第26話


 時をさかのぼること数時間。中庭で起こった事である。


 抱き着いたまま離れない水色柏餅に困って「これ、どうやったら元に戻るんだ?」と巫に訊ねたところ、少女を元に戻す変わりにある条件を突き付けてきた。


「ソレは私の従僕にします。だが、今のままでは使い勝手が悪すぎる。お前はソレが人間社会に馴染めるようにサポートしなさい。そして、記憶を取り戻させるのです。良いですね?」


 とうぜん僕は文句を言ったが巫は構わず話を続けた。どうやら断れる類の話ではないらしい。「お前の意見など聞いていない」と煩わしそうに言った。


「ソレは敵に回せば恐ろしいが、味方になれば毒にも薬にもなる優秀な道具です。この世界が一つでは無い事をお前も知っていますね? ほかの世界から侵略者が来たときに、この世界の文明はあまりにも脆弱で繊細すぎる。核や巡航ミサイルのような玩具で何ができるのか? 我々には対抗策が必要だ」


「コイツの力が欲しいわけか」


「ええ。ソレ一体で惑星一つは滅ぼせる」


「……とんでもない話だな」


 僕は少女を見た。必死に頭を擦り付ける姿を見ているととても信じられないが、山を軽々切り裂いた鎧の男が自らを犠牲にして守ったし、コイツを消すために魔法のような力を惜しみなく使う敵がいた。異世界モノのような戦争がこの世界で起こらないとは、僕には言い切る事ができない。


「コイツが救世主になるのか?」


「その可能性がある、という話にすぎません。それにお前が失敗したとして、策などいくらでも用意できる」


「なら安心だ。これが最終兵器だとか言われたら、緊張で足がすくむところだったよ」


「ふん、道化の洒落ほどつまらないものはない」


 そう言って巫は少女の頭に触れた。「道化は真剣にやるからこそ滑稽味が増すというものです。例えばこんな風に」


 次の瞬間、少女の体がぶるぶると震えだした。それが変身の前兆である事を僕は知っている。


 僕が離れると同時に変身が始まった。


 水が沸騰するように少女の体が泡立ちはじめ、玉虫色の泡が体を包み込んだ。それらは繋がりあって大きなシャボン玉になるみたいにぷわっと膨らみ、見る間に僕を包み込めるくらい大きくなった。そのシャボン玉(特大)は濃い玉虫色に発光しており、中にいるものが何か判別できない。


 少し離れたところから見守っていると、やがてシャボン玉がはじけて、別人になった少女が現れた。


 巫(本物)が厳かに言った。


「私の姿を与えましょう。名も好きに使うが良い。いつまでかかっても構わない。ソレが聞き分けのよい道具となるように調教なさい」


 現れたのは長い黒髪の美しい少女であった。同年代とは思えぬ堂々とした立ち姿。その瞳は見るものすべてを威圧するように恐ろしく、容姿は神に与えられたように美しい。身長はよぞらより少し高いくらいだろうか。巫美琴に瓜二つの少女が、そこにいた。


 僕は呆気にとられた。


「……めちゃくちゃだ。言ってることも、やってることも」


「お前如きが理解する必要はない」


 巫はにべもなく言った。「お前は友人として支え、コレの正体が露見せぬように尽力するのです」


 というわけで、僕は巫にふんした少女を見守る事になった。


 よぞらは一部始終を聞き終わると「面倒な事になった」と不満を漏らした。


「まあつまりはアイツの記憶を取り戻して、僕たちに協力させろってことだな」


「記憶を取り戻すのは賛成。道具っていう言い方は嫌いだけど、こっちに居てほしいから協力してもらうのも賛成。でも……」


 よぞらは厳しい目を僕に向けた。「やっぱり危ない事してた」


「うん。ごめん」


「あたしが誘っても異世界にこないくせに、自分から首を突っ込むなんて意味わかんない」


「君を巻き込みたくなかったのだ」


「あたしがいたらもっと安全だったでしょ」


「それは確かに」


 僕たちは廊下にいた。


 高校生になって分かった事だが、人は意外と会話を聞いていないのである。廊下は購買に食料を求めに行く者や食事に最適な場所を求めてさまよう者で賑わっている。彼らは自分らの用事をこなすことしか頭にないので、何を話そうが、耳に入っても脳には届かないのである。侮るわけではない。廊下がそういう場所だという事だ。


 僕たちはそれなりに誤魔化しながら話した。そしてそれなりに周囲に気を配って盗み聞きしている者がいないか確認もした。僕らの会話に足を止める者はおらず、また、断片だけ耳に届いた者もフィクションだと思ったようである。「よぞらちゃんもアニメ見るんだね」と話しかけてきた男子生徒がいたが、僕たちは無視した。


「アイツ、オタクのフリしたナンパ野郎なの」とよぞらはうんざりしていた。


 少女の記憶を取り戻し友好関係を築く事で僕たちは合意した。しかしそのやり方は激しい議論が交わされた。僕は夏休みまで待って異世界を渡り歩きながら友情を深め、さらには少女の出生地も探し求めようと提案した。それに対してよぞらは学校にいるのに友達を作らないのはもったいないと猛反対し、親しい友達を一人作り、夏休みを通して仲を深めようと提案した。僕たちの意見は真向から対立した。


「こういうのは女の子同士の方が良いの! あんたは黙ってて!」


 平行線をたどると思われた議論は、よぞらが特攻をしかけた事で打ち切られた。


「巫さんてお昼ご飯ある? なかったら購買に行こっ! あたしが奢ってあげるから!」


「え?」


「いいからおいで! こっちこっち!」


 と少女を教室から連れ出して、よぞらは購買へと向かった。僕は後を追いかけようか思案したが、呼ばれていないという事は来るなという事だろうと思い、やめることにした。


 脳内に「よぞらの様子が変です! 怒ってます!」とテレパシーが届いた。かわいそうだなぁと僕は思った。

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