第8話

 カイルが訪れた翌日、いつも通りに店を開けたが、どうにも雲行きが怪しい。先ほどまで晴れ渡っていたのに、急にどんよりとした雲が空を覆い隠してしまった。


「風も強くなってきたわ。外に商品を陳列するのは止めた方がいいわね」


 基本的には建物内に商品を置いているが、安い雑貨などは大きな籠に入れて店先に出しているのだ。道行く人が雑貨に目を留め、籠の中の掘り出し物を求めたり、はたまたそこから店内の商品にも興味を持って入ってきたりする。


「嵐が来る気配だ」

「そうね。雨もそのうち降り出しそう」

「違う。雨よりももっと危険なものだ」


 ジルはつぶやくように言うと、店の外に出て遺跡のある方向を見た。つられるようにリーズも横に並び視線を向けると、あまりに異様な光景に目を丸くする。


「何あれ、竜巻? いや、にしては渦を巻いてないか」


 まだ街の外だが、土煙が空まで高く舞い上っている。そして、その土煙は間違いなく街の方へと近づいていた。


 呆然と土煙を眺めていると、にわかに街の様子が慌ただしくなってきた。土煙の方向から人々が逃げるように走ってきたのだ。


「逃げろ! 暴走した小竜(しょうりゅう)が来るぞ」


 その中に冒険者らしい身なりの男性がいて大声で叫ぶ。


 小竜とは名のごとく小さなドラゴンだ。前足は短く、普段は地上を二足歩行で移動しているため後ろ足は太く逞しい。そして、ドラゴンというだけあり立派な翼を持っている。長距離を移動するときや、狩りをするときはその翼で空を飛ぶのだ。


 だが、普段は人里離れた森に住んでいるのに、どうして街に向かって来ているのだろうか。野生の小竜は人間を見れば通常は逃げていくというのに。


 リーズの目の前を、別の冒険者達が走って行く。


「あの貴族の野郎、喰われてんじゃないか」

「自業自得だろ。とんだとばっちりだ」


 すれ違いざまに聞こえた会話に、嫌な予感がした。貴族の誰かが何かをやらかしたせいで、小竜が街に来ているのか? 脳裏に昨日会ったカイルの姿がよぎる。まさか、別人だろう。いくらなんでもそこまで浅はかな人ではないと信じたい。


 小竜の甲高い鳴き声が響いた。あれは相当興奮しているときの声だ。あの興奮状態のまま街で暴れられたら、建物は尻尾で破壊されるだろうし、捕まればかみ殺されるかもしれない。

 小竜は小さいとはいえドラゴンだ。尻尾を含めると人間三人分くらいの大きさがあり、暴れられたらひとたまりもない。


 ただ、人間が飼い慣らした小竜は馬のように乗ることができるため、一定の需要があるのだ。貴族でもほんの一握りしか小竜を所持していないから、飼うことがステータスになっており、捕まえて自慢しようとか売って儲けようとか考える人が存在している。


「リーズ。我等もここにいたら危ない」

「そうね。でも今から逃げて間に合うかな……あ、店の地下倉庫は?」


 外にいては危険だが、頑丈な建物はこの街の中には数えるほどしかない。一番近くて丘の上の礼拝堂だが、ここから少し遠いのだ。それに、街の人々の中には高齢だったり怪我だったりで走れない人もいる。彼らは運に任せるしかないのか。リーズの店の地下であれば、地上の建物がこわされたとしても、地下の空間が守ってくれるはずだ。絶対とは言い切れないけれど、被害から逃れられる可能性は高くなる。


「よい案だ。さぁ行こ――――」

「みなさん、小竜がこちらに来ています。礼拝堂まで走れない方は私の店へ。地下に倉庫がありますから」


 リーズは逃げ惑う街の人達に向かって声を上げた。当然、こんな小さな建物に非難するなど論外だと無視して走り去る人の方が多い。だが、高齢の方や幼い子どもを抱えている人がちらほらとこちらにやってきた。


「非難させてください。赤ん坊を抱えて礼拝堂までは走れそうにありません」

「どうぞ。安全とは言い切れませんが、外にいるよりはマシなはずです」


 若い女性を皮切りに人が集まり始めた。全員を店内に招き入れ、順番に地下への階段を下がってもらう。


 全員入れるかなと不安になってきたとき、地下への階段に割り込んできた人物がいた。前にいた人を押しのけて現れた姿に、リーズは目を丸くする。


「カイル様?」


 何度も転んだのか、肘や膝部分の服が破れている。髪はぼさぼさで顔も土で汚れていた。昨日とは全く違う様子に、先ほど打ち消した考えが再びよぎる。


「俺も避難させろ」


 血走った目をしたカイルが、リーズの両肩を掴んできた。指が食い込み痛みが走る。


「カイル様、落ち着いて。高齢の方や子どもが優先です。カイル様は最後になります」

「ふざけるな。俺は貴族だぞ」

「だから何です? 私はここの店主です。私の意見に従えないのなら礼拝堂まで走って逃げてください」


 こんな非常時にまで貴族を振りかざすなんて最低だ。リーズだって怖い。さっさと地下倉庫にもぐって扉を閉めてしまいたい。でも、その恐怖心を必死で押さえて、一人でも多く避難できたらと踏ん張っているのに。


「無理だ……あいつは俺を追ってきている。礼拝堂まで走っている間に捕まる」


 カイルが弱々しい声で言った。その瞬間、頭の中で何かが切れる音がした。


 乾いた音が響く。リーズは感情のままにカイルの頬を平手打ちしていた。だがその音を掻き消すように小竜の鳴き声が響き渡る。


「カイル様、どの面下げてここへ来たのです? どうして街に来たのですか。多くの人々の命を危険にさらすと何故気付かない!」


 情けなくて、腹立たしかった。国一番と言われるフロランス学園で、彼も優秀な生徒だったはずなのに、こんな簡単なことも分からないだなんて。


「怖かったんだ。誰かが助けてくれるんじゃないかって」

「だから、街に逃げてきたと?」

「そ、そうだ。困ったら助けを求めて何が悪い。そもそも、こんなことになったのはお前のせいだ。リーズが俺のことをないがしろにするから」


 カイルが涙目で睨み付けてくる。

 この非常時に何を意味不明なことを言いだしているのだろうか。そろそろ黙って欲しい。怒りでもう一発平手打ちをしてしまいそうだ。


「凄い成果を得られれば、リーズが見直すはずだと付き人が言うから。だから俺は遺跡に向かった。だが一日散策しても大した成果はなくて。だから、手っ取り早く、小竜を捕まえればきっとすごいって言うに違いないと思った」


 カイルが小竜に手を出したのは、リーズがきっかけ? そんな馬鹿なことがある……らしい。

 怒りが高まりすぎて、胸が苦しくなってきた。街中の阿鼻叫喚な状況はリーズの責任なのか、いや、カイルのせいに決まっているではないか。自分の責任を押しつけてくるなと叫びたい。


「リーズ、小竜が着地したぞ」


 ジルの冷静な声に、混乱した意識が少し鎮まった。今はとにかく小竜を落ち着かせ、森に返すことが最優先だ。


「カイル様。とにかく小竜に見つからないように姿を隠してください。いいですね」


 カイルはフードのついたマントを着ていたので、頭にフードを被らせる。


「あ、あぁ。地下に行って良いのか」

「仕方ありません。それに、駆け込んでくる方ももういないみたいなので」

「悪い、助かった」


 カイルはそう言うと、さっさと階段を下りていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る