第57話


 ショゴスはティンダロスの猟犬と同じ小説シリーズに登場する人工生命体である。十数億年前の地球を支配していた『古のもの』という種族が作り出したアメーバ状の生物であり、彼らの道具であった。悪臭を放つ、玉虫色に輝く可塑性のある体を持ち、『テケリ=リ!』という独特な声で鳴く。ショゴスは用途に応じて手や足や目などの器官を生成できる。その特性を活かして大都市を建造したり召使いとして日常生活のサポートをしたり、時には敵性生物と戦う兵器であった。また、人に変身する能力も有しているが、極度の集中を要するため長い時間の変身は不可能であるという。


 僕が常々ショウがショゴスではないと言っていたのは、まさに変身が不得意という部分に由来する。ショウが常に人型を保っているという点で彼女はショゴスではないと言えるだろう。制御されているという話も怪しい。洗脳された人間が常に逆立ちをしていられるかと言われたら、僕はできないと思うのだ。


 しかし、UB‐Sもショゴスではないと僕は考える。姿かたちは似ているけれど、様々な特徴が決定的に異なっているからだ。


 僕が疑問に思っていることは、


 なぜUB‐Sがショゴスと呼ばれているか。


 なぜイルルがショゴスという名前を知っているか。


 なぜショゴスという名前を知りながらUB‐Sの正体を知らないのか。


 この三点である。


 彼女の知識は偏っているように僕は思う。まるで誰かから聞いた結末とあらすじで映画を語るような違和感がある。内容を知らないから下す批評も見当外れというような、そういう違和感を抱いてしまう。


 もし彼女をそそのかした者がいるのならば、その人物を特定することが必要だ。


 僕の目的は生まれた世界に帰る事であり、ショウの記憶を取り戻すこと。あと、可能なら倉科を連れ帰る事である。第三者の正体を特定する必要があるとは思えないが、頼まれたら手を貸してやっても良いと考える。


 イルルがもっと頼れる女神になれば良いのだけれど……。


     ☆ ☆ ☆


 さて、そのショゴスがいま洞窟に現れた。UB‐Sが開いたゲートから汚水のごとく流れ込むショゴスの数は一体や二体ではない。目視できる限りでも十を超えるショゴスが狭い洞窟内にひしめきあっていた。


「あれが本物のショゴスだ。しかし、数が多すぎるな」


「数が減ればどうにかナルのです?」


「いや、一体でもヤバいと思う」


「ウップス……前門のトラ後門のオオカミですネ」


 見る間に増殖するショゴスの群れにされるように僕たちは後退する。有害物質だらけの下水道を流されている気分だ。


 僕たちごときが敵う相手ではない。小説の設定そのままならば、ショゴスは一体一体が神に匹敵する力を有しているのだ。人間二人と正体不明の柏餅を殺すことなど朝飯前であろう。


 ショウに運んでもらおうにも洞窟は狭すぎるし、よぞらがゲートを開くためには正気を取り戻す必要がある。戦闘要員は後ろで窮地に陥っている。つまりは万事休すという事だ。


 ショウが覚悟を決めたように喉を鳴らした。


「ワタシは強いと言われています。その理由はシリませんが、本当に強いのならこの場を乗り切るコトくらいできると思いマス」


「何を考えている?」


「あんたはワタシがどんな生物でもトモダチでいてくれるンですよね」


「ショウ。変な事を考えるのはやめろ。僕は許さないからな」


「イイんです。ワタシは人間ではない。あんたたちとずっと一緒にいられるなんて夢物語なんデスから……」


「ショウ!」


 僕は色艶の良い頬をつまんで厳しく睨んだ。「勝ち目が無いと言っているんだ。むざむざ死にに行くような真似をするな」


「ひぇも……」


「僕に考えがある。UB‐Sが開いたゲートから隣の世界に行こう。そこはまだショゴスが出現していないから、この世界よりは安全に逃げられるはずだ。あちらに僕たちがいないことは確認している。つまり、ドッペルゲンガーの脅威は僕たちには無い。まだ諦めるには早い!」


「逃げられない可能性の方が高いと思いマス」


 ショウは僕の手をどかすと悲しそうに首を振った。「状況が変わりまシタ。これ以上の退避は推奨できまセン」


 言われなくても分かっている。隣の世界に行ったって結局UB‐Sの脅威下にあるのだから同じことになる可能性は高い。むしろショゴスの群れを倉科たちに押し付ける事になってより窮地に立たされるだろう。「それくらい分かってるさ」


「あんたが感情に流されるなんて珍しいデスね」


「最善の提案をしたまでだ。その最善が先延ばしでしかないだけで」


「――――えへへ、嬉しいデス。あんたが本当に心配してくれているって分かるから、トッテモ嬉しいです」


「………………」


 ショウは僕の手を強く握ると笑顔を浮かべた。


「サヨナラです」


「無鉄砲すぎる」


「それはあんたもデス。ワタシはあんたからいっぱい学びました。あんたは無鉄砲だけど、優しい無鉄砲です。いつだって先陣を切って危ない役割を引き受ける。だからあんたに恩返しするには、コレが一番だと思いマス」


「だったら学ぶ相手を間違えたな」


「そう思いマス。でも、いまのワタシ、とてもニンゲンっぽいでしょう?」


 ショウはそう言って寂しそうに髪を揺らすとショゴスの群れに突っ込んでいった。


「ショウ!」


「一体でも多く倒しマス! あんたは後ろに下がってテください!」


 ショウの腕が剣に変わる。ぶくぶくと泡があふれ出し、大きい泡が小さい泡を飲み込むようにして腕が大きくなる。泡が鈍色の光を放つ頃には鋭利な剣が二本、ショウの体から生えていた。


 僕は、振り切るようにして走りだした。最後に見えたのは、数多のショゴスがのしかかる姿であった。


 これが無駄な抵抗であることは分かっている。


 結局、僕たちは死にざまを選ぶことしかできないのだ。


「――――くそ。お前、分身もできるのかよ」


 ショゴスではない玉虫色の粘体生物が道をふさぐように立っていた。


 体を波打たせながら佇む、その奥には魔物と戦うイルルたちの姿が見える。


「トモダチ、おかえりなさい」


 UB‐Sが体をガパッと開いて僕を包み込む。人肌より少し冷たい粘液が気持ち悪かった。僕はこのまま死ぬのであろう。しかし、よぞらを助ける事が出来なかったのは申し訳ないと思う。


 最期の言葉を交わすことなく死んでしまうのが惜しいと思った。


 僕はせめてもの罪滅ぼしによぞらを抱きしめた。


 胸の中で震える彼女が、いまさらながら愛おしいと思った。


「ごめんな。お前を守る事ができなかったよ」


「……………ううん」


「気が付いたのか?」


「うん」


「そうか。逃げる事は出来なかったよ。ショウは戦ってくれているが、長くはもたないと思う」


「そう………」


「もうじき僕たちは死ぬだろう。せっかく楽しい高校生活が送れてたのにごめんな」


「ううん、いいの」


 よぞらは小さく首を振った。「あんたを助ける事ができたから、それでいい」


「え?」


 ふいにお腹の辺りが引っ張られたように感じた。その力はとても強く、重機に引きずられていくような感覚がある。


「おいよぞら。まさか……」


「言ったでしょ。あたしはあんたを守るって」


「待て、僕だけ助かるなんてイヤだ。お前も一緒に――――」


「最後にゲートを開く時間を作ってくれてありがとう。そのおかげであんただけは助ける事が出来た。覚えてる? あたしの目の話。あたしね、目にゲートを繋げることで見る世界を選べるんだよ。だから、安全な世界を選んで送ってあげるね」


「よぞら!」


 僕は叫んだが、彼女に届いたかどうかは分からない。


 気づけば自分の部屋で仰向けに倒れていた。


「よぞらあああぁぁぁぁぁ!」


 僕は、自分の死にざまさえも選べなかった。

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