第2話

 オルレアン王国は貿易路の集落から発展した国だった。大国と大国を結ぶ交易路の途中には古代遺跡が点在しており、そこには冒険者達が集まる。古代遺跡には財宝の他にも武器や魔道書など貴重なものが眠っているからだ。故に遺跡で貴重なものを発見して一攫千金を狙う者達は後を絶たない。その冒険者達と大国間で行き来する人々の中継地点として、オルレアン王国は栄えていた。


 そしてリーズ・ブランザは、オルレアン王国でも指折りの商家の娘だった。冒険者や旅人へ向けた道具屋が主だが、首都などの大都会では雑貨や飲食、服飾などにも手を広げている。そしてこの度、リーズは父であるブランザ商会の会長に新しい店を任されることになった。

 第三都市エーヴから歩いて一時間程度の場所に古代遺跡が見つかったのだ。発見されたばかりとあって、まだ奥まで潜入を果たした冒険者はいない。つまり、財宝が手つかずのまま残っているということで、これからますます冒険者が集まってくることが予想される。そのため、父はこのエーヴに支店を出すことにしたのだった。


 リーズはこの店を繁盛させられなかったら、首都にある実家に戻され、父の決めた縁談に従わなくてはならない。リーズはいろんな人と交流できる商売が好きなのだ。夫の帰りをひたすら家で待つなんて暮らしはまっぴらだった。だから、絶対に店を軌道に乗せようと気合いが入っていた。



***



 店の二階にあがり、二人で使おうと思っていた部屋に入る。さすがにベッドを二台も置くと、他のスペースは残り少ないが、クローゼットと棚がそれぞれベッドの横に用意されていた。


「それで、どうして駄目なんだ?」


 先に部屋に入ったジルが、くるりを向きを変えた。そして、閉めたばかりのドアに手を置く。まるで再び開けさせないようにと押さえているみたいだ。


「あの、ジル。少し距離が近いわ」

「ずっと離ればなれだったのだ。親友ならもっと近寄ってもいいだろう」


 そうかな? もっともらしく言ってくるけど、冷静に考えると意味が繋がってなくないか? 


「とりあえず腕をどけて欲しいかなぁって」


 リーズは恐る恐るジルを見上げた。そしてすぐにそらす。


 あぁ、直視できないくらい顔が整っていらっしゃる。記憶に残る幼いジルも人形のように可愛らしかった。だが、今は背が伸び、腕はたくましくなって、顔立ちも凜とした美しさが洗練されている。

 後ろはドア、右は荷物が積み重なってるし、左はジルの腕、そして前は言わずもがなジル本体だ。完全に囲まれている。


「どけたらリーズは離れるだろう? それは嫌だ」


 ジルがさらに一歩踏み込んできた。延びていたジルの腕が曲がり、息遣いさえ感じる。


「だ、だから近いの! ドキドキしちゃって話が出来ないわ!」


 どんとジルの胸板を押す。だが、鍛えているらしい筋肉の弾力に簡単に押し返されてしまう。


「……リーズ」

「な、なに?」


 そらしていた視線を、再びジルに戻す。ジルは目を見開いて、驚愕の表情を浮かべていた。


「力が弱い」

「そりゃ、ジルに比べたら弱いだろうけど。同じ年頃の女の子達よりは力持ちだよ」

「やはり我がいなくてはいけないと思う。そこにある荷物も運ぶのだろう? リーズには我が必要だ。だから、我に店を手伝わせて欲しい」


 確かにジルが来てくれる前提でいたので店番の募集はしていなかった。さすがに今から探しても、開店日までには見つからないかもしれない。なにせもう三日後には開店なのだ。

 労働力としてみたら、別に断る必要もないのかもしれない。ただ、ジルが一緒にここに住むつもりなのが問題なのだ。


 仕方ないと、リーズは大きく息を吐く。


「分かった。ジルを雇います」

「そうか。それは良かった。ではさっそく――」

「でも、住む場所は別に探すから」

「なんと!」


 この世の終わりかのように、ジルは頭を抱えてしまった。お陰でするっとジルの作った囲いから抜け出す。ジルと適度な距離を取れたおかげで、急に息がしやすくなった。


 たいだい、背が伸びすぎなのだ。身長差がありすぎて圧迫感がすごかった。前はリーズが少し大きかった位なのに。だからこそお姉さんぶってジルと接していたのだが、今はジルが高い位置から美麗な顔でしゃべってくるので、ひたすら圧倒されてしまって悔しい。


「よく考えてよジル。私達、もう十八歳よ。もう結婚をする子もいるような年頃なの」

「だから? 我とリーズは一生一緒にいようと約束したではないか」

「いや、確かにしたけど。あれは子どもの頃のことだし」

「だが、手紙でも何度かリーズは書いてくれた」

「そ、そりゃ、ジルが女の子だと思ってたから」


 大人になっても、お互い結婚したとしても、ずっと仲良くしていたいと思ったから書いたのだ。


「さきほどリーズは、我が男だろうと絆は変わらないと言ってくれたではないか」

「ぐっ、言った……けど」

「嘘をつくのか? 我は傷つくぞ」


 ジルは見るからに肩を落とし、いじいじと靴で床を擦り始めた。


 いい大人がそんなことしても滑稽な、だけ、あれ? 何だろう、心なしか本当にしぼんで見えてきた。どれだけいじけているんだと呆れる気持ちもありつつ、その仕草が一緒に野原を駆け回っていたころと重なって胸がぎゅっと切なくなる。あの可愛かったジルと、今の大きなジルは似ても似つかないはずなのに。やはりジルはジルなのだと突きつけられる。


「ジル? そんなに気落ちしなくても」

「気落ちするに決まっている。一緒に住めると思ってすごく楽しみにしていたんだぞ」


 ジルは恨めしそうにこちらを見てくる。背中を丸めているせいか、見事に上目遣いだ。垂れ下がった眉尻、心なしか潤んだ瞳、きゅっと結んだ唇。すべての部位がリーズを攻撃してくる。今のジルがやっても可愛いわけがないのに、どうしても脳内置換してしまうのか、可愛く見えてしまう。


「ジル。そんな顔で見ないで」


 思わず可愛さに頭を撫でたくなったが、必死に自分の手を自分で押さえた。


「嫌だ。時間はたくさんあるが、リーズと過ごせる時間は有限だ。今まではリーズが勉強のために学園へ通うというから、仕方ないと我慢できた。でも、その学園も卒業したなら我慢する必要はない。だから、我はどうしても一緒に住みたいのだ」


 ジルの上目遣いのうるうる感がさらに増した。ずるい。リーズより頭二つくらい余裕で背が高いくせに、どうしてそんな完璧な上目遣いが出来るのだ。健気に訴えてくる様に、手を伸ばしたくなってぷるぷるとしてきた。


 これはジルと目を合わせていたら確実に押し負ける。そう思ったリーズはふいっと視線をずらした。


「駄目です。いくら親友とはいっても、ちゃんと線引きは必要よ」

「ちっ、流されなかった」


 何かジルが小声でぼそりと言った。

 あれ、今、舌打ちした? ほんの微かな音だっただけに、聞き間違いかもしれないけれど。


「ジル? 今、何か言った?」

「言ってない。それより、本当に駄目か? リーズは綺麗になったから、店なんてやったらきっといろんな人に目を付けられてしまう。舞い上がった奴が夜に侵入してくるかもしれない。心配なんだ。あ、綺麗になったといったが、出会ったころだってすごく可愛らしかった。花の精霊かと思ったくらい」


 どの口が言うのだというようなことをつらつらと並べ立ててくる。花の精霊みたいだったのはジルの方ではないか。今だって十人中十人が美形だと答えるような姿に成長しているくせに。


「お世辞はいいよ。それに私に寄ってくるのはお金目当ての人だけ。わざわざ夜這いに来るような人なんて存在しないから」


 平民ではあるものの、リーズは儲けている商家の娘だ。実家の利益につられてすり寄ってくる人がいるのだ。


「そうか?」

「そうなの。断言しても良いわ」

「なら、我が一緒に住んでも問題なかろう」

「はい?」


 ジルは真顔で言ってくるが、どうしてそこに戻るのだ。彼の思考回路は良くわからない。


「我も男だ。でも、リーズは夜這いしてくる男はいないと断言した。ならば我も夜這いしない男にちゃんと入っているのだろう? それとも我は特別枠の男か?」


 さきほどから言質を取られてばかりで、どんどん苦しくなってきた。まるで逃げ道を自らふさいで自滅しているような気分だ。ジルはこんなにも粘り強い性格だったろうか? 甘えん坊ではあったけれど。


 ただ考えてもみて欲しい。平凡な容姿のリーズにとって、二度見するくらいの美青年と一つ屋根の下で暮らすなど心臓がいくつあっても足りない。いくら親友のジルだと分かっていても、視覚情報は慣れない美青年なのだ。

 部屋に入った途端に至近距離で囲い込まれたが、心臓がこれでもかと誤作動していた。ジルなのに。悔しさもありつつも、こんな美青年に育ったジルに見つめられたら、そりゃリーズだって戸惑うし、緊張もする。きっと、一緒に働くだけでもそういう場面は出てくるだろう。それなのに店が終わった後も一緒に過ごすなんて、心が休まらないではないか。


「ごめんなさい、ジル。やっぱり一緒は無理だわ。良い部屋を探すから、しばらくは冒険者向けの宿に泊まって。もちろん、私がその費用は出すから心配しないで」


 ポンと手のひら同士を打ち合わせる。これ以上の話し合いはしないと仕草でもアピールし、リーズはジルの荷物を外に運びだそうと手を伸ばした。

 すると、ジルが急に動き出す。上着の内側から何かを取り出したかと思うと、腕まくりをし始めたのだ。


「ジル…………えっ?」


 ジルは腕に短剣をあてているではないか。しかも、短剣は鞘から抜かれて刃が素肌に当たっている。少しでも動かしたら切れて血があふれ出すだろう。


「何してるの! 危ないわ」


 下手に触ると切れてしまいそうで触れられず、リーズはジルの回りを行ったり来たりすることしかできない。


「もうこうするしか、手段が残っていない」


 ジルは悔しそうに眉間に皺を寄せている。


「待って。そんな脅しは卑怯よ」

「卑怯でもいい。リーズが良いと言ってくれないなら最後の手を使うしかない」


 ジルは躊躇いもなく短剣を肌にめり込ませた。つうっと鮮血が刃痕に沿ってにじみ出る。


 待って欲しい。本当に切るなんて。体を傷付けて脅してくるとか何て酷い奴なんだ…………あれ?

 でも普通こういうときって、傷付ける前にもっと脅してくるものじゃないだろうか。あっさり切ったら脅しの意味が半減しないか?


 どういうことだと困惑しながらも、とりあえずは止血だと慌てて布を傷にあてようとした。だが、その手が止まる。


「ジル!」


 もうリーズは叫ぶしかなかった。


 だって、そこには出会った頃の可愛らしいジルがいたのだから。ぶかぶかの服をかろうじて纏ってはいるが、右肩はずり落ちているし、ズボンも足下にくしゃっと落ちていた。


「ち、ちぢんだ?」


 意味が分からず、花の精霊のようなジルを見下ろす。背丈はリーズのお腹くらいまでしかない。出会った頃の姿だった。


 リーズを見上げていた顔が、こてんと傾げられる。艶やかな髪が、その動きにそってさらりと流れた。見つめてくる瞳は丸く、色合いは澄んだ夜の湖の色だ。リーズが初対面で引き込まれた、神秘的な輝き。そして、愛くるしい小さな唇。それが、拗ねたように少しとがっている。


 か わ い い ぃ ぃ


 あまりの愛くるしさに、リーズは膝をついた。こんな天使、街で歩いていたらすぐにさらわれてしまう。はやく保護しなくては。あぁ、もうこの部屋に閉じ込めよう、うん、そうしよう。


 リーズは気付いたら小さくなったジルを抱きしめ、ここに住めと言っていた。



***



「落ち着いたか?」


 ジルがこちらを見上げてくる。そのふくふくとした丸い頬が、得も言われぬ感情をかき立ててくる。

 すでにジルの出血は止まり、何なら少しふさがりかけてもいたが、念のため消毒をして包帯を巻いていた。


「うん。まだ少しドキドキしているけど」

「そうか」


 口調はそのままに、幼い声音のジルが頭を撫でてくれる。


「なんで縮んだの? 新しい魔法薬? 元には戻るの?」

「質問が多いな。魔法薬といったらそうなんだが。実は副作用で特異体質になってしまったんだ。傷が出来ると幼くなる。どうやら体が小さくなることで、傷も一緒に小さくなる。大きな傷と小さな傷だったら、どっちが治りが早い?」

「そりゃ小さな傷」

「その通り。この体は、傷の治りを早くしようとして小さくなるんだ」

「えっ、すごい。ということは、傷が治ったら姿も元通り?」

「そうだな。傷が治りつつ、姿もそれにあわせて元に戻る」


 何か変な感じだ。それでも、ジルには悪いが、こちらの姿の方が落ち着く。単純に可愛いし。


「じゃあ元に戻っても、また怪我をすれば小さくなるってこと?」

「まぁそうだな」

「……さっきも言ったけど、改めて言うわ。ジル、一緒に住みましょう。こんな可愛い姿を街中で晒したら、すぐにさらわれてしまう。心配で心配で、夜も眠れない」


 想像するだけで、怖くて震えてくる。


「さっきと立場が逆だな」

「なんでもっと早くこの体質のこと言ってくれなかったの」

「理不尽」

「どのくらいこの姿なの? あ、私の服着る? ジルの服よりはマシよね。ええと、ヒラヒラした服は不要だと思って持ってきてないんだよなぁ。もってくればよかった。絶対にジルが着たら似合うわ。美少女よ。あ、美少年か」


 うきうきとジルの可愛らしい姿を妄想していると、ジルのため息が聞こえた。


「この姿は諸刃だな」

「何か言った?」

「いいや。我は小さめの服も持参しているから、リーズの服は遠慮する」

「えー、そんなこと言わずに。ちょっと待ってて。下の箱にいいのがあるかも」


 結局、リーズが服をひっくり返している間に、ジルは持ってきた自分の服に着替えていたのだった。



 リーズは新しい暮らしに胸を膨らませ、その日は可愛いジルと手を繋いで眠りについた。

 ジルが女の子じゃなかったことは想定外だったけれど、こんな特異体質になっていたなんてほうっておけない。青年姿はまだ慣れないけれど、きっとなんとかなるはずだ。だって親友だもの。お互いを大切に思っている気持ちに違いはないのだから。


 そして翌朝、青年姿のジルが横に寝ていて、悲鳴をあげるのだった。


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