第8話


 鼻歌を歌いながらよぞらがバスルームから出てきた。さっそくガウンを羽織って上機嫌である。


「や~~気持ち良かった! ここのアメニティ、マジすっごいね! 見てこの髪! 安ものとはキューティクルの輝きが違うよ、ほら!」


 そう言ってCMみたいに髪を払った。金色の髪の毛が秋の稲穂のように膨らみ、甘い匂いを漂わせた。「ふふん、これぞ一万ドルの輝き!」


 よぞらがお風呂に入っている間に廊下から足音が聞こえること計9回。最高級ホテルというだけあって室外からの防音も完璧だから、僕は外からの音を聞くためにドアのそばに待機する必要があった。立ち上がるとひざの関節がパキッと鳴った。


「それはよかったね……こっちはいつ見つかるかとビクビクだったよ」


「見張りどーも。つぎ、あんたの番ね」


「もう帰ろうぜ……ってお前! なんだよその恰好!?」


「んぁ?」


 よぞらに視線を移して、僕は仰天ぎょうてんした。


 彼女はガウンを羽織っていたのだけど、前の紐を締めていないせいでガウンがはだけているではないか。干ばつの村とは違う翡翠色ひすいいろのレースの下着がグミのような柔肌を優しく包み込んでいる。突然目に飛び込んできた肌色に僕は大変びっくりした。


 慌てて顔をそらしたが、よぞらは、


「だってぇ、お風呂上りに汗かきたくないんだもん」と、腰に手を当てて前に回り込んでくる始末。何を考えているのだコイツは!


「それとこれとは話が別だろ!? おま、僕は男だぞ!?」


「でもあんた、あたしで興奮しないんじゃないの?」


「そういう問題じゃない!」


 よぞらは不思議そうに首をかしげるが、彼女は何も分かっていない。


 お風呂上がりの女子がどれだけ煽情的であるか。僭越ながら語らせていただこう。


 普段真ん中で分けている前髪が水に濡れて、頬に垂れることで醸し出されるこの色気。おでこから頬にかけて流れる一束の髪の毛が女性のあどけなさに拍車をかけて、吸い込まれるような魅力を放つのである。瞳はさらにみずみずしさを増すかのように輝き、メイクを落としてすっぴんになったことでよぞらの本来の可愛さがより際立つ。それはあたかも雨上がりの青空のように美しいのである。顔つきに残る子供らしさもお風呂上りだと大人に見えてしまうのだ。しかも、普段と違うシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐって意識させてくる。僕はこれを湯上りマジックと名付けたいと思う。


 はだけたガウンの裾をつまんで首をかしげる彼女は、新婚旅行に来た幼妻おさなづまのような背徳的な色気を放っていた。


 風呂上りというだけで女性はかくも魅力的になるのである。


 よぞらは顔を覗き込みながら言った。


「ねえ、顔赤くない?」


「ううう、うるさい! お風呂入ってくるからわって!」


「きゃっ!」


 僕は素早くバスルームに逃げ込んだ。そこは高級ホテルというだけあって豪華で清潔感のある部屋だった。タイガーアイをフンダンに使用したような透明感のある茶色の壁と床。真珠のように白い洗面台には黒板のように巨大な鏡が取り付けられており、天井からはランタンのようなスポットライトが二つ備え付けられている。バスタブのそばには広い窓があり、百万ドルの夜景を一望できた。シャワーとトイレがそれぞれ壁で仕切られていて、あたかもバスルームの中に小さな個室が備え付けられているようだった。


 よく磨かれた宝石のような床には水滴がついていた。シャワーからバスタブへ、バスタブから洗面台へと一繋ぎに伸びた水滴が、女性が使った後だということを意識させて、僕は不覚にもどぎまぎした。


(あいつ、やっぱメイクする必要ないだろ……。ああ、びっくりした)


 僕は鼓動を落ち着けるために深呼吸をし、服を脱ごうと脱衣所を探したが、しかしどこにも見当たらないではないか。


「あれ、どこで服を脱げばいいんだ?」


「あたしは洗面所の上に置いたよ」


 よぞらがドアから顔をのぞかせて言った。


「うわ、覗くなよ!」


「あたし海外旅行が夢だったから調べたんだ。海外のホテルには脱衣所が無いんだってー」


「わかった。わかったから早くどっかいけ。服が脱げないだろう」


「はいはーい。あたしも服着よーっと」


 るんるんと鼻歌を歌いながら身を翻してよぞらが去っていった。僕の気も知らないでのんきなものである。


 よぞらと僕は幼馴染だ。昔から一緒に育ってきたわけだし、お互いの秘密なんてほとんど知っている。しかし、あんなに無邪気で能天気なやつが超能力を持っていていいのだろうか? といつも思うのである。フィクションの超能力者たちはみな己の能力に責任感を抱いている。能力を行使するときも社会的影響や周囲の安全などにも十分留意してから行うものであるが、よぞらのあの様子はどうだ?


「あたしと異世界に行くか、あたしの初めてをもらうか、いますぐ選べ」などと堂々と言い放ち、身の安全を顧みず異世界を旅する放蕩ほうとうっぷり。自身の能力が危険なものであると理解していない彼女は、超能力者リテラシーに欠けていると言わざるをえないではないか。


「どうにか異世界旅行を諦めさせる方法はないだろうか」


 そうして頭を落ち着けてから服を脱ぎ始めた矢先の事だった。


 予想された困難がいきなり訪れた。


「う、うわわわーーーーっ! やば、やばいよ!」


「ん……?」


「誰かがこの部屋に泊まろうとしてる!」

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