第34話


 ショウはふらふらとどこかを目指して歩いた。テナントを素通りし、階段があれば降り、曲がり角があれば曲がった。遠隔で操作されているように正確だった。


「どこへ行くつもりだろう?」


 僕たちはショウを間に挟んで歩いた。やがて駐車場に出た。しかしショウは止まらず歩き続ける。人通りが徐々に無くなっていき車のエンジン音が遠くへすべっていく。どうやらモールの裏を目指しているらしい。日常からどんどん離れていくような……なぜだか、そんな気がした。


 駐車場を抜け、植え込みと建物の狭い間を通っていると、ふいに目の前に人影が現れた。


「―――フッ、待ってましたよ」


 巫美琴だった。


 女王のように体の前で手を組んで立っている。おろしたての新品のように綺麗な制服を着ており、それが生活感を感じさせず不気味だった。彼女は僕たちを見つけるとにやりと笑った。「よくぞ来た」


 僕は一歩進み出ると「何の用だ」と訊いた。


「そうくな。まずは場所を移そう」


 ぱちんと指が鳴る。すると辺りの景色が一変して白一色の空間に変わった。


「こんなモノが限界か。――――フッ、駒谷ゆう。お前さえいなければ私の空間に招待してやる事も出来たのですが」


「…………………」


「まあいい。こんな場所でも話くらいはできますから」


 巫は辺りを見回すとつまらなさそうに鼻を鳴らした。


 こういった真っ白い空間は精神世界や夢の背景などによく使われる。二人に分かれた人格が一人に戻ったり、未知の生物の声を受信したり、死別した仲間の魂が主人公を鼓舞したり最期の別れを告げたりと、汎用性が高くかつ作画コストが低いので様々なファンタジーモノで重宝されている白い空間であるが、実際に体験してみると非常に怖い。何が怖いといって、距離感が掴めないし足元がおぼつかないのだ。


 指標になるモノも無く床と認識できるものが無いから自分の位置が分からず、ガラスの上に立たされているような不安感が絶えず付きまとう。いま立っている場所が最下層なのか、まだ下があってそれが見えているだけなのか。上はどこまで広いのか。日常生活で当たり前に得られる情報のほとんどがここには無いのだ。


 よぞらがすがるように僕の腕を抱いた。僕も彼女を引き寄せた。


「怯えなくても良い。取って食おうなどとは思っていません」


「いきなりこんな場所に連れてこられて怖がるなって言う方がムチャだろ!」


「おや、てっきり慣れているものとばかり思っていたが、お前たちにも人並の恐怖心はあるようですね」


 巫が蔑むように笑った。


 ふいにショウが僕の手を引っ張った。「クエスチョン。ここはドコですか?」


 見ればその顔はひどく不安気であった。「覚えていないのか?」と訊ねると、少女のようにコクリと頷いた。「何も……以前もコウいう事がありました。気づいたら私は巫様と呼ばれていまシタ」


「…………………」


「ココは歪んでイます。時空の可塑性を検知。蓋然性の演算……フカノウ。ココは過去、未来、現在、そのすべてに通じていますが、そのすべてから拒絶サレテいます。座標の特定……エラー。生命反応の検索……エラー。ココに存在する言語の検索……およそ18634種。そのうち現在聞こえている言語の数を特定します……16497種」


 ショウは何か呟き始めたが、それがなにを計算しているのかは分からなかった。


「さて、くだくだしい話はしましょう。駒谷ゆう。お前にはすべき仕事があります。そのために呼びました」


 と巫が口を開いた。


 僕の意識はすぐに引き戻された。


「ショウに洗脳のような術をかけたのはお前だな?」


「ええ。そうですけど?」


「やけに素直に認めるな……。仕事ってなんだよ。僕にできることなのか?」


「ええ、とても簡単な仕事です」


「それをこなせば、ここから帰してくれるんだな」


「約束しましょう」


「なら、言え」


 よぞらがとつぜん「何言ってるの!」と耳元でささやいた。「危ない事しないって約束は!?」


「大丈夫だ。上手くやる」


「大丈夫って……それで良くない事ばっかり起こってるじゃん!」


「だったらお前も一緒に考えてくれ。それならいいだろ」


「それは……そうだけど」


 そう囁き返してよぞらを納得させていると巫が懐から一通の手紙を取り出した。


 それは開封済みのラブレターのようだった。僕は見覚えがある。昨日の昼休みにもらった手紙だが、どうして巫が持っているのだろう。


「その手紙は?」と訊ねると、巫が淡々と言った。


「倉科行人ゆきとが消息を絶ちました。お前には彼を探しに行ってもらう」


「は?」


 いきなり何を言い出すのか。詳しい説明を求めると巫は簡潔に説明した。


「この手紙にはある魔術がかけられていました。異なる世界に転移させる術です。倉科行人はコレを読んだために消息を絶ったと考えられます」


「…………………」


 これだけで分かるはずがない。しかし僕なりに考えてみた。


 おそらくこういう事だろう。


 僕の脳裏に少女の言葉が思い出される。それは「あんたが素直に手紙を読んでたら殺しはしなかったわよ!」という言葉。そして「あなたは、どこの世界を探したって見つからない唯一の存在なのです。そんなあなたが欲しかった」という言葉。この二つ。


 考えるに、あの少女もショウを欲しがっていたのではないだろうか。ショウは僕に懐いているらしいから、僕を転移させてからショウを奪うつもりだった。ところが僕が抵抗したから手に負えないと判断して殺すことにしたのだろう。つまりは巫と目的が一致しているというわけだ。


 あの少女の目的はショウを使役できる僕を連れていく事だった。しかし、それが達成できずに終わったから、別の人間を連れていくことにした。


 僕はそんなことを考えながら言った。


「つまりお前は、僕が転移しなかったから倉科が変わりに連れていかれたと言いたいわけか?」


 ところが巫は試すような口調で「本当にそう思いますか?」と聞き返した。


「違うのか」


「イルル・ヤンカルルシュは素晴らしい才能を持っているが、人質をとるほど賢いわけではない。倉科が手紙を読んだのはおそらく事故です」


「事故……」


「たとえ事故でも、お前はこの世界の人間を危険に晒した。その責任は誰に生ずると思いますか?」


 巫は責めるように僕を見た。「当然、お前です」


「………………」


「本来ならば私が出向くところですが、お前ならば何の問題もない。行って、倉科行人を連れ戻しなさい」


「ずいぶんと高圧的だな」


「やるのかやらないのかを聞いています」


 僕は納得がいかなかったが、しかし、こういうふうに言われてしまうと僕にも非があるように思える。いきなり襲われて理不尽だとは思うが、手紙をどこかに落としてしまったのは僕の落ち度だ。


「分かった。やるよ」


「よろしい。では、今からお前をこの世界に送ってやろう」


 巫がそう言って手をかざした。


 その時だった。


「それなら、あたしが行くわ!」


 よぞらが僕を押しのけて前に進み出た。


「こいつが行く必要はないでしょ。あたしが代わりに行く!」

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