第32話
倉科はポカンと立ち尽くしていた。告白が失敗したとも言い切れぬ半死半生の状況が理解しきれず、無情に過ぎていく時を眺めていた。
気づけば教室に残っていたのは彼一人だった。
みな、彼を遠ざけるように帰っていった。
「……僕も帰るか」
彼は呟くと冬眠明するナマズのようにのそのそと帰り支度を始めた。
いったい何がいけなかったのか彼には分からぬ。しかし、よぞらの言葉が頭から離れなかった。「巫さんが困ってるでしょ!」と、まるで糾弾するような声色。ただ気持ちを伝えただけなのに。彼女の拒絶するような顔を思い出すたびに、彼は悲しい気持ちになった。
なけなしの勇気をかき集めた彼はいま空っぽだった。失敗したならまだ良かったのだが、巫(ショウの方)は彼の勇気を受け取ったままどこかへ行ってしまった。
「……もう巫さんと話すことはできないな。僕はきっと嫌われてしまった。天ケ瀬は僕の事が嫌いだから、変な噂とかたくさん話しているに違いない。ああ最悪だ」
彼はリュックサックを背負うと「重い……」とうめいた。彼のリュックは教科書でいっぱいだった。漫画やゲームを持ってくる度胸も無ければ、不要な教科書を学校に置いておく知恵も無い。背を丸めてとぼとぼと歩く姿は彼の未来を暗示しているようにみじめだった。
廊下には誰もいなかった。
倉科は何も考えることができなかった。いや、考えたくなかった。ふとした瞬間によぞらの顔がよぎってまた言われるのである。
「巫さんが困ってるでしょ!」
あの顔を思い出すたびに自分が否定されているような苦しさに襲われる。何も考えまいと心を無で覆っても、あの顔が突き刺すように迫ってくる。
血を吐き出すように彼は呟いた。
「僕には彼女なんてできないんだ」
煽り立てた木野を恨む気持ちは彼には無かった。むしろ申し訳ないという気持ちの方が強かった。「木野くんもせっかく応援してくれたのに……合わせる顔が無いよ」
ふと、廊下の隅に手紙が落ちている事に彼は気づいた。その手紙はハートのシールで封をされている未開封のラブレターだった。
「これは……駒谷くんのじゃないか。どうしてこんなところに」
彼は首をひねった。
その日以来、倉科の姿を見たものはいない。後には一通のラブレターだけが残されていたという事だったが、その手紙もいつの間にか消え失せていたそうだ。
☆ ☆ ☆
女子の買い物は長いという一般的見解は正しいように思う。土曜日の朝だというのにショッピングモールへ行くことになったのは、ひとえに論説を証明するために他らなず、長い買い物の後には山のような買い物袋が残されるのが通例である。僕は事象の観測者兼荷物持ちである。イヤだ。
「いい? 今日はショウちゃんのための買い物だからね。買うのは服化粧品嗜好品玩具あと異世界モノの漫画と小説。服と化粧品はオシャレに必要だし、嗜好品その他は記憶を取り戻すのに必要。あたしとあんたのお小遣いを合わせれば買えるでしょ」
「僕の自由はどこで買える?」
「あんたはもっと素直になった方がいいわ」
そんな会話をしながらぼーっと突っ立っているとシャトルバスが来た。駅前発モール着の専用シャトルバスである。これに乗って郊外のモールへ行き買い物をするのが今日の目的だ。
よぞらは「ほんと、よくもまあポンポン思いつくもんだわ」とため息をついて乗り込んだ。
ショッピングモールは人で溢れかえっていた。いったいこの街のどこにこれだけの人がいるのか。隅々からかき集めたとしか思えないほどの人込みに僕はウンザリした。
「どこから見て回る?」
「とりあえず服かなぁ」
「ウップス……いきなり長時間コースですか」
服飾店はモールの出店の三割くらいを占めている。案内板を見ると英語の名前がいたるところにあり、これ全部が服飾店なのだという。
「これ全部見て回るの?」と訊ねると、「当然」とよぞらは言った。
「ま、良いのがあればそこで揃えちゃうけどね」
「そういうものか。なら、時間はかからなさそうだ」
「服はそれで良いとして小物と靴と……まあ、一通り見て回ればいっか。あたしがしっかり選ぶから任しといて」
そう言ってよぞらはニッコリ笑った。
彼女はオシャレをしていた。大胆に肩を出した白いブラウスにすすけた青色のワイドパンツ。スポーツサンダルとカーキ色のキャップを合わせた夏らしい装いである。中学まではオシャレなんてしたことが無かったのに、友達が増えると自然と変わるものらしい。
「わあ、こいつぁ頼もしいや」
僕はじとーっとした表情を作ってよぞらを睨んだ。「けっきょく全部回るんじゃないか」
「そうよ? なにがあるかは分かんないもん」
「そういうもんかい」
「そういうもんよ」
よぞらは涼しい顔をしていた。昔は外に出るのも嫌がったというのに変われば変わるものだ。オシャレに目覚めたとたんにこの体力。異世界モノでいうところの強化魔法がかかっているとしか思えなかった。
「……で、そんなオシャレマスターの幼馴染に何か言うことはない?」
ふいによぞらが僕の方を見た。
「体力お化け」と僕は答えた。
「そうじゃない。この格好。似合ってるでしょ?」
そう言ってモデルポーズをとるよぞら。どうやら褒めろと言われているらしい。
僕は言った。
「うん、良く似合ってる。いわゆるマネキン買いというやつか?」
「不合格」
「じゃあネットで調べたんだ。良いセンスだ」
「バカ。もっと素直に褒められないの?」
「そんなに褒められると困るな」
「誰も褒めてない!」
よぞらはこれ見よがしにため息をついてから「ま、いいや」と言って歩き出した。「あんたに可愛いって言葉を期待したあたしが馬鹿だった」
「おい、人の事をなんだと思ってるんだ。僕だって可愛いと思ったらちゃんと伝えるぞ」
「じゃあなんで言わないワケ?」
「機を逃したから言わなかった」
「また減らず口。可愛いって言え」
「可愛いという言葉は安売りするもんじゃないぞ」
「言葉の価値は回数にあるのよ。毎日百回は言え」
そんなやり取りを交わしながら、僕たちは近くの服飾店へと向かった。
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