第31話
何かにつまずいて転んだとき、気づけば、周りは猟犬に囲まれていた。
「ようやく追い詰めましたよ……どれだけ逃げ回れば気が済むんですか!」
気づけばB棟に来ていた。本校舎の二階と三階に連絡通路が繋がっており、放課後になると部活動で使う生徒が多い。吹奏楽部の根城とも呼ばれる。僕はその中でも特に
うじゃうじゃ湧いてくる猟犬から逃げるために安全な道を選んでいたら、いつの間にかこんなところまで来てしまったらしい。
少女は膝に手をついて息を切らせていた。「もう、この体を保つの大変なんですから勘弁してください!」
「……こいつらは、ティンダロスの猟犬ではないのか?」
「はぁ!?」
少女が素っ頓狂な声を出す。「この期に及んで気にするのそこなの!?」
「僕はこいつらによく似たクリーチャーを知っているが、そいつらはもっと強靭なんだ。僕のような子供なんて難なく殺せてしまうはずなのに、なぜ捕らえるのに苦戦する?」
「―――ふん、どうせそうやってアレの助けを待つつもりなんでしょう! 私を馬鹿にするのもいいかげんにしろ! こんなところに助けは来ない!」
猟犬と思しきクリーチャーが輪を
僕一人では切り抜けられないだろうが、本当に猟犬の正体を知りたかった。怖いとは思わなかった。しかし僕は自分が変わり者であると分かっているので驚かれるのも無理はあるまい。
僕が再び訊ねると、少女はこぶしを握りこんで「うるさぁい!」と叫んだ。
「つくづく変わったヤツだと思ってたけど、まさかここまで
「なあ、教えてくれよ。冥途の土産ってことでさ」
「~~~~~~~~ッ!」
少女は顔を真っ赤にして震えたが、やがて怒りが頂点を超えたのか、稲穂のように潤う髪を払って気取った顔をした。「まあ良い。教えてやろう。知りたいのでしょう?」
「知りたい」
「うふふ、素直で可愛らしいこと。では、良いでしょう。確かにこれはあなたの知る不浄ではありません。ですが世界は一つではない。そもそも世界というのは無限大に存在する可能性を演算する器でしかないのですよ。ゆえにこれもまた真の不浄。そういうことです」
「僕の知っている猟犬とは異なる猟犬がいる。という理解で間違いないかな?」
「ええ。だからこそ、あなたが欲しかった」
「うん?」
いきなり何を言われたのか、僕には分からなかった。
「話が飛んだな。世界が無数にある事と僕に何の関係がある」
「ソメイヨシノという桜を知っていますか? この世界の観賞用の樹木の一つです。ソメイヨシノは日本各地に生えていますが、それらはすべて同一の遺伝子を持つクローンだそうですよ?」
「それがどうした?」
「これらは同一の遺伝子を持つが、咲く時期も個の外観も微妙な違いがある。それを並行世界と呼ぶのなら、異なる遺伝子を持つ品種を異世界と呼ぼう。しかしどちらも桜だ。であるならば、あなたは何者だ?」
少女は僕を見つめて言った。「駒谷ゆうという個体はこの世界にしか存在していない」
「……はぁ」
「あなたは、どこの世界を探したって見つからない唯一の存在なのです。そんなあなたが欲しかった」
そういえばよぞらが似たような事を言っていた気がする。僕が並行世界にいないから見やすいとか。
少女の言葉は分かる。人生の中で選んだ選択肢の『選ばなかった方』。あったかもしれない世界の事を人はパラレルワールド――並行世界と呼ぶ。そして全く異なる法則の世界を異世界と呼ぶ。それらはどちらも同じ世界だが、品種……世界としての作りがまったく異なるのだ。
異世界にも並行世界は存在する。あるいは異世界すらも並行世界の一つなのかもしれない。よぞらの力はあくまで『並行世界に行ける力』なのである。それがあらゆる世界に行けるのはこういう理由であろうと僕は推察していたが、少女の話を聞くとあながち間違ってなかったのかもしれない。
だったら、唯一の存在とは何か? それ自体が矛盾する概念であることは何となく分かるが、それがお前だと言われても正直困る。「僕は僕だ。普通に生きていたら、並行世界に行くことなどできないのだから何の問題もない」
「存在の矛盾以前に、あなたは頭がおかしいみたいですね」
少女は頭を抱えてため息をついた。やかましいと思った。
「まあ良いでしょう」と言って、少女は猟犬に命令を出した。
「あなたの穢れは露骨すぎる。これを放置する巫様の考えがよく分からないが……私の世界に害をなす可能性があるのなら排除するのみです。やれ、猟犬!」
少女が命令を下すと同時に猟犬の体が沈み込んだ。それは狼が獲物に飛び掛かるための予備動作である。そこを狙って僕は声をあげた。「いまだ!」
古典部のドアが激しい音を立てて吹き飛んだ。二枚の引き戸が同時に吹き飛んだのだから相当な力が加わったものと思われる。引き戸はけたたましい音を立てて倒れ、僕を取り囲む猟犬を一掃した。
これにはさすがの少女も驚いたと見えて「なにっ……!?」と顔をひきつらせた。
「ミッションコンプリート! ターゲットを一掃しまシタ!」
「危ない事しないでって言ったよね……このクソ陰キャ!」
吹き飛んだドアの向こう側から二人の少女が現れた。よぞらとショウである。二人は僕を助け起こすと、桃色の少女をキッと睨んだ。
「な、なぜ!? だってあなたたちは助けにこれないはず!」
「あたしが一般人ならね。でも、あたし、超能力者だから」
「超能力者……」
二人はこの古典部室にあらかじめ隠れていたのである。少女に目をつけられた時すでに僕はショウにテレパシーを送っておいたのだ。
「この子が巫様の言っていた……くそっ」
少女は忌々しそうに舌打ちをしたが、すぐに威勢を取り戻し「だったらまとめて始末します! 猟犬!」と叫んだ。
しかし、ドアの下は沈黙した。
「……なぜ?」
「ひっくり返してみたら?」
よぞらが言った。
「ひっくり返す?」
「この下。どこの世界に繋がってるか確認した方がいいんじゃない? ちゃんと連れ戻さないとダメでしょ。飼い主さん」
「……まさか」
よぞらがそう言うと、彼女は敗北を悟ったらしい。髪を振り乱して「むきいいいいいいい!」と叫んだ。
「この高貴な私をここまで愚弄して! なんなのですかこの世界の人間は! 今度会ったらただじゃおきませんからね!」
「てことはあんた、異世界の人?」
「もう何も答えません!」
とつぜん辺りをまばゆい光が照らした。視界すべてが真っ白になるほどの激しい光が廊下全体を照らし、それが収まると、少女の姿はどこにも見当たらなかった。光をまともに見てしまった僕とよぞらは目玉が痛くなった。
「ターゲット逃走。追いマすか?」とショウだけは平気そうである。
「いや、追わなくて良いと思う」
僕は目を押さえながら言った。
「うん。あたしもそう思う。次襲われたとしてもあたしがいたら追い返せるからね」
と言ってよぞらは僕を睨んだ。「だからと言って危ない事していいわけじゃないけどね!」
「そんなことを言われてもなぁ……」
これは向こうから絡んできた事だから僕のせいではないと思う。
そんなこんなで僕たちは無事に帰る事が出来た。
よぞらとショウの会話についても、よぞらがショウをどうしたいのかについても、どちらも訊ねる事は出来なかった。いつか訊ねなければいけない事ではあるが、よぞらの説教があまりにも長引いたため言い出せる雰囲気ではなかったのだ。
「とにかく! もう二度と危険な事をしないって約束して!」
よぞらはそう言って眠ってしまった。
ショウは彼女がかくまう事になった。
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