第5話

「な、なんか白昼夢でもみた気分」


 リーズは苦笑いを浮かべ、肩をすくませる。


 ジルの作る魔法薬は効き目が抜群に良いのを知っているだけに、カイルがこぼした言葉は本音なのだと思う。だけれども、学園でのカイルの様子と今の言葉達が全く結びつかないのだ。


「リーズ、あの客人から婚約の申し入れがあったというのは本当か? 手紙にはそんなこと、一言だって書いてなかった。リーズは我達の間には秘密は無しだと言っていたのに」


 確かに言った。ただし、幼少のころだが。あの頃は体験したこと感じたこと、すべて伝えることが可能なくらい、リーズの世界は狭かったのだ。


「ごめん。でもね、受ける気なんて全くなかったから手紙にも書かなかったの」


 嫌がらせかお金目当ての最悪な婚約話だと思っていたので、ジルには変な心配は掛けたくなかったのだ。あの頃は再会前だからジルのことを女の子だと思っていたし。こんな話を聞いたら、ジルの結婚への印象を悪いものにしてしまうかもしれないという不安もあった。


「結果的に断ったみたいだが、もしかしたらあいつと結婚していたかもしれないんだろう?」


 心なしかジルがしゅんと項垂れている。


「うーん。そうなんだけど、なんというか」

「ん? 何かあるのか」


 実は、何かあるのだ。ジルには話していないことが。でも、この様子だと、言ったらもっと元気が無くなってしまいそうである。


「言っても怒らない?」

「……善処する」

「それ絶対怒るやつでしょ。怒らないって誓うなら言う」

「…………分かった。怒らない」


 ものすごく不服そうだが、言質は取った。


「なら話すね。実は父様が乗り気だったのよ、あの婚約」

「は?」


 地底から響いてきたような重々しい声だ。店の中の空気も重い。


「怒るならもう話さない」

「……怒ってないから、続きを」


 ジルが無理やり笑みを浮かべた。口元が引きつっているけれど。まあ、努力は評価しよう。


「カイルは伯爵家の次男で、学園の試験では毎回十位以内に入るくらい優秀なの。黙っていればそこそこ見た目も良いから、女子生徒の中では人気もあったのよ。つまり、家柄があって優秀で容姿も良いと三拍子そろってる。しかも、婚約の申し入れに来たときは猫被っていたから、私に対しても優しい態度だったの。まさに好青年ってかんじだったから父様は喜んじゃってね」

「でも、結果は断ったんだろう? どうやって説得したんだ?」

「取引よ。カイルと結婚しないのなら、結婚したときに得られたであろう利益と同等のものを示せと言われたの。カイルと結婚したら貴族との交流も増えて、取引先がさらに拡大しただろうから」

「もしや、この店を一人でやろうとしていたのは」


 ジルの顔色がだんだんと悪くなっていく。


「勘が良いわね。そうよ、私が商人として実力をつけて、貴族と結婚する以上の利益を出すことが条件。だから、ブランザ商会の優秀な人材は寄越してくれない。あくまで私の力で店を開き、人員を育て、店を繁盛させること。期限は一年。今のところ順調な滑り出しだけど、父様の示した数字に届くかはまだ分からない」

「出来なかったら、どうなる?」

「父様の決めた相手と、問答無用で結婚」


 リーズはひょいと肩をすくめた。


「な、なぜ……そんな大事なことをもっと早く言ってくれないのだ」

「これは私個人の取引よ。ジルは関係ないわ。それに言っても言わなくても、ジルは手を抜くような子じゃないでしょ?」

「だが」


 ジルはよろよろとした足取りでリーズの前に来た。眉尻を下げた情けない表情。でも、ジルがやると愁いを帯びた美しい表情になる。


「我はずっと森に引きこもっていた。リーズのように愛想良く接客は出来ない。リーズの足を引っ張っているのではないか」


 リーズは、ジルの頬にそっと手を伸ばした。儚く消えてしまいそうに思えたから。

 すると、ジルはリーズの手に頬をさらにすり寄せてきた。その甘えるような仕草に、胸が騒ぎ出す。ジルと毎日顔を合わせているとはいえ、こんな風に至近距離で見つめられることなど再会した日以来だ。


「ジルは良くやってくれているよ。女性客なんてほぼジルのおかげだし」

「教えてくれていれば、もっといろいろ出来た。客をおびき寄せる薬香を店先で焚くとか、飲めば命と引き替えに眠らずにいくらでも働き続けられる薬とか、切ったら即死させることが出来る猛毒を塗った剣とかも作ろうと思えば作れたのに」

「いや、どれも物騒!」

「なぜだ。薬香以外の二つは、冒険者なら欲しいだろう?」


 心底不思議だという表情をジルは浮かべている。


「欲しい人はいるかもだけど、売ったら駄目なやつよ。危なすぎるわ」

「なら、少し効果を落とせばどうだ」

「それなら売っても大丈夫かもしれないけど……。もう、だからジルには言いたくなかったのよ」

「どういう意味だ」

「それは私の力じゃなく、ジルの力になっちゃうもの」

「我を雇ったのはリーズだ。リーズの功績になるに決まっているだろう」


 そうかもしれない、理屈では。でも、どうしてもジルに頼ってしまったという気持ちは拭えない。それで父の出した条件をクリア出来たと胸を張って言い切れるだろうか。


「今からでも遅くない。我の魔法薬を売りだそう」

「無理。ジルの魔法薬を買える冒険者なんて一握りよ」


 手紙のやり取りで、ジルは基本的に依頼を受けて魔法薬を作っていると教えてくれた。その際に渡される金額は、内容にもよるらしいが、一回依頼を受ければ一年は過ごせるくらいだという。いくら森の中でお金をあまり使わない生活をしていたとはいえ、丸一年過ごせるなら銀貨百枚はあるはずだ。


「別に買える値段に設定すれば良いではないか」

「それだけは絶対に駄目。ジルの能力を安売りなんてさせられない」

「リーズ……まったく、そういうところが本当に」


 ジルが泣き笑いのような表情でリーズを見つめてくる。

 あれ? 何で見上げなくても目が合うのだろうか?

 リーズがふいに疑問に思ったとき、さらにジルの頭の位置が下にいくではないか。


「えっ、なんで」


 気付けばジルは再び少年姿に縮んでいた。シャツが大きすぎて片方の肩が見えている。


「あー、参ったな」


 ジルが小さな手で己の頭を掻いている。声も一気に幼さの残る甘いものになっていた。


「かわっ……いいけど、なんで? まさか、どこか怪我したの?」


 可愛い姿に心を一瞬奪われ掛けたが、ジルの特殊体質に思い至りリーズは青ざめる。

 ジルの両手を握り、血が出ていないか素早く見た。特に見当たらないので、今度は脇に手を入れてジルを持ち上げる。ズボンは床に落ち、シャツがワンピースのようだ。まるで持ちあげられた猫のようにジルの両足がぷらぷらと揺れる。右側、左側とジルの体を確認するも服は破れておらず肌にも傷がある様子はない。


「怪我はしてなさそうだけど」


 ならば何故、ジルは再び少年まで戻ってしまったのだろう。


「リーズ、大胆だな。そのようにしげしげと体を見てくるとは」


 幼い声にたしなめられて、リーズはふと冷静になる。ズボンの脱げた子どもを捕まえてじろじろと見ているなんて、ただの変態行為ではないかと。


「ご、ごめんなさい。他人に体を見られるなんて嫌だったよね」


 リーズは慌ててジルを床に戻した。


「構わないぞ。リーズは将来を約束した相手だからな。ほら、愛でたいのなら愛でればいい」


 ジルが笑みを浮かべると、ふくよかなほっぺたがむにゅっと持ち上がる。


 あぁ触れたい、もちもちとした弾力を感じたい、可愛いジルを抱きしめたい、匂いを嗅ぎたい。

 どうあがいたところで、幼いジルは花の妖精のように可憐だ。可愛いは正義。


 リーズは嫌なことがあっても、昔から可愛いものを見れば心が癒やされ元気になれた。可愛いは最強なのだ。そんな可愛いの権化が目の前にいる。ふくふくとした頬が無防備にリーズを誘っていて、それを無視するなんて到底できっこない。でも――――流されてはいけない。


 リーズは手をぎゅっと握りしめ、己の荒ぶる欲望を押しとどめた。


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