第37話


 倉科は僕たちに気づくと驚いたように目を丸くした。そして気まずそうに顔を逸らし「ああ、どうして……」とうめいた。


 某クエストⅥの主人公のように彩色豊かな上衣を纏い、背には紫のマント、靴は高く鳴る編上靴を履き、盾と剣はどこぞの王国の紋章入り。それらを畏れ多くも頂く者は、もれなく世界中の期待も背負う事になるだろう。しかし倉科である。ハッキリ言うが似合っていない。入学式前日に制服を着る新入生のように似合っていない。


 行方不明になったというから探しにきたら、あべこべに彼は異世界を堪能しているではないか。なんだコイツは。腹が立つ。コイツのために僕たちの休日がオジャンになったのだ。怒りを隠す必要がどこにある?


「倉科。バカなことやってないで帰るぞ! 君に勇者なんぞは務まらん!」


「あ……やっぱり?」


 僕が声を荒げると倉科も申し訳なさそうにこちらを見た。「実は僕も似合わないと思ってるんだけど、みんなが適任だって言うからさ……」


「なんだそりゃ、押し付けられたからやってるって言うのか?」


「うん………」


「だったら遠慮することはないだろう。やりたくないなら帰れば良い」


「でも、みんなは帰るなって……」


「僕は君に聞いているんだ」


「でもみんなは……」


 倉科はうじうじと抵抗を続けた。


 彼お得意の「でもでもだって」論法により水掛け論が繰り広げられる。何を言っても「でもでもだって」と話題を逸らして結論を出そうとしない。それはさながら無限に湧き続けるゾンビのように薄気味悪く、厄介な論法である。話の核心を突く問いを投げかけても「でもでもだって」とかわされるのだからたいへんメンドウだ。


「じゃあどうしたいんだよお前は……」


 解決の糸口が見つからず頭を抱えていると、ふいにショウが森の奥を睨んで「デンジャー! 不明な魔力反応を検知!」と叫んだ。


「なに? コイツ」と魔法使いが怪訝な顔をした。その背後から草木が薙ぎ倒される音が猛烈な勢いで近づいてくる。見る間に接近し姿を現したそれは、熊の形をした邪悪であった。


 一瞬のうちに空気が凍り付いた。


 現地人トリオは得物に手を添えて臨戦態勢をとる。よぞらはショウを抱き起し、ショウはジッと熊を睨んだ。反応が遅れたのは僕と倉科のみであった。


 血がしみ込んだように赤黒い体毛、頭部を縦断する古傷は歴戦の勇を感じさせる。何より恐ろしいのが肩甲骨から生えた人間の腕であった。翼のように対をなして生える幼子のような小さな腕。それは個別の意志を持っているように無造作に動き回っていた。身の丈は四メートルもあろうか。これが魔物だと理解するには十分すぎるほど異形な存在が、僕たちの前に姿を現した。


 恥ずかしながら告白するが、魔物というものを見たのはコレが初めてなのである。それは倉科も同様だっただろう。殺すか殺されるかの直情的な理不尽を押し付ける相手に対し僕たちは反応が遅れた。


「ブラッドベアーだ。気を付けて!」


 戦士がそう叫ぶが、どう気を付けたら良いというのだろう?


 熊の魔物は倉科を獲物に選んだようである。後ろ足で立ち上がりけたたましい咆哮をあげると、筋肉の塊のような全身で突撃した。


 クマは時速六十キロで走るというが、魔物はどれほどの身体能力を持っているのだろう?


 十数メートルの距離を幅跳びでもするみたいに飛び越える魔物に倉科は何もできないようだった。


 ガチガチ鳴る牙が眼前に迫りくるさまを倉科はどういう気持ちで眺めていたのだろう。彼は戸惑いながらも剣に手をかけたが、あれでは剣は抜けても斬りつけることはできないだろう。「これで本当に良いのかなぁ?」とでも言いたげな緩慢かんまんさが見て取れる。場の緊張感にそぐわぬ戸惑いに僕はギョッとした。


「倉科、何をやってるんだ!」と叫んだとき、


 ゴアアァァァァァァァァ―――――――!


 ひときわ甲高い咆哮を轟かせクマが倒れ掛かった。


 倉科が剣を抜いたかどうかは分からぬ。しかし、あの距離ではどうしようもなかっただろう。逃げ遅れた僕が言うのもおかしいけれど、つくづく異世界が似合わぬ男だ。


 しばらく沈黙が続いた。


 クマはピクリとも動かないが死んだのかは分からない。倒れ込んだ衝撃で動けないだけかもしれない。僕はこっそりよぞらとショウに近づき逃げ出す態勢を整えた。


「ショウ、よぞらにゲートを開けと伝えてくれ」とテレパシーで伝えた。


「ホワイ? なぜでしょう」


「魔物が動き出す前に逃げるんだ。僕たちにはどうすることもできない」


「そうデスか。ですが、生体反応は消失していません」


 とショウがいったとき、クマの背後にある木が数本倒れた。


「ああ、やっぱり加減が分からないや」


 クマの体を押しのけて倉科がむっくり起き上がった。


「僕、これでも現代に帰って良いのかなぁ? 駒谷くんはどう思う?」


「お前、それを倒したのか?」


「女神様にもらったんだ。チートだって。へへ、すごいよね」


 戸惑いながらも自慢する彼に、僕はため息しか出なかった。


 たしかに立派な勇者様だ。チートを使って無双する姿が目に見えるようである。人智を超えた力を駆使して活躍する王道主人公のような凡百っぷりはいっそ清々しかった。


 問題は、このチートを持ったまま帰しても良いのかという事である。

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