第56話
向こう側のUB‐Sがギョロリとこちら側を見た。波打つ不定形の肉体がぐにゃりと歪む。目や口は無いが
「アイツ、こっちの世界を認識しているの!?」
向こうのUB‐Sは素早く触手を伸ばすとこちら側に侵入し冒険者たちを捕らえる。このまま引きずり込んで始末するつもりだろう。
「離しなさいよ! この!」
魔法使いが火球を撃つもこちら側のUB‐Sには当たらず向こう側の冒険者たちに当たる。それを襲われたと勘違いした向こう側の魔法使いが「なんなのアイツら!」と魔法で応戦する。
剣士も触手を斬って脱出を試みるが、斬られた部分がネズミのような魔物に変化して剣士の指に嚙みついた。
倉科も剣士と同様に触手を斬って脱出を試みるが、破壊する面積が広いぶん大型の魔物が出現して彼らに襲い掛かった。せっかくのチートもこうなれば役に立たない。一人きりなら容易に脱出できただろうが、洞窟が狭い事と仲間が近くにいる事が足かせになって全力を出せずにいるようだ。
魔法が飛び交い、大小様々な魔物が暴れまわり、洞窟は騒然となった。
「私の世界で好き勝手暴れないで!」
UB‐Sの境界面で激しい爆発が起こり冒険者たちを捕らえていた触手がちぎれ飛ぶ。イルルの魔法だろう。一時的にUB‐Sから逃れた冒険者たちが息を整えるが、その触手がすぐに魔物へと姿を変えて襲い掛かる。もはや魔物に殺されるかドッペルゲンガーに会って死ぬかを選ぶ段階であった。
ドッペルゲンガーとは自分と同じ顔をした人間または同一の存在であると言われている。作品によって扱いは異なるものの、出会ったら死ぬ。あるいは不幸になるという点では一致している。二重存在による矛盾が原因と説明される場合が多い。三つ編みの少女がああなってしまったように、倉科たち冒険者も同じ目に遭うのだろう。
彼らはより一層の悲壮感をもって戦った。
「お前たち何者だ!」と剣士(向こう側)がこちら側の剣士と斬り合いになる。「ショゴスのやつ、とうとう俺たちの偽物を作りやがった!」
「おい待て! 俺たちが斬り合ったらマズイ!」
「うるさい偽物め!」
「話を聞けよ―――――くそッ!」
こちら側の剣士がいなした瞬間、向こう側の剣士がグラリとよろめいた。同一存在の間には超常的な磁力が発生しているのか不自然な態勢で剣士(向こう側)が倒れ込む。
「まずい!」
剣士(こちら側)が身を翻したが、向こう側の剣士と触れ合った腕が瀬戸物のようにはじけ飛んだ。
「ぐあああぁぁぁ! な、なんだコレはッ!?」
「だから言っただろ! 俺たちが触れ合うとマズイって!」
UB‐Sがどこまで計算しているのか分からない。この地獄はよぞらのゲートを取り込んだことによる偶発的脅威であるが、それすらも定まっていたことのようにかの神様は体を波打たせている。不気味に沈黙するその姿は破滅の時を待つ邪神のようにも見えた。
「ゴドウィン! 伏せて!」
魔法使いが
「これでアイツは身動きがとれない! いまのうちにゲートを破壊するのよ! あの神様にできるなら、あたしたちにだってできるはず!」
「ああ、だけどよ………」
見れば、こちら側の剣士の体も蔦に捕らわれていた。杖から伸びた二本の蔦が、いまにも頭同士が触れ合いそうな距離で二人の剣士を絡めとっている。「この状況はマズイぞ……」
「あたしたちは同じ存在……考える事も一緒……?」
「女の子と寝てるならこれでいーけどよ……自分の頭を見てるのは気分わりぃよな」
「リウェルも引っ張って! このままだとゴドウィンが死んじゃう!」
ヒーラーの少女が魔法使いの杖にしがみついた。同一存在の引力はかなり強いらしく、二人分の力でも徐々に引きずられていく。鏡写しのように向こうの世界でも同じ光景が繰り広げられていた。
「これで三人」と不快な高音の声が頭の中に響いた。
彼らの周囲には無数の魔物がいる。冒険者たちが手こずっている間、その魔物を処理しているのがイルルであった。
斬るたびに分裂する魔物に彼女は手こずっていた。
「幸も不幸も我が物としてこその神……だけど、これはあまりにも……」
「おいイルル!」
「なに?」
「いまこそお前の出番だろ! あっちの世界にお前はいない! アイツらを助けられるのはお前だけだ!」
「でも……」
「でもじゃない! ほっとけば良かったヤツを起こしたのはお前だろ!」
「だってぇ!」とイルルは魔物を切り伏せてからこちらを見た。「ショゴスを制御して認められたかったんだもん!」
「誰にだよ」
「巫様に……」
「巫。なぜ巫が出てくるんだ?」
僕は訊ねた。イルルを奮起させる必要があると感じたから回り道を行く覚悟で訊いたのだけど、ショウが深刻な顔つきで僕の手を引いて言った。「よぞらが限界です。また、あの発作が……」
「マジか」
「撤退を提案しマス。戦い方は見て覚えまシタ」
よぞらの顔に玉のような汗が浮かんでいた。呼吸は荒く、瞳孔が開ききっている。
「だけど……」
僕は異世界の冒険者たちを見た。「あれをほっとけないよ」
「ノン。このままではワタシたちも危険にさらされマス」
「……………………」
「レイン・オーズベルトはまだ上にいるでしょうか?」
「ああ、そんなヤツいたな……イルルが始末してなきゃ、生きてるかもな」
「もしいたら、ワタシが戦います」
「そうか。頼もしいな」
ショウが戦う姿を見たいとは思わなかった。できればだらしない水色柏餅のままでいて欲しいと願うのだけれど、ワガママで好転する事態などこの世には無い。「頼んだ」と言うと存外力強い顔で「イエス」と答えた。
僕はよぞらを抱きかかえて歩き出した。しかし、事態に流されるばかりで大事な事がすっぽりと抜け落ちていた。冒険者がもう一人の自分と対峙し、イルルが魔物の相手をする。その間UB‐S本体はノーマークであったことを。
「トモダチ、おかえりなさい」
長く狭い洞窟の岩肌が、天井が、床がいっせいに輝き始めた。まるで血管に血が通うように玉虫色の脈が走り、そこから緑色の粘液がドロドロとこぼれ落ちる。それは洞窟を埋め尽くすほどに無制限に溢れ、やがて、UB‐Sのような不定形の塊になって道を阻んだ。
UB‐Sと違うところは人間の目や口や耳が泡沫のように現れては消える事。しかしおぞましさで言えば良い勝負をしていると思う。
僕はこの生物について知識を有している。
「ショウ、一つだけ良いニュースがあるぞ」
「ナンですか?」
振り返ったショウに僕は言った。
「教えてやるよ。あれが本物のショゴスだ」
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