第10話
その氷の下は宇宙よりも暗く、そして冷たい暗闇に閉ざされていた。音のない絶対零度の世界にあるのは絶え間ない痛み。悠久の時の中で終わる事のない痛みに
地上の夢を見ながら、自由になるそのときを待ち続けていた。
人が訪れたことのない洞窟の奥で、人類の繁栄と栄華のその隣で、『それ』は目覚めの時を待っていた。
かつて人に仕えたこともあった。
巨大な都市を作り、ともに戦い、良き友として暮らした時代もあった。
しかしそれも遠い過去の事。
生存さえ厳しい極寒の世界で『それ』は眠り続けていた。
『友達』が迎えにきてくれるそのときを待ちながら。
☆ ☆ ☆
よぞらが異世界に行こうと言い出したのは平日も平日の水曜日の事であった。つまり一日が経過した今日は木曜日。昨日の疲れが残る中あと二日間耐えなければならない。彼女の機嫌は一晩眠れば回復する。それはアサガオのごとく簡単によみがえるので、今日もまた騒がしいだろう。
重い頭を抱えながら僕は体を起こした。
「ああ、寝覚めが悪い……アイツのせいで変な夢をみてしまったじゃないか」
魔王に転生したよぞらが大量のスライムをけしかけてくるという最悪の夢であった。よぞらの高笑いが響く中スライムの群れが僕を押しつぶし、あわや溺れるというところで目を覚ました。濡れたビニールプールのようなスライムの感触が体のいたるところに残っているようだし、背中を触ったときに感じた寝汗がスライムの
週の折り返しなのになんて憂鬱な始まりなのだろう。
それもこれも全部異世界に行ったせいだ。
「僕がもっと気にかけてやれば力を使わないのかな。あの力が現実では厄介なだけというのはよぞらも理解しているだろうし。もし昨日の事がストレス発散とかなら、うん、アイツの話をもっと聞いてやればむやみに異世界に行こうとすることもないだろう。むろん簡単には話さないだろうけど、そこは幼馴染の頑張りどころだな」
昨日の鎧の男の事を思い出して僕はため息をついた。「僕にも超能力があれば異世界に行っても問題ないんだけどさ」
「お兄ちゃ~ん、ご飯できてるよ~」
「はいはい、今行くよ」
僕は答えて、疲れの残る体にむちを打って立ち上がった。
リビングでは両親と妹が朝食を食べていた。妹は今年中学三年生になる思春期真っただ中のお子様であった。もう十五歳になるというのに小姑のように父や僕にダメ出しをして偉そうにしている。これが外に出れば仲の良い兄妹を演じるのだからあきれたものだ。
「お兄ちゃん遅い! もうご飯冷めちゃうよ」
「なんだ、先に食べればよかったのに」
「家族みんなで食べないとダメでしょ」
「はん、お子様め」
そんな会話をしながら席に着きトーストを口に運んだ時、テレビからこんなニュースが流れてきた。
『昨日未明。とつぜん、富士山が二つに割れました。原因は不明ですが、保存会の証言によると、近くに黒い鎧を着た男を見たという情報が入っています。警察は、危険だからしばらくは登山を控えるようにとのコメントを残しており―――』
そんな非日常的な原稿をニュースキャスターが淡々と読み上げ、次のニュースへと移る。
母は父の食事の支度をしながら「あらあら、なんだか物騒ね」と困ったような顔をした。
父は新聞紙から顔もあげずに「よぞらみたいな子が他にもいるんじゃないのか?」とさも当然のように受け入れていた。
妹だけはやたら驚いて「ていうかお兄ちゃんが連れてきたんじゃないの!? 異世界テンセーみたいなさ!」と僕を責め立てた。
諸君、これが異世界に行く力を持った女の子が幼馴染の家庭の会話である。
僕は、自分が超能力者でもないのに肩身が狭い思いだった。
「ねえ、ゆう君。もうよぞらちゃんと関わるのはよしたら?」
母が存外真面目な口調で言った。
「そうだよ。私たちまで巻き込まれたくないよ」と妹。
「そもそも別の世界のものを連れてこれるのか? 私にはそこが疑問なのだが」と父だけは論点がズレている。
とはいえ、家族の中では僕の責任ということで一致しているらしく、三人の目がジッと注がれた。
「え~っと、その~~」
「あ、さては心当たりがあるね、お兄ちゃん?」
「いや、このニュースだけじゃなにも分からないから……」
「でも富士山斬られちゃったよ?」と妹が大真面目に言った。富士山斬られちゃったよってなんだよと思ったが、斬られたのは事実らしいから何も言えないとして、どうして素直に受け入れられるのかが僕には分からなかった。
僕はちらりと時計を見てわざとらしく大きな声をあげた。
「わあ、もうこんな時間だ! ごちそうさま! 先に出るよ!」
「あ、待て! 逃げるなこのヤロー!」
妹が追いかけようと立ち上がったが、テーブルの脚に爪をぶつけたらしく悲鳴を上げた。「痛い!」
「まあまあ、ああいうのは魔力が無いと動けないんだよ。ゲームとか漫画によくある設定だ。安心しなさい」
父がそう言って妹をたしなめた。「鎧の男とやらもじきに動けなくなるだろう」
「それはゲームの話でしょーがーーーー!」
妹がリビングで怒り狂っているそばをそそくさと通り抜けて僕は学校へと向かった。
これが大事になっているのか、なっていないのか。僕の家族は非日常の基準がくるっているから判断に困るけれど、とにかく、よぞらと話し合う必要がある。
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