第12話


アランは淡々と真顔で、だが瞳に熱を宿しながらエリザベスが恥ずかしくなることを言い募る。慌てた姿が想像出来ないアランが勢いで突っ走ってきた事実は衝撃だった。それはすなわち、彼の気持ちが本気だと言うことの証明だ。


これはエリザベスも其の場凌ぎの言葉で返すのではなく、本音を聞かせなければ失礼だ。相手の本気には本気で返さなければいけない。


「…正直に申し上げます。エルベルト様のことは人として好ましいと思っておりますが、恋愛感情を抱いているかどうかは…分かりません」


ここで私も好きですと答えれば形だけは丸く収まる。互いに幸せになれる最善の方法だが、やはりエリザベスは嘘は言えない。厳密に言えば嘘とは言い切れないが、婚約者に対しても恋愛感情を抱いたことはなく凡そ愛情というものと縁が無かったエリザベスはアランに抱く気持ちの正体が分からない。


勇気を振り絞って告白してくれたのに「恋愛感情か分からない」とハッキリ告げてしまいアランを傷つけてしまったと不安になるが、彼はショックを受けた様子はない。エリザベスの答えを予想していたかのように。


「君にそういう対象に見られていないことは分かっていた。それでも構わないから俺と婚約してくれないか?俺を利用すればいい、盾くらいにはなれる。この家から離れたいのなら協力もする」


「利用なんて、そんなこと出来ません」


「脅すようで悪いが、伯爵がまともな相手との縁談を持ってくると思うか?」


「…思いません」


「伯爵だってそこまで馬鹿じゃない。君が卒業後出奔しようとしてることも予想してるだろうし、どんな手を使って阻止してくるか分からない。君の話を聞いた限りでも、そういう人間だと判断する」


アランの言葉に思わず背筋が寒くなる…例えば新しい婚約者とエリザベスがうっかり深い仲になってしまったとすればエリザベスはその相手に嫁ぐしかなくなる。傷物にしておいて責任を取らないことは有り得ないからだ。エリザベスの意思に反した結果でも父が邸の使用人を買収すれば難しくない。愛する妻の命を奪ったエリザベスが幸せになるなんて許されない。父の中では絶対的な考えだ。


思わず自らの肩を抱くとアランが慌て出す。


「怖がらせたな、悪い」


「いえ…私が甘かったと理解したのです。父は私が幸せになることを許さない…家を出て平民として暮らすことより醜悪な相手に嫁ぎ苦しむことを望む。そういう人です」


「実の娘をそこまで憎むか、全く理解出来ないな」


「私もです…エルベルト様、あなたを利用させてください。この家から出たいです」


 我ながら酷い言葉だと思うが、アランは申し出を嬉しいと感じているのか口角を僅かに上げた。


「受け入れてくれて嬉しいよ。ああ、無理に気持ちを求めることはしないから安心して欲しい…けど」


 アランは急に獰猛な肉食獣の瞳でエリザベスを射抜く。


「遠慮する必要は無くなったからアプローチはさせて貰う」


「え、エルベルト様お手やわやかに…」


迫ってくる勢いのアランにたじろぐエリザベセスだが、何故か彼はムッとして不機嫌になった。


「…アラン」


「え?」


「婚約するのにいつまでも家名で呼び合うのは変だろう?アランと呼んで欲しい。俺もエリザベスと呼びたい」


「…アラン様」


「…エリザベス」


 初めて名前を呼び合うと2人して黙りこくってしまう。エリザベスが自分の頬を触ると熱く、火照っていると感じる。が、アランの顔も真っ赤になっており少しでも隠そうと口元を手で覆うも、バレバレだ。下の名前を呼んだだけなのに。何か言いたげなエリザベセスの視線を受け、アランは素っ気なく答える。


「…女子を下の名前で呼ぶの子供の時以来なんだ。気があると勘違いした令嬢に付き纏われたことがあってな。隙を絶対見せないようにしてきた」


 子供の頃から苦労を重ねてきたアランに同情してしまう。しかし名前を呼んだだけでこの照れよう、想像以上に純情なようだ。


 (失礼だけど、可愛い…)


 凡そ男性に対して抱く感情ではないが、エリザベスはそう思った。正直に言ったら彼は不服そうな顔をするだろうか。それはそれで見てみたい、と想像して口元が綻ぶ。


「エリザベスはあれのことも名前で呼んでいただろ、何故照れている?」


 ちょっとした意趣返しなのかまだ顔の赤みの引かないアランが追求してくる。さらっと名前で呼んでいるしウォルターの事は名前すら呼ばなくなったが、エリザベスは触れない。婚約者だったウォルターのことは下の名前で呼んではいたが、今のような反応をしたことは皆無だ。


「あの人の名前を呼ぶ際、緊張したことも恥ずかしがったこともありません。最初から興味がなかったんでしょうね」


 思い返すとウォルターは初対面の頃から態度が悪かった。こんな暗い奴嫌だと駄々を捏ねていたし、顔合わせすら面倒くさがってすっぽかしていた。親から叱責されたのか渋々会ってはくれるようになったが、すでにエリザベスは関係構築を諦めていた。そんな相手の下の名前を呼んだとして何も感じない。


アランはエリザベスの答えを聞き、喜悦の色を表情に浮かべる。


「照れているということは、多少は意識してくれていると都合の良く受け取るが」


「…ご想像にお任せします」


 アランの凄まじい目力を間近で受けたエリザベスは、そう答えて顔を逸らすのが精一杯だった。




「ああ、もう焦ったいわね!もっと押さないとリズは落ちないわよ!」


「名前呼ぶだけで照れるって、ピュアすぎてこっちの心が汚れている気がしてくるわね…」


「キスの一つでもすれば、あっという間に進展するんじゃない?」


「リズの気持ちが定まってないのに、そんな真似したらセクハラよ。せめて手の甲にキスくらいで留めないと」


「あ、私見たいわ。絶対絵になるもの」



ガチャ、とドアを開けると「「「あ」」」と固まる3人。あれだけ大きな声で話していて気づかれていないと思ってたのか。


「…皆楽しそうね?」


平素より低い声を発すエリザベスに3人はビクッと震えた。そしてエリザベスはドアを開け放ち、3人の姿が彼にも見えるようにしてあげた。アランはゆっくりとドアの方を向き、3人を見据えて一言。


「…手の甲にキスなんて出来るわけないだろう」


聞き耳を立てられたことによる羞恥で一段と低い声をアランが発した瞬間、3人の顔色がみるみる悪くなる。彼が困惑するほど謝り倒し、エリザベスはその様子を苦笑しながら眺めていた。

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