第11話
僕たちの通う学校は小高い山の上にある。登山道のように傾斜のきつい舗装路を登るとクリーム色の四角い建物が見えてくる。校章は白いユリ。築四十数年の威厳と風格を兼ね備えた市立晴明高等学校は今日も健在であった。町を見守るようにそびえ立ち、ショートケーキのような可愛らしさに喜ぶ者とていないが、僕一人は気に入っていた。特に坂道から覗く金色の校章と白い外壁のコントラストがレアチーズケーキのようで、これが見えてくると密かに心踊るのだった。
教室は富士山が割れた話で持ち切りだった。僕が席に着くと友人の
「やあ、駒谷くん。君も今朝のニュースを見た?」
どうやらクラスの中で賭けが行われているらしい。あの映像が本物だったら木野がファミレスを奢るらしいのだ。倉科も参加させられたらしく、本物に賭けたのだと言う。
「富士山が割れたってニュースな。あれ、本当なのかなぁ」
「テレビが嘘の映像を流すことはないと思うけど……」
「でも、嘘だったら、相当お金かけてるよね。だってCGであんなにリアルな映像を作ったってことでしょ?」
「たしかに。たった一回のネタのためにお金をかけるとは思えないな。かといって本当と言い切るのも難しいけど。山が真っ二つになる自然災害だってあるかもしれないだろ。断層みたいにさ」
「うう、そういうこと言わないでよ。自信なくなってきたじゃないか……」
そう言って倉科は頭を抱えた。「ああ、お小遣いも少ないのに奢りなんて無理だよ」
彼はクラスでも一目置かれるくらいのいじめられっ子体質であった。まず、自分の意見を通すということをしない。常に誰かの後ろについて歩いているような男で意見を求められても「良いと思う」しか言わない。君に意見はないのかと訊かれると「ごめんなさい」。何がごめんなさいなのかと訊かれても「ごめんなさい」。そういうヤツだから、彼が周囲をイラつかせるのは仕方のない事だった。いじめっ子が彼に目をつけるのではなく、彼がいじめっ子を作ると言っても良いだろう。それくらい彼は卑屈だ。あたかも地面にぽっかり開いた穴のごとく人目を惹きつけて、うっかりつまずこうものなら毒を吐かずにはいられない。彼と接する者はすべからくいじめっ子になってしまうのである。
とはいえ、僕はそんな事を気にしたりしない。もっと面倒くさい幼馴染を抱えているのだから彼のごときいじめっ子製造機にかまっている暇など無いのだ。
僕は頷き半分よぞらを探しながら「まあ気にするなよ」と言った。
「だってさ富士山を横から真っ二つだもん。あれが嘘なわけないじゃないか。見たかい? あのグロテスクな映像。中から溶岩があふれ出て脳みそみたいだったよ」
「脳みそはあふれ出ないと思うけどなぁ。それを言うなら血じゃないの?」
「血とはまた違うなぁ……なんだろう、こう、ゾンビ映画によくあるさ、ゾンビが人の頭を嚙みちぎって脳みそを―――」
と彼が言いかけたところでよぞらが近づいてくるのが見えた。彼女のことが苦手な倉科は「きゃっ」と乙女のような悲鳴をあげて僕の影に隠れた。
「やい陰キャ。ちょっとこい」
「なんだよ。見ての通り僕は忙しいのだ」
「大事な話があるからこい」
「君も賭けたらどうだ? いま世間のマジョリティは君のつまらん呼び出しなんぞではなく富士山の映像が本物かどうかなのだ」
「なにそれ?」
僕が倉科から聞いた話をそのまま伝えると、よぞらは「なんじゃそりゃ」と呆れた顔をした。
「そんなことで盛り上がれるなんてずいぶん幸せなんだね。いいから来てってば」
「はいはい、そこまで熱心に誘われたらしょうがないな」
僕は席を立ちながら倉科に賭けに参加する旨を伝えた。「僕は嘘に賭けるよ。奢りの準備をしておきたまえ」
「ひどいや駒谷くん!」
富士山の件は心当たりがある。それはよぞらも同じだろうと思っていたので彼女の方からコンタクトをとってくれるのはありがたかった。
石造りの塔の世界でよぞらが鎧の男を別の世界へと飛ばしたことを覚えているだろうか。がっちりと敷き詰められた大きな石を杏仁豆腐のように切り裂いたあの男である。彼なら富士山くらいたやすく切り崩せるのではないのかと思うのだ。ニュースでも黒い鎧の男が目撃されたと言っているし、この事態を収拾するには鎧の男を元の世界に返すしかないのではないかと、僕は考える。
僕たちは登校してきた生徒の間を縫うように歩き、二階の手洗い場まで来た。そこも教室へ向かうルートであるから生徒でごった返しているが、木を隠すなら森の中。ニュースの話をするなら群衆の中。もうすぐ朝のホームルームが始まるから遠いところへは行けないし、
というわけで手洗い場までよぞらを連れて行った。「こんなところ、誰かに聞かれたら困るじゃない」。と、よぞらは嫌そうな顔をしたが、僕が上手くごまかすから任せてほしい
「で、君はあのニュースをどう思う?」
「白々しい。あんたも見当がついてるんでしょ?」
「ニュースで言ってた鎧の男だね。でも、あんなやつが本当にいるんだろうか?」
「何言っているの? だってあんた、本当にいるって知ってるじゃ―――」
僕はよぞらの言葉をさえぎった。「いるとしたら異世界モノの見過ぎなんじゃないかな。ねえ、来週はもう夏休みだ。何人かで見に行かないか?」
「………なるほどね」
よぞらはムッとして口をすぼめた。僕が良案を呈すると昔から悔しそうにするのである。
「どうだろう。集まらないなら二人で行ってもいいけど、どうせいやしないんだ。旅行気分でパーッと行こうぜ」
「はいはい。あんたみたいな陰キャは、どうせ誰も誘わないんでしょうけどね」
「いずれにしろ安全確認は必要だ。電車で一時間もかからないし、下見をしに富士山まで行こうと思うんだが、天ケ瀬は帰宅部だったよな?」
「人生をエンジョイしてるの。帰宅部なんて言い方しないでよね」
よぞらは肩をすくめてため息をついた。
「じゃあ、下見に行くということでいいかな?」
「うん、いいよ」
「親に知られるとまずいから、行くときは見つからないようにしような」
「慎重だねぇ。どうせ富士山まで近づけないと思うけどな。……でも」
よぞらは言葉を区切ってクスッと笑った。「こういうのも悪くない」
「何が? ただ二人で下見に行くだけだぜ」
「はいはい。そういうことにしておきますよ」
相談がまとまったところで予鈴が鳴った。そろそろホームルームが始まる時間である。
「そろそろ戻らなきゃね。いつまでもこんなところにいたら変な噂かけられちゃうよ」
「まあ、そうだな。何か言われる前に戻るか」
こうして僕たちは鎧の男と再び相まみえることになったのである。出立は放課後。野次馬のフリをしてこっそりアイツを異世界に追い返し、秘密裡に世界を救うのだ。
去り際によぞらがボソッと呟いた。
「これが最後だな」
その後ろ姿はどこか寂しそうにも見えた。
「これが最後だ」
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