第27話


「あの、駒谷くんですか?」


 少女とよぞらを見送り教室に戻ろうとしたとき、そう話しかけられた。


 見覚えのない茶色のボブカットの女子であった。手には封筒を持っておりどこか面倒くさそうな顔をしている。


「これ、渡してって言われたから」


「誰に?」


「友達」


 女子はそれだけ言うと、「確かに渡したから」と去っていった。


「誰からだ? というか、いまどきハートのシールで封をするとか……よほど奥ゆかしいか僕をからかっているかのどっちかだな」


 手紙は後で読む事にして、僕は教室に戻り弁当を食べる事にした。


 母の手作り弁当をつつきながらこれからの事について考える。一人で静かに思考を巡らせていると、雑然と繋がっていた出来事が一つ一つ切り離されて、輪郭がハッキリしていく。そうすると、何が大切で、何を重視すべきかがよく見えてくるのだ。


 目下の問題は少女の記憶を取り戻す事だろう。少女がどういう生物で、どういう過去を持ち、どういう力を持っているのか。記憶を取り戻すだけでそのすべてが一度に明らかになるのである。なんて簡単でシンプルなのだろう。記憶を取り戻すには異世界へ行くのが一番だと考える。やみくもに行ったところで成果など得られるワケがないので、あらかじめアタリをつけてから行くべきだと思うが、そのアタリをつけるための方法はどうするべきか?


「難しい顔をしてどうしたの、駒谷くん」


「ん?」


 倉科が弁当箱片手に立ち尽くしていた。もしや一緒に食べようと言いたいのか。僕は半分ほどに減った弁当を見てちょっと困った。


「よかったら一緒に食べない?」


「それは構わないけれど、珍しいね」


「うん。だってそれ……」


 彼は机上の手紙をちらちらと見ている。「ラブレターでしょ? 誰にもらったのかなって」


 そういえば彼には気になっている人がいるらしい。


 この厄介の二乗をどうしたものか。


 僕は手紙を机にしまいながら言った。「別に。ロンダリングされてるから出自は分からんよ」


「読んでないの?」


「うん」


「もったいない。僕ならすぐに読むけどな」


 倉科は隣の席から椅子を寄せて座ると己の恋愛観について語りだした。僕は包容力と決断力を兼ね備えた女性が好きなのだと熱く語った。僕は恋愛に興味が無いので黙って聞いていた。


「昨日、巫さんが学校に来ているのを見かけてね。一目で好きになった。まさか同じクラスになるとは思わなかったけど、これが運命ってことなのかな」


「巫……。巫が好きなの?」


「うん。だって見てよあのたたずまいを。凛としててバラみたいじゃないか」


「でも言葉遣いはそうとうキツイぜ」


「ギャップだよ。普段は厳しいけど優しい一面もある。たしかに今朝はビックリしたけど、でも、あれは緊張していたせいだと僕は思うんだ。普段の彼女は人の失敗も笑顔で許せる、心優しい人なんだよ」


 どうやら巫(偽物)と本物を同一視しているようである。僕はどちらにも魅力を感じえなかったけれど、彼は違うようだ。


「あの優しさがウソかもしれないだろう」と言ってみたけれど無駄だった。


「僕には分かるよ。あの人は真の優しさを知っている人だ。本当の優しさっていうのはね、押し付けるものではないんだ。あるがままに受け入れる心。それを認める心なんだよ。一見するとキツイ人に見えるかもしれないけれど、それは優しさを押し付けない優しさなんだよ。彼女はそれを体現している」


「はぁ………」


「駒谷くんと少し似ているね」


「僕が?」


 冗談じゃないと思った。本物の方は優しさなど皆無だし、偽物の方は優しさではない。ただ幼いだけだ。しかも、たまに想定外を起こす聞き分けのない子供である。


 いったい巫(偽物)がどうやって授業を切り抜けたか。いい加減種明かしをしよう。


 少女の言葉、少女の行動はすべて僕がテレパシーを通じて指示していたのだ。授業で当てられたら答えを教え、話しかける者があれば返事を指示する。少女の代わりに僕が答える事によって切り抜けようと考えていたのだが、ご存じの通りの事件が起きた。僕の指示していない返答を少女がしたのである。


 少女が僕に似ている。それは当然だろう。だって彼女の言葉は僕の言葉だったのだから。


「僕はこれから、巫さんに声をかけてみようと思う」と決意を固めた顔で倉科は言った。「でも、どうやって声をかければ良いのだろう? 僕には分からないのだ」


「はぁ……」


「駒谷くんはどうやって話しかけたら良いと思う?」


「どうやって、と言われてもな」


「やっぱりセオリー通り天気の話から入るべきだろうか。それとも自己紹介から入った方が良いかな」


「でも、第一声が豚小屋ですか? だぜ。下手な事を言うと手痛い反撃をもらうことになるだろう」


「うう、確かに……」


 倉科は頭を抱えた。


 彼の恋路に下手にアドバイスをするとめんどうな事になりかねない。相手をするのはけっきょく僕なのだから、ここは諦めさせる方向に誘導しよう。倉科と恋愛ごっこを演じるのはごめんだ。


「もうすぐ夏休みなのだからここで仲良くなっても次に会えるのは二学期になる。いったん声をかけるのはやめて、夏休みの間にシミュレーションをしても遅くはないだろう」


「たしかに、それは一理あるかも」


 ところが、突然やってきた木野が、ニヤニヤと笑いながら倉科の肩に手をかけた。「お前ら。面白そうな話をしているな」


「あ、木野くん」


「倉科、巫の事が好きなのか? だったらさ、いま告白するべきだろ」


 僕はギョッとした。なんて軽薄なアドバイスをするのだろう。コイツは人の心が分からないのだろうか? これは僕の思惑という話ではなく、倉科の今後を考えての事だが、恋に破れた倉科が立ち直れるとは思わない。間違いなく大人になるまで引きずるし、一生のトラウマになる可能性だってある。


「考えてもみろよ。いま付き合えたら夏休みは遊び放題なんだぜ。悶々と考えてるよりもスパッと言った方が巫も好印象だろうよ」


「そうなのかなぁ……」


「絶対そうだって。転校したばかりで不安なときに優しく声をかけてくれるヤツがいたら、コロッと好きになるって。倉科お前、顔は良いんだから大丈夫だよ」


 木野は悪魔のごとく囁いた。


 僕は倉科が告白した後のシミュレーションをしてみた。


 成功させる場合。僕は少女を通して倉科と桃色な日常を送る事になる。見るも歯痒い倉科の痴態ちたいを目の当たりにし、それを受け入れなければならない。しかも相手の感情は僕が指示したものであるから、これは彼を騙している事になる。きっとすべてがバレた時にひどく落ち込むだろう。


 失敗させる場合。彼はやっぱり落ち込むだろう。木野の囁きによってにわかに高ぶった感情が沈み込み、いつにも増して卑屈になるであろう。それは年季の入った畳が沈み込むがごとく。クラスの雰囲気はいっそう暗いものとなり、公害レベルのいじけが始まるかもしれない。


 どちらにせよ厄介だ。これは阻止せねばならない。


「倉科。よく考えてほしいのだけど、夏休みの間の出来事に僕は関与できない。君は一人で巫を相手にすることになる。こうしてアドバイスをすることもできないんだぞ。君は一人で巫を相手にする自信があるか?」


「……でも、これは、僕がどうにかするべき問題だ」


「そうだ。倉科。男になれ!」と木野は無責任に言った。


「うん。僕。やるよ。告白する。巫さんを射止めてみせるよ」


「ええ……?」


「だって駒谷くんも言っていたじゃないか。悩みすぎるのが良くないって。見てて。僕はこの夏で男として一皮剥けてみせるよ!」


 倉科は笑顔を浮かべていた。こうなると僕にはどうしようもできない。彼は悩みすぎて嫌われる反面、人にコロッと騙されるところがある。こうやって玩具にされた事が何度もあるのにどうして学習しないのかと、僕は常々不思議に思っていた。


「よく言った倉科! それでこそ男だ!」


「僕、自分になにが足りないか分かった気がする。ありがとう、木野くん」

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