第19話
僕はあの少女が苦手だ。鳩のようにぱっちりと開いた目でキョロキョロと辺りを見回し、嗅覚で安全を確認しているようにクンクンと鼻を鳴らす。そういう
いっそコモドオオトカゲを拾ってきた方がまだマシであった。
そうして口を開けば「デンジャー」だの「リクエスト」だのとカタカナ発音。
爬虫類のように無機質で、機械のように冷静で、幼子のように情緒溢れる彼女を、現代っ子的感性が「こいつは危険生物だ」と警鐘を鳴らすのだ。
僕の部屋には屋根裏に繋がるハシゴがある。天井の一部が開閉可能になっており、長めの火かき棒のような特製の棒でパネルを開くことでハシゴが下りてくるのである。よぞらが「この子を屋根裏にかくまう」と言い出したので僕は驚いた。
「あたしの部屋だと、いつ親が来るか分からないんだよね」
「だからって僕の部屋にかくまう必要はないだろう」
「でもほら、昨日の事があるから」
「だったら異世界に連れて行けば良い。異世界にだって空き家はあるだろう」
「でも、あの人はこの子を守ってたんだよ。それって、異世界に放置したら危険だからなんじゃないかな」
そう言ってよぞらは足元を見た。「あなたもこっちに住みたいよねー」
現在僕たちは通学路を北上中だ。この調子で歩けば数分後には駅に着くだろう。
駅は通勤中のサラリーマンや学生でごった返している。学校に着けばもっと多くの人が行き交っている事だろう。そんなところへ、なぜ少女を連れだしているのか僕には理解できなかった。
よぞらはうんうんと頷きながら言った。
「この子もこっちがいいって」
「言ったか? そんなこと。そもそもどれくらい言葉を理解しているかも分からないんだぞ」
僕が少女を見下ろすと、少女も僕を見上げて「ノープロブレム。お二人の言語は理解可能です。ニホンゴ……ですよね」と言って得意そうな顔をした。
「ほら、この子賢いんだよ」
「とはいえなぁ、あの鎧の男が命をかけて守ってたヤツだろ? この世界にもコイツの命を狙ってるヤツがいると考えると、むやみに連れ出すのは危険だと思うんだ」
「それならどこの世界にかくまったって同じじゃない? あたしがそばにいたら、いざという時すぐに逃げられるよ」
一言で論破されるとは思わなかったけど、よぞらの言うことも一理ある。昨日、男が消失した後のこと。僕とよぞらは小部屋をくまなく調べて男の痕跡を探した。そこで分かった事は、男を消し去ったモノは生物ではない、という事だ。
床に青味がかった物質が付着していた。触ってみると、ざらざらとした粘性のある液体であることが分かったが、すぐに蒸発して消えてしまった。これが襲撃者の体液とか表皮ではないことだけは確かだ。そういう事を思い出して、僕は即座に否定した。
「じゃあ僕はいたくない」
「はぁ? そんときゃあんたも一緒に逃げるのよ」
そんなことを話しているうちに駅が見えてきた。よぞらが頑固者であることは再三伝えた通りであるので、ここはいったん折れるしかない。
「高校の中には連れてけないぞ。何か考えがあるんだろうな」
するとよぞらは
「昨日見せてくれたやつをこのお兄ちゃんにも見せてくれるかな?」
「アイアイサー」
いったい何をするつもりなのか。少女は手を放して、呼吸を止めるように頬を膨らませた。少し離れて観察していると次第に少女の肌が泡立ち始めて僕は「おや?」と思った。
結果から言うと少女は別の物体に変身した。
少女が頬を膨らませると、まず、湯気が立ち始めた。あたかも体の内側から沸騰するように激しく湯気が立ち昇り、次いで全身がマグマのように泡立ち始めた。ぼこぼこと繰り返される膨張と収縮は速度を増し、その時点で少女の体は三分の一のサイズにまで小さくなっていた。やがて速度が最高潮に達した瞬間、今度はスーパーボールが跳ね返る様子をスローで撮影した映像のようにブルンと振動して、ピンと背筋を伸ばすと、直立の姿勢のまま
コロンと転がった少女は胎児のように体を丸めて目を閉じていた。膨張と収縮の速度は緩慢になり、変身の最後の調整をしているようにも見える。頭部と膝との境目が曖昧になり、つま先とお尻の隙間を肌が膨張してうめていく。反対に、太ももとお腹の隙間は広がっていった。どうやら少女の体は筒状の物体へと変化しているようである。形が整うと今度は色が変わり始めた。少女の髪色のように鮮やかな水色に、筒状の物体が変色していく。
僕が目を
よぞらはそれを両手ですくい上げると「ね、すごいでしょう?」と言った。
「どうなっているんだ? この子がモンスターだというのは分かっていたけど、変身ができるなんて」
「これで学校には連れていけるね。あんたが着けてよ」
「なんで僕が」
「この子が言うには、体のサイズが変わっただけで質量は変わらないらしいの。大きくなれば軽くなるし、小さくなれば重くなる。だから……」
よぞらは顔をしかめた。「これ、超重い……」
「なおさらイヤなんだが?」
僕はとうぜん断った。しかしよぞらは許してくれなかった。
「はあ? 女の子に重いものつけさせるつもり?」
「言い出しっぺの法則というものがあるぞ」
「いざという時すぐ逃げるにはあたしが身軽な方が好都合だと思うけど? それに、あんたも少しは鍛えなさい。これからも異世界に行くことがあるかもしれないんだから、これ着けて筋肉を鍛えるのよ」
「少年漫画じゃあるまいし………」
僕は呆れる思いだったが、口喧嘩でよぞらに勝てたためしが無い事を思い出してしぶしぶ腕に着けた。
四十キロくらいはあるだろうか。右腕が地球に吸い付けられるかと思うくらい重いリストバンドだった。
「うんうん、似合ってる似合ってる」
「適当な事言うなよな……マジで重いんだから」
「文句言っちゃあダメよ。これでも女の子なんだから。高校に着くまではあたしも持ってあげるから我慢しなさい」
そう言ってよぞらが手をつないできた。しかし、重さは変わらないようである。
「持つというなら力を入れてほしいのだけど?」
「頑張ってるの、これでも」
「…………………」
次からは別のものに変身してもらおう。
僕は何に変身すれば軽く持ち運べるのかを考えながら、学校に向かった。
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