第25話


 教室に戻る途中でよぞらと出会った。ひどく焦っているらしく、僕を見つけると怒ったように手招きした。


「ちょっとちょっと! どこ行ってたのよ! もう教室中えらい騒ぎなんだから早く戻って!」


「なんで?」


「あんたが出た後で巫さんが教室を出てったから、みんなで埋められたんじゃないかって噂してたんだよ」


「なんて奴らだ」


「でもあたしは心配してたよ。だって、昨日図書室で会ってるしさ。何か変な事されなかった? 別人になったりしてない?」


 そう言いながら僕の体をペタペタ叩いた。まるで壊れた機械を修理する昭和の母のようである。しかしよぞらが真に心配しているのは記憶喪失の少女の方だろう。


 僕は左腕を隠しながら言った。


「あんまり触るな。あの子なら無事だよ」


「あの子も心配だったけど……あんたはすぐ無茶するから、あたしが監視してないとケガするかもしれないでしょ? あんたは陰キャだし人との距離感も分からない。巫さんを怒らせたらどうなる事か……」


「僕を子供みたいに言うな!」


 長年幼馴染をやっている僕でもよぞらの行動は分からない時がある。


 なぜ彼女は学校で密着できるのだろう? せっかく女友達がたくさんいて男子にも人気があるのに、なぜそっちを大事にしないのだろう。そりゃあ超能力は誰にでも話せる事ではないけれど、陰キャ陰キャといじりながらも僕を気にかける心理が分からない。


 今だってはたから見たら公然と抱擁ほうようを交わす短期恋愛型のイチャイチャカップルにしか見えないではないか。


 こっちから話しかけるとイヤそうな顔をするくせにたまに大胆になるのはなんなんだ。


 しかし僕が文句を言う前によぞらはスッと離れた。「ま、特にケガとかは無いみたいでよかった」


「あの短時間で何をしたらケガすんだよ。僕はただジュースを買いに行っただけだ」


「巫さんはどこにいるの?」


「そこに」


 僕が背後を振り返ると、よぞらの表情がピタッと固まった。その視線は巫に注がれている。


「なにか」


「なんでもない……」


「ふん」


 巫は鼻を鳴らすと廊下の角を曲がった。


 彼女の姿が見えなくなるのを待ってからよぞらは「こわっ」と呟いた。


     ☆ ☆ ☆


 教室に戻るとちょうど号令が聞こえてきた。どうやら授業開始に間に合ったらしい。あのやりとりが五分に収まったわけがないが、どうせ巫が何かしたのであろう。それに驚いているとよぞらに「やっぱり危ない事してた!」と指摘されかねないので平静を装っておくことにした。


 授業はつつがなく進んだ。二限、三限といさかいも無く普段通りに授業が進んだ事は教室中の緊張をほぐした。巫を恐れる雰囲気も次第にやわらいでいき、四限が始まるころにはすっかりいつも通りになっていた。触らぬ神に祟りなしという言葉の通り、巫に触れないかぎりクラスは平和なのだ。孤独になっていく事を巫自身が苦に思っている様子はない。それは僕にとっても嬉しい事態だった。


 このまま誰も巫に触れなければ良いと僕は願っていたのだが、しかし事件は起こった。


 それは四限の世界史の最中さなか。黒板まで答えを書きにいった生徒が席に戻る途中で、ついうっかり巫の机を蹴ってしまったのである。軽く足先が触れた程度の衝撃だったが蹴った生徒は青ざめて「ご、ごめんなさい!」としきりに謝った。


 周囲の者がビックリするぐらい必死の謝罪であった。


 蹴った生徒がおとなしい性格だったのも良くなかっただろう。神の怒りに怯えるがごとく必死に謝り続ける彼女は否が応でもクラスの注目を集めた。そしてついに教師が動こうとしたところで巫はこう言った。


「ノープロブレム。大丈夫ですよ」と。


 クラス中に激震が走った事は言うまでもなかろう。


 あの巫が情けをかけたのである。


 それは絶対王政の王様が平民に情けをかけるがごとく。時代の生き証人となったクラスメイトたちは口々にこう囁いた。「巫って実は良い奴なのでは?」


 僕は肝を握りつぶされたような心地だった。思わず声をかけようかともした。もしもの事があれば僕の身が危ない。


「……まあでも、話しかける勇気はないよなぁ」


「お前いけよ」


「やだよ。だって怖いもん」


 自己紹介の恐ろしさを払拭するほどでは無かったのが幸いだった。


 クラスメイトのヒソヒソ話を聞きながらホッと胸を撫でおろした。


 とにかく巫に人を寄せ付けてはいけない。夏休みまで彼女には独りでいてもらう必要がある。余興という名のデスゲームを攻略することに繋がり、ひいてはよぞらを守る事に繋がる。ゆえに僕は心を鬼にしなければならない。


「美味しそう」と巫は隣の席の弁当をジッと眺め、唇を指で押さえて物欲しそうにしている。昼休みの弁当が楽しみだったらしい。


 早くも心が折れそうだ。


 隣の席のヤツが「一口、いるか?」と捧げものを献上するように恐る恐る訊ねると巫はコクリと頷いた。食欲という悪魔に取りつかれた巫はもはやペットと言うべき愛くるしさだった。もらっただし巻き卵を美味そうに食べほっぺを持ち上げるさまは今朝の様子とは似ても似つかず、愛嬌を通り越して気味の悪さを覚える変わりっぷりである。僕が「やめろやめろやめろ」と念を送るも手遅れだった。


 クラスメイトが口々に言った。


「なんか、良い奴っていうよりは……怖い?」


「いったい何があったんだろう」


「そういえば駒谷と二人きりになった時があったな。あの時なにかあったんじゃないか?」


「たしかに。変わったと言えば今日の駒谷も変だよな。これは怪しい」


 などなど、僕まで疑われる始末。


「もうやめてくれぇ……これじゃあすぐバレてしまう」


 初日からこの様子では、巫の余興を遂行するのはイバラの道であろう。これからどうするべきか。僕が思い悩んでいると、肩を叩く者があった。


「ねえ、そんなに落ち込んでどうしたの?」


 それはよぞらであった。


「あの水色のリストバンドはどうしたの? いまは着けていないようだけれど」

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