第2話

 次の日、目の下にうっすらとクマができていて、自分の顔を鏡で見たとき、昨夜ほとんど眠れなかったことが一目でわかる。それでも、学校へ行かなければならない。


 家を出ると家の前いた奈々がいた。


「おはよう、美咲!」


 私は少しぎこちなくなりながらも、「おはよう」と返した。だけど、心の中にはまだ拭い去れない不安が渦巻いていた。


 そんな私の心中をよそに、奈々は昨日、私が連絡もせずに先に帰ったことについて問い詰めてきた。


「昨日はなんで私を置いて先に帰っちゃたの?連絡も返してくれなかったし、心配したんだからね!」


 奈々の言葉に、一瞬胸が詰まる。私はどう言い訳しようかと迷いながらも、口を開いた。


「ごめん、ちょっと気分が優れなくて……帰ってからもすぐ寝ちゃって、連絡も確認できてなかったの」


 告白を覗き見してしまった罪悪感と、彼女の前で弱みを見せたくないという気持ちが、私に嘘をつかせた。奈々は心配そうに私を見つめたが、それ以上は何も言わなかった。それがかえって胸に痛みを残した。


 奈々の問いに対して嘘をついてしまった後、私たちは少し気まずい沈黙の中で学校へと向かった。いつもなら自然に会話が弾むはずなのに、今日はどこかぎこちない。教室にはクラスメイトたちの笑い声や雑談が響いていたけれど私の耳にはまるで遠くの音のようにしか聞こえなかった。


「本当に大丈夫?無理しないでね」


 奈々は優しい声でそう言ってくれた。その声には心配が滲んでいて私の胸はさらに重くなった。嘘をついたことへの罪悪感がじわじわと私の中に広がっていく。


「うん、大丈夫」


 私はできるだけ自然に微笑んでみせたけれど心の中は乱れていた。奈々に心配させたくない、でも本当の気持ちは伝えられない。そんなジレンマが私を苦しめていた。


「それなら良かった。でも、もしまた何かあったらちゃんと私に言ってね」


「ありがとう、奈々。でも本当に大丈夫だから」


 奈々は私のことを心配してくれるが、そのやさしさが今の私には逆効果で私の心を曇られていた。


 学校へと到着し私たちはそれぞれのクラスへと別れた。


「奈々、また後でね」


「うん、また後で」


 授業が始まると私はなんとか頭を切り替えようとしたけれど、奈々への思いが頭の片隅から消えることはなかった。奈々が昨日あの男子に告白された瞬間が何度も頭の中で再生される。


 彼女がその告白をどう受け止めたのかどうしても気になって仕方がなかった。


 放課後になっても私は奈々のもとに向かうべきか迷っていた。もしも彼氏と帰るからと断られたら私は立ち直ることができないだろう。そんな不安に押しつぶされそうになっていた私の元に奈々からLineで一通のメッセージが届いた。


『いまどこにいるの?今日はちゃんと一緒に帰ろう』


 その短いメッセージはまるで魔法のように私の心を軽くし自然と奈々の教室へと足が向かった。


「美咲!遅いよ~!」


 教室に到着すると頬を膨らませながら私を待っていた奈々がいた。彼女のその姿を見た瞬間、私は少しだけホッとした。「ごめんね」と私が謝ると奈々はすぐに遅れた理由を尋ねてきた。


「ホームルームが少し長引いちゃって…」


「嘘だ~。だって美咲のクラスの子、さっき私のクラスに来てたよ?ホントは告白でもされていたんじゃないの?」


 私のバレバレの嘘をよそに、奈々はからかうように笑いながら聞いてきた。私は奈々とは違って、これまでモテたためしがない。

中学時代も告白されたことなど一度もなく、仲の良い男子すらいなかったのだ。それを知っているはずの奈々がそんなことを言ってくるなんて、昨日の告白で浮かれているのだろうか。――そんな思いが胸を痛めた。


「私がモテないことは奈々が一番知ってるでしょ~」


心の中の痛みを隠すように、私は笑いながら冗談混じりに昨日のことを確認することにした。


「むしろ奈々こそ、昨日教室にいなかったのは告白でもされてたんじゃなくて?」


 奈々は一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに微笑んで「そんなんじゃないよ~。それに、美咲のほうがずっと素敵なんだから!」と返してきた。


 その後、私たちはいつものように校舎を出て並んで歩き始めた。けれども、昨日の出来事が頭から離れず、私はどうしても普段通りに振る舞うことができなかった。


 奈々は何かを話したそうに私を見つめていたが、私はその視線を避けるように前を向いたまま歩いた。心の中で何かがくすぶっているのに、それを口に出す勇気がなかった。


 もし奈々が昨日のことを話し始めたら、私はどう反応すればいいのだろう?そんなことを考えながら、一歩一歩を踏みしめるように歩いた。


「美咲…」


奈々が声をかけてきた瞬間、私は立ち止まった。心臓がドキリと跳ねる。彼女が何を言おうとしているのか、それがわからなくて、恐怖に近い感情が私を支配した。


「さっき言ってた昨日のことだけど…」


 奈々が言葉を切りながら、私を見つめる。その瞳の中には、何かを伝えたいという強い意志が感じられた。私の心は焦りと恐怖でぐるぐると回っていた。彼女が続ける言葉を聞くのが怖かった。


「実は…」


 言葉が途切れた瞬間、私は思わず言葉を遮ってしまった。


「奈々!あの…今日は一緒にアイスでも食べて帰らない?」


 不自然なほど明るい声で、私は話題を強引に変えた。奈々の言葉を聞く勇気が出なかった。もし奈々があの男子との関係について話し始めたら、私はどうしていいのか分からなくなってしまいそうで。


 奈々は少し驚いた表情を見せたけれど、すぐに微笑んで「いいね」と答えてくれた。しかし、その微笑みがどこか寂しそうに見えたのは、きっと私の気のせいじゃなかったと思う。


 その後、私たちはアイスクリームを食べながら、他愛のない話をした。けれども心の奥底では、奈々との間にできた微妙な距離感を感じずにはいられなかった。何かが変わってしまったという感覚が、私を苛む。


 帰り道、夕焼けに染まる街並みを歩きながら、私は奈々の横顔をそっと盗み見た。彼女は楽しそうに笑っているけれど、その笑顔の裏に隠された本当の気持ちを知る勇気はまだ私にはなかった。


 家に着くと、奈々は「また明日ね」といつものように手を振って帰っていった。その後ろ姿を見送りながら、私は複雑な感情に押しつぶされそうになった。


 奈々に何かを言われる前に、自分の気持ちに向き合わなければならない。


 そうしなければこのまま私たちの関係はすれ違ったまま、二度と元に戻れなくなってしまうかもしれない。


 でも、私はその一歩を踏み出す勇気が出せなかった。


 その夜、ベッドの中で私は何度もその日のことを思い返した。


 奈々があの男子に告白されたこと、私がその瞬間から目を背けたこと、そして、彼女が何を言おうとしたのか。それらがぐるぐると頭の中を巡り、眠ることができなかった。


 しかし、このままではいけない。この気持ちを抱えたままでは奈々との間にできた溝がどんどん広がってしまう。


 私は何とかしなければならないと感じながらも、具体的に何をどうすればいいのか分からず、ただ時間だけが過ぎていった。

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