第59話


 あれは忘れもしない小学一年生の夏の事。僕が目を覚ますと枕元によぞらが立って泣いているのに気付いた。


「……生きてる」


 饅頭のような顔をしわくちゃにしてぼたぼた涙をこぼすのだからたいへん困った。


 僕は「どうしたの」と訊ねたけれど「嬉しい」「怖かった」という言葉を繰り返すだけで会話にならなかった。


 僕はよぞらに連れられてゲートをくぐった。その向こうには今の家族がおり、知らない世界が広がっていた。まったく知らない世界だった。


 車という硬くて丈夫で速い箱があり、電気という不思議なエネルギーが普及していた。魔法で火を起こす必要が無いのは驚きだった。しかしそれ以外のほとんど……人間関係であったり言語であったり国や諸外国の地理であったり……といったことは似通っていた。まるで絵を飾る額縁だけを取り換えたような新鮮な感じがあった。


 よぞらは様々な知識を有していた。特に電子機器の扱いに長けており、同い年のくせに僕の二倍長く生きているように感じる事もあったくらいだ。


「これ、スマホっていうんだよ!」


「すまほ?」


「ここをタップすると動画が流れるんだよ!」


「どうが……」


 小さな箱の表面に映像が映し出される。映像のみならず音まで聞こえる。僕はいつも「魔法じゃないのか」と驚いてしまうのだ。しかしそうした驚きはいつも彼女を怒らせてしまう。元から気難しい質ではあったが、僕が驚いたときはいつにも増して寂しそうに怒るのだ。


 僕は知識欲を満たす悦びを知った。


 この世界の事を知るのに夢中になった。


 よぞらが常に新しい刺激をくれるからだ。


 彼女と過ごした時間はどれも楽しい思い出になった。けれど、その思い出にいるのは僕とよぞらの二人きりで、他の誰かが加わる事は無い。よぞらの超能力はこの世界に不要なものだからだ。


 僕はよぞらが変だとは思わなかった。そういうものだろうと思って過ごしていたが、この世界では、違うものは糾弾すべきものらしい。弱い者ほど群れるものである。僕まで糾弾側に回るよう強要されたのだから困った。この世界は生きづらいと思った。


 よぞらが「異世界に行く」と言い出したのは中学生のころだった。当時この世界について知るのに夢中だった僕は「嫌だ」と言った。


 結局よぞらに流された僕は異なる世界へと行ったのだが、その結果怒られたことは以前書いたと思う。なぜ怒られたのかは分からない。だから面白くない。でも新しい母は「またいなくなったかと思った」と泣いていた。


 この世界の勉強を終えた僕は、今度は考え方を学ぶことにした。


 常識も知識も違う彼らとどう生きていくか。このために僕は様々な可能性を考えた。こういう時はきっとこうする。こうするのが正しいのではないか。様々なパターンを考えてシミュレーションしておく。これは今でも僕の思考法として活躍している。


 よぞらとは生まれたときからずっと一緒である。


 しかし、不思議に思う事はいくらでもあった。


 僕の家族がよぞらの能力を容認していること。よぞらの家族があべこべに能力を嫌っていること。時折「またいなくなるかと思った」と叱られること。


 異世界に連れてこられたという認識を持つべきだったのかもしれない。


 僕がもっとはやく気づいていたらこんなことにはならなかったのかもしれない。


     ☆ ☆ ☆


 巫は僕が死んでいると言った。トンデモ発言に次ぐトンデモ発言に頭が混乱したが、僕自身死んだ記憶が無い。


 しかし巫は歴史書でも読み上げるように述べる。


「お前は大人になる事が出来ないと初めから決まっていた。否、この世界がお前を拒んだと言っても良いでしょう。お前は生きるために必要なエネルギーを吸収することができずに死んでしまったのです」


「変な言い回しだな……」


「そのエネルギーとは、魔力です」


「…………ん?」


「お前は魔力を必要とする生き物でした。お前が生きていくためには魔力からエネルギーを得る事が不可欠。なのにこの世界には魔力が微塵もない。ゆえにお前は死んでしまった。この宇宙系を起源とするあらゆる並行世界からたった一人残して消滅してしまったのです」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ……そんな話、聞いたことないぞ」


「ゴージャーがどのような最期を迎えたか覚えていないわけではあるまい?」


「あの鎧の男か? アイツはたしか……」


「魔力を消耗しすぎたゴージャーはちりとなり消えていった。あれと同じ末路をお前も辿ったのですよ」


「………………それは、僕以外の僕が。か」


「ええ」


 巫はあっさり頷いた。


 僕は信じられなかった。信じられる要素が無かった。「お前の話はめちゃくちゃだ。たしかに僕は別の世界から連れてこられたのかもしれない。だが、それなら、なぜ僕は今生きている? この世界には魔力が無いのだろう? たとえ何人連れてきたとて魔力を補充する手段が無ければ同じように死ぬのではないのか?」


「お前はゲートを通るたびに体調を崩していませんか?」


「そうだな。僕はゲート移動が嫌いだ」


 それがどうしたと聞き返すと巫は「まだ分からないのか」と言いたげに鼻を鳴らした。


「天ヶ瀬よぞらのゲートは物質も移動させることができる。ならば、異世界から魔力を持ってくることも不可能ではないだろう」


「そんなことをされればさすがに気づくさ。よぞらは必要な時にゲートを開いていた。常に開いているゲートなんて――――――」と言いかけて、ハッとした僕は「まさか」と呟いた。


「目にゲートを繋げている。そうですね?」


 よぞらはとある視界の問題を解決するために目にゲートを開いた。それまでの彼女は僕に執着するように行動を共にしていたが、目にゲートを開いてから始まった高校生活では打って変わって奔放になった。僕は視界が良好になったから元気になったのだとばかり思っていたが、そこにもう一つの意図があったとしたら。


 目のゲートが魔力源の役割も兼ねていたとしたら?


 僕に執着していたのは魔力を供給するため。しかし、常にゲートを開いておく方法に気づいたら、張り付いている必要もない。同じ空間に居続ければ良いのだから自由になれる。


「お前の体調不良はすべて、魔力を遮断されたことによる一時的なモノです。移動中は、移動する魔力と等速で動くから吸収することができない」


「……………………」


「そして、魔力を必要とする生き物をお前たちの言葉でなんと言うのでしたか。『魔物』というのでしたね?」


「……………………」


「魔物と魔物を助ける人間。そんな者共をなぜ助けなければならないのでしょう?」

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