第29話
ソレはかつて『始原にして終末の生命』と呼ばれた。
ソレの体液は万物に化けた。
ソレの体からこぼれ落ちた体液は海の中で魚になり、大地に根付く森になった。長い年月をかけて独自の進化が起こり、生態系が生まれた。
ソレはただそこにいた。
ソレは無責任に世界を作り続けた。
陸を這い回る動物が生まれ、空を駆けずり回る鳥が生まれ、海を跳ね回る魚が生まれた。それらは生物と呼ぶにはあまりにも稚拙で、生きる力に乏しい失敗作だった。それらは共食いを始めた。形ばかりの生存競争が始まると、今度は太陽のエネルギーを求めて植物が生まれた。植物が生まれると、それを求めて草食動物が生まれた。
そうして生命は研磨されていき、やがて人類が生まれた。
人類はソレが作った世界を利用して文明を作った。森を
ソレは人類の傲慢極まる繁栄の陰で世界を作り続けていた。ソレにとって世界がどうなろうと関係なかった。ただそこにいる。それだけが――いや、それすらもどうでもよかった。ソレはゼリー状の体を波打たせながら絶えず生命を生み出し続ける。ただそれだけの存在だった。
ところが『魔術』が世界を狂わせた。
『始原にして終末の生命』から生まれし者にとって『魔術』は猛毒であった。脳を変質させ、根底から存在を作り変えてしまうほどの恐ろしい力であった。
生命は恐ろしい姿になり、人類を襲うようになった。生き物としての欲求をすべて失ったかのようなおぞましい生命を『魔物』と呼び、人類の敵となり争いが始まった。
『魔術』が世界を狂わせた。
大魔導士と呼ばれた男はこのことに気づくと旅を始めた。
『始原にして終末の生命』を作り変えて使役しようと考えたのだ。
以上は石造りの塔の世界で見つけたメモの内容である。おそらく鎧の男がまとめたものだろう。このメモについてよぞらは知らない。
魔術が狂わせたとメモにあった。
ショウは異世界にいたから魔力に適正があるものとばかり思っていたが、このメモを信じるのであればショウはこの世界に居るべきだと、僕は考える。
むしろこの世界に居る時だけショウは平静を保っていられるのだろう。
記憶を取り戻す前に異世界に行けばショウがどうなるか分からない。記憶を取り戻したのち、正しい世界にショウを帰さなければ僕たちの身だって危ういだろう。
巫はショウをこの世界に縛り付けるつもりらしいが、しかしそれは恐ろしい事のように思える。
この世界にいながら記憶を取り戻す方法を探るべきだと僕は考える。すべての記憶が戻らなくても良い。正しい世界を見つけ出した時点でその世界に帰すべきだ。
しかし、このメモを見つけた事はよぞらには言わない方が良いだろう。
☆ ☆ ☆
さて、放課後になると僕はよぞらを呼び出した。
僕の考えはこうだ。よぞらを校舎裏に呼び出して二人っきりになる。それと並行してショウを倉科から引き離す。ショウと僕はテレパシーで会話が可能だから、よぞらを呼び出しながらショウに指示を出すことも十分可能だ。そしてショウが校舎裏に来たらリストバンドに変身してもらって学校を去る。これによって僕はよぞらと話ができ、倉科の告白を未然に防ぐことができるのである。
プランは完璧だった。
しかし困難はいたるところに転がっているものである。
それはホームルームが終わり教室がにわかに騒めき始めたころ。まるで時が止まったかのように、その騒めきがピタリとやんだ。
教室中に響き渡る声で倉科が言った。
「巫さん! 僕と付き合ってください!」
誰もがビックリしただろう。倉科にこんな声が出せたのかと。
彼は真剣だった。あたかも猛猪のごとく一直線に突き進む。人付き合いが苦手な彼は当たって砕けるつもりであったのだろう。木野に煽られ昂った感情のまま突進する姿は実験動物を想起させた。
「どうしたの急に」
「わかんない。倉科がいきなり言い出した」
「見て、木野が笑ってる。アイツがなんか余計な事を言ったんだよ」
クラスメイトは困惑していたが、木野の姿を見ると「なぁんだ」とうんざりしたようにそれぞれの日常に戻った。結果に興味を持っている者はいなかった。倉科が告白したことそれ自体がセンセーショナルな事であり、結果は目に見えているからだった。
しかし、それは相手が人間である場合である。ショウは恋愛の意味も、付き合うという行為も、何も理解していなかった。
「ヘルプ! ヘルプです! 彼は何を言っているのデスか? 何か悪い事をしてしまいましたか!?」
僕は落ち着いてと伝えて、こう指示した。
「お友達から始めようと伝えればそれでいいよ」
「ホワイ? なぜお友達から?」
「後で説明するから。今はそう伝えて」
「でも、理由が分からないと怖いデス……」
姿は高校生でも精神年齢は幼女のようだ。ショウは「分からない分からない」と不安そうに瞳をうるませて僕を見ていた。彼女には人間の欲求が理解できないらしい。これを解決するためにはまず「恋とはなにか」を説明しなければならないだろう。そして付き合うという事、告白する意味など、とてもこの場では説明しきれない。
僕が困っていると、よぞらが動いた。
「ちょっと! 巫さんが困ってるでしょ!」とショウを連れ出した。
それはまさしく疾風のごとし。アッと言う間に教室から姿を消した。
後には呆気にとられた倉科が残されていた。
「まあ………ドンマイ」
僕はそれだけ言うと彼女たちを追いかけた。
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