第35話


 よぞらが僕を押しのけて前に進み出た。


「こいつが行く必要はないでしょ。あたしが代わりに行く!」


「よぞら?」


「あたしならいつでも帰れるし、こいつよりもずっと適してるはずよ。あたしを連れて行きなさい!」


 いきなり何を言い出すのだろう。僕はすぐに止めたがよぞらは聞かなかった。彼女は怒っていた。


「自らが犠牲になると言うの? 駒谷ゆうが黒い羊であると分かっているのに?」


「いいから連れていけ!」


「ああ、お前はそうか」


 巫は真贋を見極めるようによぞらを眺めると面白そうに口の端を吊り上げた。「お前は恐れているのか」


「恐れている? あたしが何を恐れているっていうの!」


「ふ、臆病な者ほどよく噛みつくものです。悟られまいと虚勢を張っているのでしょうが」


「…………………」


 巫は心底楽しそうに笑っていた。まるで僕たちの動揺する姿が楽しくてしょうがないみたいである。


 こんな世界に連れてきてすべてを見透かすような態度をとる彼女がだんだん信頼できなくなってきた。彼女が何者かは分からない。しかし、僕たちの命が失われても気にしないヤツだろう。


「ふふ、そうでしょう? お前は再び失う事を恐れている。すべてはお前が招いた事です。その恐怖さえも。……身勝手なものですね、人間というのは」


「身勝手なのはお前もだろ!」


 たまらず声を荒げた。「こんな世界に無理やり連れてきて言う事を聞かせようとするやつが何言ってるんだ!」


「おや、私はあそこで話しても構わなかったんですよ? でも、お前たちが困るだろうと思って」


 巫はつまらなさそうにため息をついた。


「……いやなヤツだな」と巫を睨んだが、心のうちでは安堵した。よぞらを守る事が出来てよかったと思う。


 コイツが平気で人を殺せるヤツだと僕は知っている。あの時はまさにそうだった。脈絡無くいきなり殺しにかかってきた。


 あの恐怖は一度体験したら忘れる事なんてできない。


 巫の逆鱗がどこにあるのか分からない以上会話を長引かせるべきではないと僕は判断したのだ。


 狙い通り巫は話を戻した。「……で、どうするんです?」


 僕はよぞらの手を取ると頷いて見せた。「大丈夫だ。すぐに会える」


「ゆう、何を考えてるの?」


「僕は一人で行くよ。大丈夫だ。きっと上手くやる」


 よぞらは裏切られたと言いたげな顔をした。口では一人で行くと言っているが、本心では二人で行くつもりだったらしい。たぶんショウも連れていくつもりだったのだろう。しかし巫がそれを許すとは思えなかった。


 彼女が「お前が行け」と言ったなら僕が行かねばならないのだ。


 僕はよぞらが何か言う前に「大丈夫だから」ともう一度言ってから巫のもとへと歩いた。


「僕が行くよ」


「そうですか」


 巫は興味無さそうにそっぽを向いた。


「倉科を見つけたらすぐに帰してくれるんだろうな」


「保証しましょう」


「よぞらとショウを無事に帰してくれるんだろうな」


「それも保証します」


「じゃあ良い。早く連れていってくれ」


 僕が言うと、巫は僕の頭に手を置いた。


 なし崩しに決まってしまったが、こうするより他に道が無かったのだからしかたがない。


「では転移させましょう。旅路に幸あらんことを」


 次の瞬間、僕は意識を失った。


 気が付いたとき僕はもう別の世界に居た。


     ☆ ☆ ☆


 そこは一見すると普通の森のようだった。陰キャのようにモッサリした木々が生い茂っている。遠くで鳥の鳴く声が響く。今まで経験した中で一番平和な世界なのではないかと思うほど、平凡で安心感のある光景だった。


「ふむ、思ったより平和そうだな」


 ひとまず危険が無いと分かると僕の思考は巫の正体に移った。


 彼女は僕たちが『現代』と呼ぶ世界に根付く存在ではあると思う。ショウを僕たちの世界に置いておきたがっているし、倉科がいなくなった事を問題視していることから、あの世界に生きる者だと考えて良い。


 しかしながら魔術じみた力を持ち、空間さえも自由に作る事ができる人型の生物が現代にいるのだろうか? 異世界の魔物だと言われた方がまだ納得できるというものだ。


 異世界の生物であるショウの正体を知っているらしいことも疑問であるし、桃髪の少女が巫の事を巫様と呼んだことも異世界的リアリティを高める要因である。しかし現代に根付く存在なのだ。


 アイツはいったい何者なのだ。疑わしい要素を一つ一つ見分していくうちに僕は面倒くさくなってきた。


「アイツは悪魔だ。うん。味方ならばこんなことをさせるはずがない」


 ひとしきり思考して満足したので歩く事にした。


 しばらく歩いた。


 森は平和そのもの。魔物らしい影は一つもないし危険な罠とか植物とかも見当たらない。異世界モノの常識で言うなら転移した直後は何かしらの障害にぶつかるべきである。しかし平和だ。この分だとあんがい倉科も平和に過ごしているのではあるまいか。


「思ったよりも平和な世界じゃないか。のどかだし魔物もいないみたいだ。ここに昨日襲ってきた桃髪のヤツがいなければショウを連れてくるのだが」


 額を拭って汗を払う。日本では拭うそばから汗が噴き出して嫌な気持ちになるものだが、この世界の気候は比較的カラッとしていて風が気持ちよかった。


 忘れてはいけないのが、桃髪の少女の手紙によって倉科が行方不明になったことである。いずれ彼女とは出会うだろう。しかし僕はあの少女に対してさほど恐怖を抱いていなかった。


 ともすれば味方に引き入れることも可能なのではないか? そんな想像さえ湧いてきたころ「いてっ」と声がした。


「ちょっと! なんで手を下に向けてるのよ!」


 よぞらが現れた。


「ゲートを開いてるんだから上に向けといてよ!」


「アウチッ、痛いです、ゆう……」


 とうぜんのようにショウも来た。


「おい、こっちから声がしたぞ! 女神様が言った敵じゃないか!?」


 ついでに現地人まで現れた。

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