第6話
「ジル。教えてちょうだい。どうして怪我をしていないのに、幼くなってしまったの」
「……誤魔化せぬか」
「やっぱり、うやむやにしようとしたのね」
危うくジルの誘導に乗ってしまうところだった。だが、ジルが誤魔化そうとしたということは、言いたくないような訳があると同義だ。あまり無理やり聞き出すのは良くないかもしれないが、純粋に心配なのだ。急に外で体が小さくなってしまったらどうするのだ。どこぞの変態にさらわれてしまうに決まっている。
リーズは膝をつき、ジルと目線を合わせた。
「お願い。ジルに何が起こっているのか教えて」
真剣な表情で訴えると、ジルも逡巡のすえ口を開いてくれた。
「我が特異体質だというのは言ったな」
「えぇ。怪我をすると、その怪我ごと小さくなることで早く治ろうとするんでしょ?」
「そうだ。だから、これも同じ原理だ」
「……え? じゃあやっぱりどこか怪我してるってこと?」
ジルの言葉に冷や汗がにじみ出る。いったい、いつ怪我をしたというのだ。カイルが去り際になにかしていったのだろうか。
「体はなんともない。怪我をしているのは『心』だ」
「こころ?」
すぐには理解できず、思わず首を傾げていた。
「我は魔法薬の副作用で、傷を小さくするために幼児化する体質になった。だが、副作用は物理的な傷に限った話ではない。心も傷つけば同じように幼児化してしまうのだ」
つまり、ジルが傷つけば、それが体であろうと心であろうと全部ひっくるめて『傷』と判断する。その傷を小さくすべく体が小さくなるということか。
「で、でも、体が小さくなっても、心の傷は小さくはならないのでは?」
「そうだ。だから困っている。物理的な傷は小さくなることで治りは早くなる。でも精神的な傷はそうはいかないから長引く」
ならば、どうすれば良いのだ。現状、心の傷でジルは小さくなってしまった。こんな可愛らしい少年姿で働かせるわけにはいかない。
「そもそも、今のジルは何に傷ついているの?」
ふと前提である、心の傷が不明なことにリーズは気付いた。
「たくさんあるぞ」
「えー、そんなに? 婚約話が来たことをジルに隠したくらいしか思いつかないけど」
「それも当然傷ついた。隠されたことも悲しかったし、リーズが知らぬ間に他の男のものになっていたかもしれない、そう思ったら怖かった」
ジルが小さな手でリーズの服の袖を掴んできた。その手は弱々しく震えていて、胸がぐっと切なくなる。
「ごめんね。ジルがそこまで落ち込むとは想像できてなかった」
「それだけじゃない。店が父親との取引になっていたことも、教えて欲しかった。分かってる、リーズがどうして黙っていたのか。我に気を遣ってくれたんだとちゃんと理解している。でも、我の頑張りが足りなくて、リーズの婚姻が勝手に決められる未来があったらと思うと、息が詰まりそうなほど怖い」
「そこまで思い詰めないで!」
ジルは責任感が強すぎではなかろうか。リーズとしては父との取引はもちろん成し遂げるつもりだったが、それとは別に、ジルと一緒に過ごせることが純粋に楽しみだったのだ。実際はジルが女の子ではなかったことで出鼻をくじかれたが、それでも、ジルはジルだった。優しくて、ちょっと甘えん坊で、でも真面目に働こうとしてくれていた。だから、毎日がとても充実していたし、リーズはやっぱりジルを店に雇って良かったと心から思っている。
「まだある」
「うそ、そんなに傷ついてるの? なんか本当ごめん」
「我を信用していないのだと思った。だが、リーズは我の魔法薬を大切に扱ってくれた。それは我のことを真剣に考えてくれている証拠。我のことを大事に思ってくれているからこそ、言わなかったのだ。それなのに、信用してくれないとリーズの心を軽く見た自分が、何よりも情けなくて、許しがたい」
リーズの袖を握る小さな手に、ぎゅっと力が入った。その仕草に、心のそこから悔いているのだというのが伝わってくる。
可愛いなと思った。今の見た目はもちろんだが、中身が本当に愛らしい。こんなに純粋で、綺麗で、真っ直ぐで。
リーズの胸の奥底から表現しがたい気持ちがあふれてくる。
「ジル!」
気付けば少年姿のジルを抱きしめていた。
「リーズ?」
「ジルは優しいね。大好きだよ」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ、頭を撫でて欲しい」
ジルのおねだりを断る理由もなく、艶やかな髪に触れる。丸く小さな頭にそって、するっと撫でると、ジルは気持ちよさそうに目を細めた。まるで猫のようだ。気まぐれな猫が、自分だけに懐いてくれているような、そんなくすぐったい気持ちになる。
すると、ジルの頭の位置が少し上がった。
「いま、もしかして背が伸びた?」
「あぁ、リーズが我の心を癒やしてくれたから」
リーズが頭を撫でるだけでジルの心の傷は癒えるのだろうか。だとしたら、お安いご用だ。
「じゃあもっと撫でたら、大人のジルに戻る?」
「戻る。だから、もっと我を甘やかしてくれ」
少し背が伸びたとはいえ、まだまだ少年の容姿のジルが上目遣いで言ってくる。可愛いの権化だ。何でもいうことを聞いてあげたくなる。
「任せて。ほら、ぎゅーってして、頭を撫でてあげる。あと、何がしてほしい?」
「……キス」
リーズに抱きしめられたジルが、おずおずと口をひらく。
「えっ」
それは犯罪では、とリーズの脳裏にいけない妄想が浮かぶ。
「おでこに、キスして欲しい」
ジルは恥ずかしそうに頬を染めている。
汚れた思考に落ちかけていたリーズは猛省した。あまりに健全で可愛らしいおねだりに、リーズは天を仰ぐ。
「いいわよ」
ジルのさらさらな前髪をかき分けると、まろいおでこが顔を出す。その神々しいまでの綺麗な肌に、そっと唇を寄せる。妙にどきどきとした。でも、どうかジルの心が少しでも早く癒えますようにと、願いを込めて口づけをする。その瞬間、ふわりと体が浮いた気がした。
「えっ?」
突然の浮遊感に、目の前の何かに抱きつく。すると、それはリーズの体を抱きしめ返してきた。
「ありがとう、リーズ」
大人の、しっとりとした低い声が聞こえた。
恐る恐る抱きついた先を見上げると、美青年の顔がこちらを見ているではないか。あの浮遊感は、ジルの背が急に伸びたせいで、一緒にいたリーズも宙に浮いたということらしい。
にしても、先ほどまで細くて柔らかかった腕も、今はたくましい筋肉に覆われた硬くがっしりとしたものに変わっている。リーズを支える腕が力強く、リーズが手を放しても足が床につかなかった。
要するに、先ほどとは逆で、リーズがジルに抱っこされているような状態だ。急に男としての腕力を感じて、ぞくりと背筋に緊張が走った。
「ち、近い」
すっきりとした輪郭にさらりとした髪が掛かり、窓からの光に反射して煌めいている。そして何より、涼しげな瞳に、まるで眩しいもののように見つめられ、気恥ずかしくて顔を隠してしまいたい。自分が眩しいとかありえない、むしろジルの方が美しすぎて眩しいだろうと思うのに。
「リーズ、暴れるな。落ちてしまうぞ」
抱きかかえられているせいで、上手く手が動かせず顔を隠せない。だから、リーズは顔を下に向けようとした。だが、ジルがおでこにおでこを押しつけてきて、強制的に目を合わせられる。伝わる体温に、余計に心臓がうるさく暴れ出した。
「いや、降ろしてよ。こんな抱っこされている状態恥ずかしいわ」
このままでは心臓が保たない。動揺の余り声も上ずってしまう。
「……我も恥ずかしいのだ」
「えっ?」
何が恥ずかしいのか分からず、きょろきょろと視線を動かそうとするも、それを阻止するかのようにジルがぐりぐりとおでこを押しつけてくる。
「下を見ないでくれ」
「下?」
「だから、見るな」
「……あ!」
やっとジルが下を見るなと言う理由に気が付き、己の理解力のなさに恥ずかしくなった。
「下着は伸縮性があるから無事だ。でも、ズボンは脱げた。まぬけな格好だから見ないで欲しい」
ふて腐れたような口調でジルが白状する。
「ふふ、だからこうして見られないように捕まえているの?」
「……まぁ、それもある」
外見は見惚れるほどの美形でも、中身はやっぱり可愛らしい。大人に戻ったジルの力強さに、少し怖さも感じた。けれど、それはただの杞憂だったようだ。
少年の姿は守ってあげたくなるほど可憐で、青年の姿は直視するのも躊躇う美しさ。ジルはどちらの姿でもリーズを翻弄してくる。まったく、心臓に悪い親友だなと思うリーズだった。
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