第13話
『彼女』に話しかけられたのは、ちょうど図書室を出ようとした時だった。
昼休みが終わりに近づいた廊下は多数の生徒で慌ただしい。教室に戻る生徒や授業教室への移動をする生徒を見ていると漠然と忙しない気持ちになるものだが、その声を聞いたとき、僕は身も凍るような寒気に足がすくみ、水風呂に叩き落されたかのように思考が止まってしまった。
隣を歩いていたよぞらが立ち止まった僕を見て「どうしたの?」と訊いてくるが、僕にだって分からない。とにかく、慈悲と無慈悲が同居しているようなおぞましいくらい静かな声に僕は心底おびえたのだ。
「やめておきなさい」とその声は言った。
「やめておきなさい。あなた達が何かしたところでアレを葬ることは不可能。アレは
「え……?」
部屋の奥に一人の少女がいた。長い黒髪の少女だった。一目見て美しいと感じるくらい整った目鼻立ち。背はよぞらより少し高いくらいだろうか。居住まいは堂々としており、どこか人ならざる者にも思われるほどに透き通った瞳。二年生のリボンをつけているから同学年だということは分かるが、僕は見覚えが無い。少女は瞳を閉じるとレースのような黒髪を揺らして歩き出した。
「失礼。あなた達も遅刻しますよ?」
僕たちは道を開けて少女を通した。少女はさも当然のように僕たちを押しのけてゆき、振り返る事なく階段を上がっていった。
少女の姿が見えなくなるとよぞらが言った。
「いまの誰だろう? あんな子見たことがないんだけど」
「うん、僕も初めて見た」
「いくら全校生徒が多いって言っても見覚えくらいはあるものよね、ふつう」
「転校生……なんて話もなかったしな」
「それにあの子なんて言った? アレは理外の理とかどうとか言ってなかった?」
よぞらはそう言って顔をしかめたが、僕にはピンとくるものがあった。
あの少女から感じた恐ろしさ。見た目の年齢とはかけ離れた声と話し方。そして堂々とした居住まい。それもすべて異世界の人間だったら説明しやすいのではないか。僕はそう思った。
それをよぞらに問いただすと、彼女はフクロウのごとくそっぽを向いた。
「お前、やっぱり他にも連れてきたヤツが……」
「ひ、人聞きの悪い事言わないでよ! あたしがそんなことをするように見える!?」
良い言い訳を思いついたのだろう。よぞらは振り返って得意げに言った。「それにあたしが連れて帰らなくても、開いたゲートに勝手に触った子がいるかもしれないでしょ!」
「いずれにしてもお前のせいだ!」
「違うもん! あたしのせいじゃない!」
こうした喧嘩は昼休みが終わるまで続いた。五限が体育だったために仲良く遅刻し、その日は一日中クラスメイトたちから好奇の目を向けられることになった。
とはいえ、よぞらの秘密がバレなかったのは幸いだ。
彼女が連れてきたモノは鎧の男以外にもいる。
今回の件が片付いたら、今度はソイツを異世界に返すことになるだろう。
「ね、ねえ、駒谷くん。天ケ瀬と一緒に遅刻してたけど、昼休みに何してたの?」
体育が終わってバレーボールを片付けていると倉科がコソコソと寄ってきた。普段物静かなくせにこういう話題にはすぐに食いつく。おそらくむっつりなのだろう。「もしかして、二人は付き合ってたり……?」と、小声で訊いてきた。
「別に。倉科にはそういうことをする相手がいないのか?」
「気になってる人なら、いるけど……」
「だったらもっと堂々としなくちゃならんぜ。卑屈なのはまだいいが、君は自問自答がすぎる。いつまでも同じことで悩んでたらすぐに愛想をつかされるから気をつけな」
「あ、うん。……って、なんで僕の話になってるんだ?」
「次は科学基礎か。たくさん動いて疲れたから一眠りしようかな」
「ねえ、強引に誤魔化したよね。なんで遅刻したの!? ねえ!」
そうして六限、七限と過ごしているうちにすぐ放課後になった。
昇降口の柱に背を預けてぼんやりとグラウンドの方を眺めていると、背後から肩を叩かれた。
「行こうか」
よぞらは口元をキュッと引き締めていた。
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