしまった。心の中で何度もシミュレーションしたのに、いざ口にすると、どうしてこんなに緊張するのだろう。奈々はその質問に驚いたように目を見開き、一瞬息を飲んだ。


「どうして急にそんなこと聞くの?」


 奈々の声は少し戸惑っていて、その反応に私はますます不安になった。自分がこんなことを聞くこと自体が不自然だったのだろうか。けれども、奈々のことをもっと知りたくて、私は続けた。


「いや、なんとなく……今までそういう話、あんまりしたことなかったし」


 奈々は少し考えるように視線を落とし、それから私を見つめ直した。


「ずっと一緒にいるんだから、わかるでしょ? 今は、特にそういう人はいないよ」


 私はその言葉に少しホッとしながらも、奈々が言っていることが本当なのか確かめたくなった。


「実はね、最近ちょっと気になることがあったんだ。……この間、空き教室で男子と二人きりで話してたことがあったよね?あれって…」


 思わず口に出した私の質問に、奈々は驚いた表情を見せたが、すぐに困ったように笑った。


「あれ見てたの?美咲」


「ごめん、あの日教室に奈々がいなくて探してたら、見ちゃって……」


 私は申し訳なさそうに言葉を続けた。奈々にとって大切な話だったのなら、聞くべきではなかったかもしれない。


 奈々は少し考えるように視線を落とした後、ゆっくりと口を開いた。


「あれは告白じゃなくて、ただのお願いをされてただけだよ。美咲には心配かけたくなかったけど…見ちゃったんだね」


「お願い事?でも、わざわざ空き教室で二人きりって、なんだか怪しくない?」


 私は奈々の言葉を信じたい反面、心の奥に引っかかるものを感じた。わざわざ人目を避けて話すなんて、普通のお願いとは思えない。


 奈々は少しだけ笑いながら、「そう思うよね。でも、ほんとに大したことじゃなかったの」と言って、私の目を真っ直ぐ見つめた。


「そうなんだ……奈々がそう言うなら信じるよ」


 奈々の瞳の中には、嘘をついているような色は見えなかった。それに、奈々が隠し事をするなんて考えたくない。だから、私はそれ以上深く追及することをやめることにした。



「美咲はどうなの? 付き合ってる人とか好きな人っているの?」


 奈々の問いに、私の心臓が一瞬だけ強く跳ねた。ここで「好きな人がいる」と正直に答えるべきか、それとも…。悩んだ末、私はゆっくりと口を開いた。


「うん……いるよ」


 奈々の表情が一瞬だけ固まったように見えたが、彼女はすぐに微笑みを浮かべた。その笑顔には、何か隠れた感情が滲んでいるように感じられた。


「そっか……どんな人なの?」


 奈々が何気なく問いかけるその声には、少しだけ震えが混じっているような気がした。


 しかしそれを深く考える余裕はなく、目の前にいる奈々のことを思い浮かべながら、私はゆっくりと答えた。


「その人は…すごく優しくて、いつも私を気遣ってくれて、ちょっと不器用なところもあるけど、そこがまた可愛くて…それに一緒にいると心が落ち着くんだ」


 奈々の目が微かに揺れたのを感じた。彼女の微笑みは変わらないけれど、その奥に何かが隠れているようにも見えた。


「そっか…すごく素敵な人なんだね。美咲、その人にちゃんと伝えられるといいね」


 奈々の言葉を聞きながら、私は心の中で思った。奈々、私はあなたが好き。でも、この気持ちを今、伝えるわけにはいかない。きっと、まだその時じゃないんだ。


 奈々の微笑みの裏に隠された感情に気づくことなく、私はただその場の空気に流されていった。



 自分の気持ちを隠しながら――そして、奈々の気持ちにも気づかないまま。

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