第7話


「これがあたしの見ている世界だよ。あんたにも見せてあげる」


 それは悪夢みたいに奇妙な光景だった。


 半透明な人間がたくさんいた。それは映画のスターだったり、金持ちのお坊ちゃんだったり、葉巻を吸っているおじさんだったり、セレブ姉妹だったり、とにかくたくさんいた。そういう半透明な人間が同時にこの世界に存在している。おじさんが葉巻を吸っているソファは一人掛けなのだけど、セレブが腰を下ろしてワインを飲んでいる。映画スターがベッドで寝ようとしているところを子供が跳ねて遊んでいる。お坊ちゃんの家族とセレブの一人がぶつかってすり抜けていった。そうして、そういうセレブとか映画スターとかとは少しだけ違う同じ人物が重なり合っているのだ。


 何重にも重なった同じ人間が、同じ空間にたくさん存在している。そういう人たちが互いに干渉せず存在しているのである。


 まるで幽霊の世界に迷い込んだような奇妙な光景だった。


「これがさ、あたしの世界なの。これがあたしの普通……彼らはこことは少し違う別の世界の人たち。いわゆる『パラレルワールド』の人たちだよ。学校にいるときなんて酷いものだよ。私の知ってる友達とは少し違う友達がいっぱいいるんだもの。すっごくごちゃごちゃしててさ、正直、眩暈めまいがしちゃう。でもね、あんただけは違うんだ」


 彼女はそう言って僕を見た。


「あ……」と、僕は思わず呟いた。


 見やすい。そう思った。


 自分で自分を見るというのは鏡を見るみたいで変な感じがしたけれど、半透明の人間たちとははっきりと異なる点があった。それは僕だけ重なっている人間がいない、という点。阿呆あほみたいな感想を言わせてもらうと、とても見やすい。


 他の人間は何重にも人が重なって、視力コンマ1の視界みたいにぼやけているのだけれど、僕だけは一人なのだ。視力2くらい鮮明に見えるのである。


「ね、違うでしょ? あんたは、いくつもあるパラレルワールドの中でたった一人なんだよ。この世界にしかいない。あたしにとって特別な存在なの」


 彼女はそう言って手を離した。そのとたん視界が正常に戻って半透明な人間は見えなくなった。


 僕は夢から覚めたような心地でよぞらを振り返った。


「これ、いつも見てるのか?」


「うん。いっつもこんな感じ。だから中学校のときとかは一人でいるか、あんたの部屋で時間を潰してたんだ。だってあんたの部屋はあんた一人しかいないんだから」


「そうか……」


 よぞらが小さく見えた。それは比喩的な表現ではあるけれど、こんなにしんみりしているよぞらは初めて見た。


(いままで邪険にして悪かったかな……。これからは、もう少し優しくしよう。少なくとも僕だけでも理解者がいれば心強いだろうから)


 僕がそう感じるくらいにはよぞらは辛そうに見えた。


「ね、こんなあたしでも幸せになれるかな」


 僕はよぞらと向かい合うように座りなおして、彼女の目を見つめて言った。


「なれるよ。僕にできる事があればなんでも言ってくれ。命はかけられないけど人生くらいは差し出しても良い。いや、一部かな。人生の一部をよぞらに貸してあげる」


「ふふっ……なぁに、それ?」


「いや、別に特別な事をするわけじゃないけどさ……休める場所が必要だろ? 普通になろうとあくせくするとか、普通になれる場所を探すとか、そういうのってどれも疲れる事だから、僕の隣にいるときくらいは何もしなくて良いって意味だよ。僕にとってもよぞらは一人しかいないからさ……普通じゃないのが普通……みたいな? そのままでいいよ。僕の前では」


 心の内を打ち明けるというのはなんとも恥ずかしいものである。けれど、よぞらが秘密を告白してくれたのだから僕も応えるべきだ。だから思いついた事をそのまま話したのだけど、初めての事だから加減が分からなかった。話し過ぎたと気づいたときにはよぞらが顔を真っ赤にして俯いていた。


「あ、ごめん、変な事を言っちゃったかな」


「ううん、そんなことないよ」


 泣いているのだろうか。よぞらはそう言って目を拭うような動作をした。そして顔を上げると見たこともないくらいとびきりの笑顔でこう言った。


「ありがとう……大好き」


「は!? あ……?」


「本当だよ。あんたの事が大好き。あんたがいて本当に良かったって思うよ」


「え、あ……え?」


 驚きで言葉が出なかった。よぞらは突然何を言いだすのだ? 大好きって、それ、僕の言葉を勘違いしているんじゃないだろうか。僕はあくまで良き友人として付き合うという意味で言ったのだけれど、よぞらにとっては結婚とか恋人とか、そういう意味に聞こえたんじゃないだろうか。


「あの、なにか勘違いしてるみたいだけど……僕が人生を貸すって言ったのは幼馴染としてであって、友人として良い関係を築こうって意味で……」


「知ってる」


「……あ?」


「あたしも、あんたが最高の友人だって意味で言ったんだよ?」


「~~~~~~~~~~~ッ!」


「あ。もしかしてあんた、勘違いしたの!?」


 よぞらは口に手を当てて驚いているが、あんなこと言われたら誰だって勘違いするだろう。くそ!


「やだな~~。そういう告白をするんならもっとロマンチックな時にするでしょ普通。こんなところでしないよ! あんたって意外とバカなのねぇ」


「うるさい! 大好きとか言う方が悪いんだ!」


「うふふ、そっかそっかぁ。勘違いしちゃったかぁ。ゆう君、勘違いしちゃうんだねぇ」


「うるせぇばーか!」


 僕は布団をひっかぶってよぞらから逃げた。恥ずかしすぎて死にそうだ。ていうか死ぬ。もし僕がゲートを作る力を持っていたら世界を五つくらい逃げているところだ。


 よぞらはお風呂に入ると言ってクローゼットからタオルを取り出した。


 そして去り際にこんな事を言った。


「ちなみに、高校に入る前に見える世界を選ぶ方法に気づいたから、いまはあんたと同じ視界だけどね」


「……うん?」


「いまみたいなキモイのはまったく見てないって事! じゃ、おフロ行ってきま~~す」


「は? ちょっと、おい! どういうことだよ!」


 僕は布団から顔を出したが、よぞらはすでにシャワールームで服を脱いでいた。


 突入してやろうかとも思ったが、さすがにやめておいた。

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