第22話


 僕はたいへん焦った。少女に言ったつもりが口から出ていたのである。教室中の視線が僕に集まっている。誰もがポカンとしており、倉科はおろか、普段はやかましい運動部の連中でさえスゴスゴと席に着いた。一部生徒だけは「見直した」というような目をしているが、君らの賞賛なぞ必要としていない。


 教壇に立つ教師でさえ呆気に取られており、「えーっと、じゃあ、ホームルームを始めても、良いかな?」と僕に訊いてくる始末だ。


「いや、僕に訊かれても困るんですけど……」


「だよね、ははは………」


 僕はたいへんな過ちを犯した。この展開は幽霊モノや透明人間モノにありがちな、まとわりつかれた人間が恥をかく展開である。まさか僕が実地に移す事になるとは思わなかったが、これは恥ずかしい。以後気を付けなければいけない。


「お前のせいだぞ」と少女に言うと、


「だってゆうが答えてくれまセンから」と拗ねたような声が返ってきた。


     ☆ ☆ ☆


 ホームルームは教師の「コホンッ」という咳払いで始まった。


「えー、夏休みまであと四日となりましたが、こんなタイミングですが、今日はみなさんにビッグニュースがあります」


「ビッグニュース?」


 木野が反応した。さっきまでさんざん騒いでいたのに平然としている。ケロッとした様子でしゃあしゃあと質問を投げかける彼に僕は殺意の念を抱いた。「ビッグニュースってなんですかー?」


「気になりますか?」


「ちょう気になります。気になりすぎて勉強が手に付きません!」


「そ、それは困りますね……」


「じゃあ教えてくださーい! 勉強はしないけど」


 教室中からクスクスと笑いがこぼれる。木野はとかく人を茶化すのが上手く、相手が焦っている姿を見て得意がるのが常であった。


 谷野たにやという気弱なメガネが僕らの担任であるが、彼などは木野の良い餌食である。


 木野はギアがかかってきたように調子づいた。


「あ、もしかして夏休みが長くなるんですか!?」


「いえ、そういうわけでは……」


「いやーそうですよね! 月火だけ勉強して水曜日から夏休みとかビミョーですもんね! ここは一つパーッと月曜日から夏休みにしてしまおうと。いやー谷野先生も分かってらっしゃる!」


「あ、あの、話を聞いて……」


「おーいみんなー! いまから終業式だぞ!」


「だから違います。転校生が………」


 クラス中に呆れた雰囲気が漂い始めたその時、引き戸がカラリと開いて一人の少女が入ってきた。それはあたかもシベリアの冷気が流れ込んできたかのようにクラス中が静まり返り、木野は凍ったサルのように立ち尽くした。


「やかましいこと。ここは豚小屋ですか?」


「………え」


「学校が変わればマシになるかと思ったが……、フッ、しょせん人間など、どこに行っても変わりはしない」


 それは昨日図書室で会った黒髪の少女であった。同い年とは思えぬ堂々とした居住まい。聞く者に反感を抱かせるような居丈高な言葉遣いも、彼女が纏う威圧感を前にしたら気にもならない。それどころか思わず頭を垂れてしまいそうにすらなる。慈悲と無慈悲が同居したような冷徹な声色を持ち、容姿は神に愛されたように整っている。一度見たら忘れもしない少女が、いま、転校生として僕たちの前に現れたのだ。


 転校生はツカツカと壇上に上がるとジッと教室を見回した。そして、神が御名を告げるがごとくおごそかに言った。


かんなぎ美琴みこと。それが私の名前です」


 谷野は彼女の雰囲気に圧倒されたらしく、数歩下がって俯いた。


「教師」と巫が言った。


「――――――はいっ!」


「席は?」


「……………あ、えと……」


 谷野はさらに下がり、さらに縮こまってしまった。こういう時に場を進行するのが谷野の仕事であろう。教師のくせに生徒に怯えて恥ずかしくないのかと僕は思う。


 教室は沈黙に包まれてしまった。巫は教室を隅々まで見回すと目を閉じた。まるでこれ以上話す事はないとでも言うように口を閉じ、静かに立っている。


 教室の左奥に空席がある。おそらくそこが巫の席なのだろう。巫は案内を待っているらしいが、見つけたのなら自分から行けば良いと思うし、谷野も席を示すくらいサッとこなせよと思う。近くに座る生徒は不安そうに空席をちらちら見やり谷野が案内するのを待っている。


 僕は両者に苛立ちを覚えていた。


「そこだよ。お前の席は」


「……ほう」


 疲労とストレスのせいもあっただろう。僕は右手で指さしながら言った。


「お前は、昨日会いましたね」


「ああそうだね。僕はいま非常に喉が渇いているのだ。話すことが無いならさっさと席についてこの時間を終わりにしてくれないか」


「何をそんなに苛立っているのです。私は、教師が場を進行するのを待っているだけですよ」


「別に苛立ってなんかないさ」


「それにその左腕、手首に何か巻いているようですが怪我でもしたのですか?」


「……………君には関係ないよ」


 僕は左手を隠した。なぜだか少女の事を見透かされたように感じた。「君には関係ない」


「そうですか」


 巫はおもむろに教壇を降りた。どうやら会話に満足したらしい。ゆうゆうと教室を横断して空席に座った。


 そのままホームルームはお開きとなった。

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