第47話


 穴の底は広い空洞になっていた。地表との距離は二十メートルくらいだろうか。七階建てのビルに相当する高さから半球状に広がる空洞の真ん中には崩れた土砂と木片が転がっており、視界の隅には全壊した遺跡が見える。


 僕は危険が無い事を確認するとショウを下ろした。


「しかし暑いな。これは温泉とかいうレベルじゃないぞ」


「本当……さっさと終わらせて帰りたいわね」


 汗を拭った手を見てよぞらは顔をしかめた。「化粧落とし使えないせいで気持ち悪い……」


「いったん帰るか?」


「いや、いいよ。これくらいなら平気」


 僕たちは遺跡を調べる事にした。遺跡といっても大きさは一戸建ての家くらいしかなかった。分社やほこらと呼んだ方がしっくりくるくらい小さな遺跡だ。


「世界を作ったと言われている神様をこんなところに祀るもんかね?」


「ワタシには広すぎるクライです」


「一人暮らしなら広いかもね」


 そんな話をしながらガレキをどかしていく。よぞらには周囲哨戒しょうかいを担当してもらい、大きなガレキを僕がどかした。もっと大きなガレキはショウに頼んだ。黒板のようなガレキをぽいぽい投げ飛ばす姿は頼もしかったが、当たったら痛そうだなとも思った。


「ショウちゃんって、本当に人間じゃないのね」


「いまさらか?」


「だってそうでしょ? いままでこんな事態になる事が無かったし、なったときはあんたが問題を大きくしてウヤムヤにしてたしさ」


「火事を消すにはより大きな火事を起こせば良いんだよ」


「その結果こうなってるんでしょ!」


 どうやら彼女は平和な日常アニメを想像していたらしい。日曜朝八時にやっている小学生向けアニメのような理想図を滔々とうとうと語った。「一緒にお出かけしたりお化粧したり、いっぱいやりたいことがあったのにな!」


「これからすれば良い。今は偶然が重なってこんなところにいるけれど、僕たちの問題は初めからショウの記憶だけだ。ここに無いと分かればすぐにでも帰れるさ」


「帰れないかもしれないでしょ」


「なぜ?」


「なぜって……ヤバいやつがいるってあんたが言ったんじゃん」


「そうだった」


 よぞらがため息を吐いた。


 僕の悪い癖の一つに事実よりも予想の共有を優先するところがある。僕は常にあらゆる可能性を考慮する。あまりにもたくさんの可能性を考慮するからもっとも有力だと感じた可能性をアウトプットしないと忘れてしまうのだ。


 これは僕がよくする思考方法である。


 出来事の一つ一つを自分の中で精査して導き出される予測を随時伝える。ところが僕自身はその予想を信じない。後から判明する事実によっては大きく覆るからである。だから僕が伝えた予想も当たっていると思わない。ただ一つの可能性として考慮して欲しいのである。ところがそれを確定した事実のように受け取られるから齟齬が発生するのだ。よぞらもいい加減慣れて欲しいものだと思う。


 ショウがガレキをどける手を止めて僕を振り返った。


「ヤバいやつ……は、おそらくイマす」


「お前じゃないよ」


「なら、ワタシがせいいっぱい守ります!」


 ショウは顔をほころばせた。僕の思考法はあらゆる場面で作用するのだ。


 僕にはとある確信があった。


 この世界に記憶を紐解くカギが無いこと。そしてこの世界には人智を超えた神に等しい存在が眠っていること。これは予測ではなく確かな事実である。


 ショウは記憶を取り戻すと巫に連れていかれてしまう。アイツは一度言ったことを絶対に曲げないだろう。だから記憶を取り戻すのは後回しにしたいと考えている。


 自分でも不思議なほどに、ショウと名付けられた粘体生物がどれほど人間らしくなれるのか見てみたい。


 もし人間と遜色そんしょくない感情を示すようになればどれほどステキだろう。ショウが一人の人間として自立したときは泣いてしまうかもしれない。


 それくらい興味があった。


 だから僕はこの遺跡に来たのである。


 ここでショウが記憶を取り戻すことはないと僕は断言する。


 これまでの出来事や会話から判明した事実を考え合わせるとショウがこの世界の住人では無い事が自ずと判明するのであるが、それを二人に説明するには時間が足りない。


 だからこそ遺跡を調査することで「ここには何もなかったね。じゃあ帰ろう」という話になると僕は予想した。倉科は置いて帰ろう。彼ならきっと上手くやると思う。さようなら。


「とにかくガレキの撤去を進めよう。もうすぐで終わるから」


 僕は答え合わせをする気持ちでガレキに手を伸ばした。ところが、何事も終わり際に大きな困難が待ち受けているものである。


「そこまでよ、異世界人!」


 撤去していたガレキがとつぜん宙に浮いた。紫色のシャボン玉に包まれたガレキはフワリと浮くと、次の瞬間まるで意志を持っているみたいに襲い掛かってきた。


 何事も起こらないとタカをくくっていた僕は物の見事に虚を突かれてガレキにぶつかった。


 まさしく寝耳に水である。王の手先の冒険者が現れたのだ。


「な、なんだ!? ガレキが浮いてる!?」


「きゃあっ!?」


 僕たちは吹き飛ばされた衝撃で一つ所に集まり倒れ込んだ。トラックにひかれたような衝撃が体内を駆け巡るうちにガレキが退路を断つ。動けるようになったころにはガレキの小部屋が出来上がっていた。


「ふん、瞬間移動できるのが自分たちだけだとでも思ったのですか?」


 小部屋の向こうから声がした。「誰だ!」と怒鳴るとひどく冷静な声で「うるさいですね。これだから異世界人は」と返された。腹立たしい。このメガネをクイと押し上げるような喋り方はあの聡明そうな男であろう。かさがさね腹立たしい。


「名乗る必要があるとは思えませんが、一応名乗りましょうか。私はレイン・オーズベルト。王の命令によりあなたたちを殺害する者です」


「なぜこんな事をするの!」とよぞらが言った。


「異分子を排除せよ。それが王の意向ですので」


「ちょっと用事済ませたらすぐに帰るわよ! 殺さなくても!」と言い、地面に転がっていた小さなガレキを拾った。よぞらはこれにゲートを開つもりだ。


「この世界は現代から少し遠いの。ゲートを開くのも時間がかかるから――」


「時間稼ぎをすればいいんだな」


 よぞらの言葉を引き取った。「そういうのは得意だ」


「話が早くて助かるわ」


 ところが頭上から土埃がパラパラと降ってきた。見れば特大のガレキがシャボン玉に包まれて浮いているではないか。


 レインと名乗った男は「それでは、さようなら」と言い、小声で二言三言呟く。


 するとシャボン玉がパチンと割れてガレキが降ってきた。


 それは、小部屋を埋め尽くすほど大きなガレキであった。

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