第4話
その後もジル目当ての客が数人来たが、特に何か起こるわけでもなく過ぎていった。そして昼になろうかという時刻に、新規客が来店してきた。
「いらっしゃいま……せ」
リーズは挨拶が途中で途切れ、浮かべていた接客用の笑みも思わず引きつってしまう。
「なんだ、小さな店だな」
値踏みするように店内を見渡しているのは、良い身なりをした青年だった。仕立ての良いシャツの上にベストを着て、旅用の真新しいマントを羽織っている。金髪の碧眼で、すらっとしていて見目は良い青年だ。後ろに二名連れもいたが、店の入り口付近で待機している。彼らも質素だが身綺麗な格好であった。
「お久しぶりです、カイル様。ですが店の大きさ以前に、ここは冒険者用の店です。あなた様がお買い求めになるようなものは置いておりませんよ」
なので、さっさと出て行ってくれと思いながら言い返す。カイルは伯爵家の次男坊で、つい先日卒業したフロランス学園での同級生だ。平民のリーズをことあるごとに目の敵にして絡んできた相手でもある。
「決めつけは良くないなぁ。俺は客だぞ。ちゃんともてなせよ」
リーズは店内を見渡す。やっかいそうな客が来たと思ったのか、他の客はそそくさと出て行ってしまった。営業妨害にもほどがある。しかもジルはちょうど昼休憩を取っているので、店内はリーズとカイル達だけだ。
「では改めて、いらっしゃいませ。何かご入り用でしょうか」
「ドラゴンの爪」
「……ございません」
そんな希少なもの、首都の本店でだってめったに店に並ばない。
「黄金蛙の油」
「…………ございません」
鮮度が落ちたら使い物にならない油なので、使うときに予約して取り寄せるのが通常だ。在庫として置いておくようなものではない。
「はぁ、何ならあるんだよ。本当に使えない店だな。やる意味あるのか? 客だって俺ら以外にいないじゃないか」
カイル達さえ来なければ、客はちゃんといたというのに。じわじわと腹が立ってくるが、我慢だと自分に言い聞かせる。
「まだ開店して十日ですから。これからです」
にっこりと笑みを貼り付けて言い返す。
「こんな店のために、俺の求婚を断ったとはな。庶民の考えは意味が分からないな」
カイルが棚に置いてあったコップを手に取り、半目で眺めている。静かな口調なのが逆に不穏だ。
「その節は申し訳ありません。まさか貴族様から求婚されるなど青天の霹靂。我が身には過ぎたることゆえ、お断りした次第です」
学園卒業が近づいたころ、何故かリーズに婚約話が舞い込んだのだ。貴族と違い、平民であるリーズには特に許嫁はいなかった。フロランス学園へ通うことはある意味ステータスになるので、卒業間近に良縁が舞い込むというのはよくあることだ。だが、まさか伯爵令息から婚約の申し込みがあるとは夢にも思っていなかった。なにせ、リーズに突っかかってくるいけ好かない相手だったのだから。
当然、そんな相手と結婚などしたくない。だが、父は伯爵家からの婚約話だから、身分の低いこちらから断るのは難しいと言ってきた。加えて、伯爵家と縁続きになるのは商売をしている分には有利にもなるしと。
「へぇ。普通はありがたがって、そっちから逆にお願いしますと言うべき話だろう。お前のような身分もなく可愛げのない女など、他にもらい手があると思っているのか!」
カイルが、ガンっと思い切りコップを棚に打ち付ける勢いで戻した。それ売り物なんだけれどなと思いつつ、もうとにかく帰ってくれと願うばかりだ。
「もらい手は意外とありますよ。我が家は身分はないですが、お金はありますので。父はこの国の中でも指折りの商人です。その娘である私と縁を持ちたい方はいらっしゃいますよ」
現にカイルだって金目当てに決まっているのだ。伯爵家がお金に困っているかは知らないけれど、何か事業を新たに始めるから資金が要るのかもしれないし。とにかく気に入らない自分に求婚するなど、お金目的以外に考えられない。
「なっ、貴様、俺が金に目が眩んだ守銭奴だとでも言いたいのか?」
カイルがカウンターに詰め寄ってきた。手を伸ばされたら掴まれてしまう距離に、リーズは一歩後ろに下がる。
「守銭奴とは申しませんが。けれど、お金目的でないならばカイル様が私に求婚する理由が分かりません。身分も可愛げもないのでしょう? 貴族の可愛らしい女性に求婚したらいいではないですか」
「ぐっ、ああ言えばこう言う。だから、そうじゃなくて、俺は……」
「なんです?」
「俺は、貴様が嫌いだから、嫁にしてこき使ってやろうと思っただけだ!」
斬新な嫌がらせだ。捨て身過ぎやしないだろうか。もっと普通に嫁にしたい相手を選んだらいいのにと思う。
リーズはもはや何と返したらいいのか分からず困ってしまった。すると、店の扉が開き、ジルが戻ってきたではないか。戻りの時間としてはまだ早いが、手には小さな盆を持っている。
「揉めているようだな。お客人、茶でも飲むか」
「は、誰だよあんた」
「我はここで雇われているものだ。ほら、飲むといい。落ち着くぞ」
ジルは盆の上に載っていたカップをカイルの前のカウンターに置いた。ふわりと紅茶の良い香りが立ち上る。
「ふん、しょせん顔かよ」
まるで顔で採用したようなことを言ってくる。まぁジルの顔が良いのは本当だし、それで女性のお得意様がたくさん出来たのも事実だが。
カイルがジルを睨み付けながら、紅茶を一口飲んだ。すると、ジルが少し笑った。
「お前、何がおかしい。まさか毒でも盛ったのか」
カイルの顔色が一気に蒼白になる。
「毒は盛ってない」
ジルはしれっと言う。だが、リーズは気付いてしまった。毒は盛ってないけど、何かを盛ったのだと。
「ジル、いったい何を入れたの」
「は、やっぱり毒入りか?」
カイルが死にそうな表情を浮かべるので、なんだか少し哀れに思えてくる。
「カイル様はちょっと落ち着いてください。ほら、お水です。これは何にも入ってないから安心してください」
水差しからコップに水を入れて渡す。だが、もう疑心暗鬼になっているのかカイルは口を付けようとしない。学園で習ったことを少しも活用できないらしい。こういうときは吐き出すか、水を飲んで体内に入ったものを薄めるべきなのだが。
「リーズ、これは別に体に害があるものじゃない。ただ、まぁ、心には少し傷がつくかもしれないが」
「どういうことよ」
「本音を言ってしまう薬を入れた」
しれっとジルが答える。
「貴様! なんてものを入れやがった」
「だって、リーズが困っていたから。お客人は、本当にリーズが嫌いなのか?」
「な、なんでそんなことに答えなくちゃいけないんだ」
カイルはリーズのことが嫌いに決まっている。だからさっさとカイルも答えればいいと思うのだが、カイルは視線をあちこちに飛ばしながら答えようとしない。
「別に、嫌いなら嫌いって答えればいいだけだろう。ほら、答えられないってことは、本当は嫌いじゃないってことになるが。実は好きだったりするのか?」
ジルがじわじわとカイルを煽る。
もう逃げられないと腹をくくったのか、カイルの視線が定まった。
「俺は、リーズのことが――――大好きだ!」
カイルは目を丸くして、口を右手でふさいだ。だが、聞こえてしまった言葉は取り消せない。
見る見るうちにカイルの顔は赤くなっていく。しまいには耳まで赤くなってしまった。
「ジル、本当に本音を言ってしまう薬なの?」
「もちろん。我の魔法薬は効き目抜群だぞ」
「……ええと、じゃあ、その、もしかして、カイル様は嫌がらせなんかじゃなく、本当に私と婚約したかったってこと?」
リーズは痛む頭を押さえる。
まさか、気になる相手に意地悪をしてしまうというアレなのか。でも学園に通っている間、カイルに数え切れないほど嫌味や意地悪を言われた。その度に不愉快になった気持ちがなくなりはしない。気にしないようにしていたとはいえ、やはり落ち込むときもあったのだから。
「な、なんだ、これ。ち、ちが――――わない、好きなんだ、うぐっ」
カイルは再び手で口をふさいだ。口を開けば開くほど、カイルは墓穴を掘っていくようだ。もう涙目になっている。
「お客人、素直になった方がいいぞ。好きな相手が鈍感な場合は特にな」
まるでリーズが鈍感みたいな言いぐさではないか。確かにカイルに好意を持たれているなんて気付かなかったけど、それはカイルの態度が悪いだけであって、決してリーズが鈍感なわけではないはずだ。
「う、うるさい。リーズが全然俺を見てくれないからっ」
どんどんとカイルの本音らしきものがこぼれてくる。もう口から手を放したら駄目だと思ったのか、手を重ねて両手で押さえ始めた。
ジルは生暖かい目でカイルを見ている。その視線に耐えられなくなったのか、カイルは後ろでおろおろしている連れ二人を残したまま出て行ってしまった。あっけに取られていた連れ達は我に返ると、慌てて追いかけていき、店内はリーズとジルの二人が残されたのだった。
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