第11話


エリザベスが自信満々に切り出した瞬間、アランはポカンとして首を傾げた。彼の反応に釣られエリザベスも気の抜けた声を出してしまう。今自分はおかしなことを口にしただろうか。必要なことを決めるべきだと思ったのだが。2人の間に沈黙が流れ、エリザベスは手持ち無沙汰でドレスを握り締めた。気まずい雰囲気を破ったのはアランの困惑した声だった。


「契約内容とはなんのことだ?」


「え?これって偽装婚約なんですよね?」


「??何の話をしているんだ?」


「違うのですか…?てっきり令嬢避けの婚約者が欲しいのかと思ったのですが」


 アランは左手で目元を覆い天を仰いだ。表情は分からない何となくガックリしているのは伝わってくる。ややあってアランが手を退け、顔をこちらに向ける。その顔には疲労の色が見えていた。


「…つまり俺が君を都合よく利用するために婚約を申し込んだと思ったと?」


「都合良く利用だと聞こえが悪いですが…はい。ですが私としてもメリットの多い話だと判断したのでお受けしたのです。最近流行っているでしょう?偽装結婚偽装婚約」


本の虫であるアランなら理解してくれると思っていたが、彼の眉間には微かな皺が。


「…鈍いと思っていたがここまでとは…その上思考が斜め上…コルネリア」


「は、はい」


「まずこれは偽装婚約ではない」


はっきりと言い切られエリザベスは驚くがアランの話の邪魔をするわけにもいかず、黙って耳を傾ける。


「婚約を申し込んだのは、君と結婚したいと思ったからだ。婚約破棄された直後に申し込むのは卑怯だと理解していたが、モタモタしているうちに何処ぞのクズと婚約させられては目も当てられない。まあ婚約をぶち壊すくらい簡単だが」


不敵に笑うアランだが、黒髪から除く耳がほんのり赤い。それは彼の言葉が冗談ではなく本気だと表していた。エリザベスは婚約したいと言われた時よりもパニックに陥っていた。彼の言葉の意味を考え、頬が熱を持ち始める。


「そ、それはその…」


「…君のことが好きだからだ。人としてではない。勘違いされないようはっきり言っておく。異性として好きと言う意味だ」


今度ははっきりとドアの向こうから悲鳴が聞こえたがスルーだ。好き…アランの口から発せられた言葉を反芻する。目の前の、世の令嬢が憧れ、隣に立つ権利を得たいと望み水面下で熾烈な争いが繰り広げられている、アラン・エルベルトがエリザベスを好き。


(?????)


エリザベスの脳内は疑問符で埋め尽くされ、悲鳴を上げそうになったので口を押さえた。まずは深呼吸…とゆっくりと呼吸を繰り返すとほんの少しだけ落ち着きを取り戻したので手を口から外す。


「な、何故ですか?私、あなたに好かれることをした覚えがありませんよ」


「…図書室で初めて君と会った時騒がれる、と警戒していたんだ。でも俺になんて全く興味がなさそうで、真剣に勉強している姿、本を読んでいる時の笑ったり悲しんだり喜んだり、コロコロと表情が変わる様子をいつの間にか目で追うようになった。それに互いにお勧めの本を紹介し合い感想を言い合う時間も楽しかったんだ。一歩的に言いたいことを捲し立てるか、勝手に抱いた理想と違って話し下手な俺にがっかりするか、怖がる令嬢としか関わったことがなかったから、コルネリアと話すのは新鮮な気持ちになれたんだよ。それが恋愛感情に変わるまで時間はかからなかった」


「…全く気づきませんでした」


「バレないようにしていたからな。君には一応婚約者がいたし、困らせたくはなかったんだ」


一応、の部分をやけに強調する。心なしか婚約者と口にした瞬間不機嫌さが漂う。


 (もしかして嫉妬されていたの?婚約者といっても名ばかりだったのに)


 常に嫉妬される立場であろうアランが何とウォルターに嫉妬していたという事実。エリザベスの心の中には何とも言えない感情が芽生えた。アランは話を続ける。


「卒業したらあれと結婚して俺と話す機会も無くなる。限られた時間を大事にしたいと思っていたのにあの阿呆は婚約破棄した挙句、妹に乗り換えると言う愚行を犯した。その上聞くに耐えない言葉ばかり吐くから、朝は柄にもない真似をしてしまった。反省している」


そう口にする割にアランに悪びれた様子はない。エリザベスもアランの朝の行動についてとやかく言うつもりはない。ふと気になったことを訊ねてみる。


「もしかして第二王子殿下がアリサに忠告したのも」


「俺が頼んだんだ。アリサ・コルネリアが婚約破棄について面白おかしく囃し立てたら釘を刺して欲しいと。あいつもアリサ・コルネリアのようなタイプは嫌いだからな。進んで協力してくれた。勝手な真似をしてすまなかった」


「いえ、寧ろ感謝しています。エルベルト様達が行動してくれなければ私は今頃嘲笑の的になり惨めな思いをしたでしょうから」


「大したことはしていない。それに、こんな風に薔薇を持って押しかけた挙句婚約を迫っている時点でプラマイゼロだ」


「そういえばその薔薇は?」


「プロポーズする時は108本の薔薇を贈るんだろう?」


「ええ…」

 

確かにエリザベスも聞いたことがあるが、実行に移した人は初めて見た。もしやその108本の薔薇を邸に運び込もうとしている?そんな大量の薔薇を生ける花瓶なんて合っただろうか、とエリザベスは心配し始めたがアランが肩を落とした。


「贈ろうとしたんだが、ここに来る前に寄った花屋の店員に『突然108本の薔薇を贈られても迷惑だから辞めておけ』と止められてな。冷静になって考えると確かにその通りだと取り敢えず20本だけ買ったんだ」


 (ありがとう店員さん。けどハッキリ言い過ぎ)


 アランの身分を知らなかったのだろうか、それを抜きにしてももうちょっとオブラートに包むべきだと思う。アランが躊躇いがちに再び差し出してきた薔薇の花束をエリザベスは今度こそ受け取る。20本の薔薇の花束も貰ったことがないので、エリザベスは満面の笑みで喜びを露わにした。


「ありがとうございます、栞共々大事にしますね」


「栞、使ってくれているのか」


「もちろん」


 そう告げるとアランがふっと控えめに微笑んだ。エリザベスは不意打ちで向けられた笑みにドキッとする。


 (普段クールで冷静沈着な方の笑った姿って、破壊力が凄いわ)


 心臓が脈打ち、うるさいくらい高鳴っている。ちょっと笑いかけられたくらいでこの有様、自分チョロいのではと危機感を覚える。


(このままだと流されるように婚約してしまうわ)


 それはよろしくない、と気を引き締める。エリザベスは真剣な表情でアランと目を合わす。海を思わせる碧眼が甘やかに細められてエリザベスを見つめているので、この時点で危なくなったがどうにか耐える。


「改めまして婚約の話なのですが、まず私は家族から見放されていて婚約してもメリットはないです」


「問題ない、家門同士の繋がり関係なくエリザベス・コルネリアと結婚したいんだ」


 また心臓にダメージを喰らう。親から愛情を受けてこなかった人間にこのカウンターはよく効く。すでに息も絶え絶えだが、まだ言いたいことがある。


「…家格の釣り合いはギリギリ取れていると思いますが、公爵夫妻は何とおっしゃっているんですか」


「さっき父に手紙を送ったばかりで分からないが、母は賛成している。父も恐らく反対しないはずだ」


「え、公爵様の許可も得ずに婚約を申し込んだんですか」


 次男以下はともかく嫡男が当主に何の断りもなく婚約を申し込むなんてあり得ない。次期当主の妻を個人の意思で勝手に決めることは許されないのだ。なのにアランは涼しい顔をしている。自分のしたことを理解していないわけではなく、取るに足らないことだと思っているようだ。


「悠長に父の許可を待っている間に君を掻っ攫われたら、と考えたら居ても立っても居られなくなり気がついたら花屋に行き伯爵家に向かっていた」

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