第10話

「ジル!」


 駆け寄ると、ジルの胸元から鮮血がにじみ出ている。その赤はリーズが見ている間にも、見る見るうちに広がり、彼の上半身のシャツを赤に染めた。


「ジル、どうして弾丸を受けたの」


 リーズは少しでも血を止めたくて、マントを脱いで傷口に当てて圧迫する。だが、それをあざ笑うかのように、赤は広がっていく。


「……リーズが、小竜を傷付けたくないと、思っていたから」


 荒い息の合間に、ジルが答えた。その内容に胸がぐっと痛くなる。


「ジルが、怪我する方が嫌だよ」

「そうか、嬉しいことを、言ってくれる」


 ジルが笑おうとして咳き込んだ。口からも赤が飛び散る。


 内臓まで深く傷がついているのだ。ジルの特異体質があっても、治癒出来るのか分からない。怖くてジルの傷を圧迫している腕が震えてきた。


 ジルの状況などお構いなしに、小竜が大きなあくびをした。誰に守られたと思っているのだと言いたくなる。だが、小竜にとっては関係のないことらしく、立ち上がると翼をゆっくりと広げた。そして、逞しい足でトンっと飛び上がるとそのまま翼を上下に羽ばたかせ、あっけなく森の方へと飛び去っていった。


「帰ったの……?」

「魔法薬の、効能で、眠そうだった。自分の巣で、寝るのだろう」


 小竜が飛び去り、そこにはリーズと死にそうになっているジル、そして魔法銃を撃った姿勢で固まっているカイルが残された。


「お、俺は、あの小竜を倒そうとしただけだ!」


 小竜がいなくなったことで我に返ったのか、カイルがこちらに駆け寄ってきた。


「何が仰りたいのですか」

「俺は、小竜を倒そうとしたのであって、その弾丸をわざと受けたこいつが悪いんだ」

「だから、何が言いたいのですか」


 この惨状になってまでも、自己保身の言葉しか出てこないのだろうか。苛立ちで頭の中が煮えくりかえりそうだ。


「俺は悪くない!」


 カイルは顔を真っ赤にして叫ぶ。最終的に言いたいことが、謝罪ではなく己の責任逃れだなんて。

 こんな人に構っていたところで、ジルの怪我がなかったことになるわけではない。リーズにとってはジルの容態の方が、いや容態だけが重要だ。


 リーズは視線をジルに戻す。ジルは青白い顔でリーズを見つめていた。ほんの少しの時間だけとはいえ、よそ見をしていたことが申し訳なくてたまらない。


「ジル、ごめん。私が店の手伝いを頼まなければ」


 今でも森の中の小さな家で、一人で魔法薬を作る日々を過ごしていたはずだ。こんな馬鹿な貴族に撃たれるなんてことは起こらなかった。


「……謝罪は、不要だ。我は、後悔していない」


 ジルが手をこちらに向けてきた。でも、力がもう入らないのか、途中で地面に落ちそうになる。リーズはとっさに握りしめた。ジルの血で染まった手で。綺麗だったジルの手が汚れてしまったことが無性に悲しかった。


「リーズ、好きだ」


 かすれた声、だけど、意思のこもった響き。


「えっ」

「何度でも言う、我は、会ったときから好きだった」


 聞こえていなかったわけじゃない。だけど、重ねられた告白に、リーズの胸はこれでもかといっぱいになる。ジルが死にそうだという恐怖、後悔、そこに驚きや嬉しさが混じってきて、もう感情がぐちゃぐちゃで訳が分からない。


 でも、答えなくてはと思った。ジルの意識があるうちに。


「我は、リーズに会いたくて、ここに来た……楽しかった」


 弱々しくジルの手がリーズの手を握り返してくる。それが、ジルの愛情だと思った。こんな状況になっても、リーズにひたすら思いを伝えてくれることが、苦しいほど嬉しくて切なかった。


 リーズだって、ジルが大好きだ。恋愛かなんて分からないけれど、ジルのことは出会った頃から好きだった。むしろ可愛らしい姿に一目惚れだったと言えなくもない。それくらい、会った瞬間からジルと過ごすのは楽しくて、毎日が輝いていて、離れることになって悲しかった。

 成長して姿が変わっても、性別を誤解していたとしても、好きだった気持ちは本物だ。そして、この街で一緒に過ごした日々はまだ短いけれど、ジルはいつもリーズを優先してくれた。かと思えば隙あらば甘えてきたりして、昔と同様に可愛かった。

 そう、やっぱりジルが大切なのは変わらない。


「私も、ジルが大好き。だからお願い、死なないで」


 ジルが眩しそうに目を細めた。


「はは、両想いだ……忘れない、から……な」


 小さく笑みを浮かべ、満足そうに目を閉じてしまった。


「ジル?」


 声をかけるももう反応がない。


「嘘でしょ、ねぇ、返事して、目を開けて!」


 ジルの手からも握り返す力が感じられない。でも、信じたくなくてリーズは血まみれの手に力を込める。すると、血で滑ってジルの手が地面にぼとりと落ちた。


 命がリーズの手からこぼれ落ちたのだと思った。


「いやぁぁぁ!」


 なんでこんなことになってしまったのだ。今日はいつものように店を開けて、常連のお姉さんの相手をしたりして一日が過ぎるはずだったのに。


 カイルが来たから。カイルが婚約を断られてヘソを曲げたから。待って、なら、ジルが死んだのもリーズのせい? 嫌だ、そんなの認めたくない。でも、もうジルは動かない。脈も感じない。これだけの血を流したのだから当然だろうとも思う。いくら特異体質で体を小さくして傷も小さくするとはいえ、死ぬような傷は小さくなったところで命が尽きれば意味がない。人間、死んだら終わりだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る