4月10日(火) 入学式
今日は昨日の始業式に引き続き快晴の空である。
今年度から6年4組になった和田澄春(すばる)は入学式で学校が休みであるにもかかわらずいつも通りに起きていた。
明日が期限の塾の宿題を部屋で解き、ふと窓越しに雲ひとつない青空を見上げた。
澄春は自分の名前にも漢字が入っているのもあって、春という季節が1番好きだ。
東から来る穏やかな日光を体全体で感じ、また問題を解き始める。
いつも通り彼が起床した理由は2つある。
1つは塾の宿題がまだ終わっていないから。
そしてもう1つは__
ここで家のピンポンが鳴る音が聞こえた。
家には澄春1人なため、急いで2階の部屋から飛び出して玄関へ駆けつける。
「ごめん。部屋にいたから遅れた。」
「よお澄春!全然平気、さっそく遊ぼうぜ。」
ドアの向こうには今年度同じクラスになれた、近所に住む島野夢希(いぶき)がいた。
夢希はお邪魔しますと声をかけた後に靴を脱いでリビングに入って来た。
そう、もう1つの理由は友人と遊ぶためである。
両親は1年生になる弟の春紀と一緒に入学式へ参列し、家では澄春1人になるため折角なら澄春の家で遊ぼうと昨日決まったのだった。
「お茶とコーラどっち飲む?」
「あーじゃあコーラで。」
「澄春はすぐゲームできんの?それともまだ勉強するの?」
「……何でさっきまで勉強してたの知ってるの?」
「どうせ勉強か読書の2択だろ。」
「否定できない……さっき一段落ついたから一緒にゲームできるよ。」
「よっしゃ。」
澄春はコップに自分用のお茶と夢希用のコーラをコップに注ぎながら会話を弾ませた。
「そういえば広治は?」
「来る途中見かけなかったな。あいつのことだから寝癖直すのに時間食ってんだろ。」
「ありそう。もしくはお笑い番組見てるとか。」
「あーそれもある。」
「ゲーム何する?」
「パーティ系やろうぜ。パズルゲーは無し。お前ら強いもん。」
「そんなことないよ。」
澄春は飲み物を注ぎ終わった後、テレビの前まで行き、ゲーム機の電源を付けた。
そして、カセットをまとめている箱に手を伸ばす。
「俺ん家パーティ系この2つしかないけど。」
「どっちもおもろそう。」
すると家のピンポンがまた鳴った。
「広治かな。俺行って来るから、夢希が選んどいて。」
「おっけ、任せろ。」
ドアを開けると澄春の予想通り杉崎広治がいた。
「いらっしゃーい。」
「ごめん遅れた。いやー申し訳ない。」
「全然いいよ。まだゲーム始めてないし。」
夢希と同じようにお邪魔しますと言った後、広治は綺麗に靴を揃えてリビングに向かっていった。
「よお、広治。」
「おはよういぶちゃん。さっそくゲームなんだね。宿題はやったの?」
「教科書に名前は書いた。」
「……作文は?」
「まだ。」
「原稿用紙は持ってきた?」
「一応。」
澄春は2人の会話に耳を傾けながら、広治用に飲み物を準備した。
広治は炭酸飲料が苦手なので、澄春は特に聞くことなくお茶を注いだ。
「優等生の澄春さんは宿題、終わりましたか?」
広治が誂った口調でテーブルにコップを置く澄春に質問する。
「……別に俺優等生じゃないけど。宿題は昨日終わらせたよ。」
「さっすが〜」
「そう言う広治もでしょ。」
「いや、僕はまだ作文できてないんだよね。」
広治にすかさず反撃しようとしたが、予想外の回答に澄春は目を見開いた。
そして広治は鞄の中からマス目だけが書かれている原稿用紙を取り出してみせた。
「……ほんとだ。」
「でしょ。『6年生になって』っていうタイトルで書けと言われても、僕には何を書けばいいか分からないよ。」
そういって広治は肩をすくめた。
澄春は意外だと思った。
広治は頭も良く、同級生と比べて大人びている。
だからこそ、学校と塾の両方の宿題を既に終わらせていると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「別に、これからの行事や最高学年になったから、これからの心意気とかでいいと思うけど。」
「うわ、澄春くん真面目〜」
ゲームの準備をしている夢希が声で突っかかってくる。
いや変な事を書いて先生に呼び出される方が面倒だと思うのだけれど。
夢希に反論しようと思ったが、声に出す前に広治がまた話しだす。
「いやだってさ、小学校生活最後なんだよ?それをさ、成績がどーだの勉強があーだので終わらすのはよくないと思う。」
「はあ。」
作文に謎の熱意を込める広治に夢希が呆れた声を出した。
成績優秀でお笑い好きが功を奏しているのか話も面白い人物と言うのが杉崎広治という生徒である。
しかし去年あたりからなぜか「青春」に拘るようになったのだ。
しかも自分が味わいたいだけでなく、人の青春も見送りたいらしい。
「やっぱ、青春だよ、青春。小学生でしか味わえない青い春が必要だよ。」
「言うと思った。」
「そんなに呆れないでよだってさ、澄春、今年のクラスメイトは?幼馴染の中川さんと名倉さんでしょ?これは最早少女マンガ。」
「大袈裟な……幼稚園と小学校が一緒なだけじゃん。」
「そんな謙遜しないでよー。」
広治が如何にも悲しみんでいますという表情を作る。
青春の話している時の彼は眼鏡越しに真剣な目つきをしていて、はっきりと否定しづらい。
まあ、楽しい思い出を作りたいだけと考えると良いのかもしれないと澄春は思った。
「そんなこといいから早くやろーぜ。」
準備が終わり、話の区切りが付くまで待っていた夢希がコントローラを持って此方の方へ体を向ける。
テレビからはカラフルなスタート画面と軽快な音楽が鳴っていた。
「え、これ1試合が長いやつじゃん。」
「だからいいんだよ。」
澄春が宿題ができる時間があるかどうかという問いを意図した言葉に夢希は呑気に返事する。
既に頭の中はゲームに集中しており、どうやって1位になるか戦略を立てている様子だった。
「けど1回決着が着いたら宿題やろうね、いぶちゃん。」
「えー。」
「えーじゃない。先生みたいに厳しく言うつもりは無いけど、来年には中学生になっている訳だし。」
「分かったよ。」
澄春の意図を汲んだ広治が夢希に苦言を呈する。
夢希も宿題をするのは嫌だが、広治の言っていることは正しいと理解しているので、大人しく返事をした。
ゲームが始まり、3人ともテレビ画面に夢中になる。
今やっているパーティゲームでは1ターンごとにミニゲームを行い、順位が高いほどゴールに向かってより多く進むことができる。
夢希は日頃から勉強以上にゲームをやっており、そのせいで寝不足で学校へ登校することも少なくない。
ただでさえ目立つ隈が更に濃くなっていれば、彼の友人は夢希が昨晩何をやっていたか察して呆れる。
一方で、澄春は自宅にゲーム機があるものの、息抜き、もしくは弟に付き合ってプレイする程度である。
また、広治に至っては、自宅にゲーム機が無いときた。
広治としては、ゲームをする時間を読書に費やしたいらしい。
そのため、現在は夢希が大差をつけて1位に躍り出ている。
テレビ画面には次のミニゲームを決めるためにルーレットが回っている。
ルーレットの回転が遅くなると、各々が自分の得意なミニゲーム名を呼ぶ。
ー餅つきぺったんこ!ー
「うわー、やばい!」
広治が大袈裟に叫びだす。プレイヤーはお手本と同じタイミングで餅を捏ねる必要がある。
そして、タイミングがズレてゲーム中の相方であるCPUが持つ杵に当たると暫くプレイ出来なくなる。
また、このタイミングと言うのはミニゲーム中のBGMともリンクしている。
言ってしまえばこれはリズムゲームである。
そして夢希はゲームの中でもリズムゲームが大の得意である。
ただでさえ差がついているのに、ここでもまた大きな差が開いてしまう可能性が高いのだ。
「悪いな澄春、広治。俺は先に行くぜ。」
「絶対に追いついてやる。」
「まだ勝負は決まってないよ、2人とも。」
勝ちを既に手にしたセリフを吐く夢希と敗北を認めつつ強気な広治に冷静にツッコミを入れる澄春。
「今のやりとりちょっと良くなかった?澄春のツッコミでオチがついた感じがしたんだけど。」
「広治うるさい、早くスタート押せよ。」
「いや、僕じゃないよ」
「おい澄春〜」
「あ、ごめん。」
ついにミニゲーム開始となり、カウントダウンの音声が部屋中に響く。
さきほどの賑やかさはどこへやら。みんな静かにお手本のプレイに目線を向けようとしていた。
「そういえばいぶちゃん。」
「なに。」
「昨日の下校はいかがでしたか。」
「……なんのこと。」
お手本のCPUが餅をついて捏ねる。
「いやだって、昨日井上さんと帰っていたでしょう。」
自分たちの番になった。
夢希と広治は軽口を叩きながらも自身のプレイに集中し、コントローラのボタンをタイミング良く押す。
澄春は操作しながら、昨日広治と帰っていたときに見かけた夢希と美心の姿を思い出す。
「は?帰ってないし。嘘つくなよ。」
勿論これは嘘ではないし、ただの夢希の見栄っ張りだ。
2人きりの会話に夢中になって後ろの広治と澄春に気づかなかったのだろう。
「知ってるよ。だって僕たち帰り道一緒じゃん。」
お手本のCPUがまた先にリズムをとって餅を捏ねていく。
夢希は最初おちょくられていると思っていたが、広治の決してそういう意図は無さそうな声のトーンで本当に目撃したのだと察した。
「……だったら何。」
「そんなつれないこと言わないでよー。」
自分たちの餅つきの番がやってきた。
澄春は2人の会話を耳に入れながらなんとなくこの後の展開を察する。
「誰にも言わないからさ、好きになったきっかけとか教えてよ。」
「嫌だよ。」
「お願い!」
澄春は広治の策略に対して静かに呆れていた。
夢希は別に美心のことが好きだと言っていなのに、知っている前提で話すを進めることで「好きじゃない」と否定することを避けたのだ。
そして、それを指摘しない自分も同類なのかと澄春は思った。
けれども、これを指摘して話の流れが変わってしまうのも困る。
なんだかんだ言って、広治程ではないが同級生の恋愛事情というものは気になってしまう。
お手本のプレイが始まる。先ほどより早く、タイミングも難しくなる。
夢希と広治は会話しながらもテレビに目線を向け続ける。
「お願い、教えて!誰にも言わないから!なあ、お願いだよ。僕はただ親友の青春を見届けようと思っているだけだよ。ね!」
「んー……」
夢希も広治はここで嘘をつくような人ではないと知っているし、ずっと静かに聞いてる澄春も他人に言いふらすような奴ではないこと知っている。
「ねえ、良いでしょ?」
「うるせえ!さっきから誂う広治も黙ってやってるの澄春もズルいんだよ!」
夢希はハッとし、急いで意識をゲームに戻す。
自分たちの番になって夢希は今まで集中していなかった分を取り返そうとして奮闘する。
しかし、自分の好きな人がバレたという焦りでとうに2人と点差が大きく開いてしまっていた。
なんとか今すぐにでも追いつこうとするがなかなかタイミングが掴めない。
最終的に夢希の結果は3位に、1位は広治に終わってしまった。
「やったね。」
広治はピースをして2人に顔を向けた。
「会話してる奴に負ける俺って……」
「ずるいぞお前ら!まじで!」
それに対して自分のリズム感の無さに落ち込む澄春と怒る夢希。
「ねえ、勝ったから教えてよ、井上さんを好きになった理由。」
「なんでだよ。意味わかんねぇし。」
「お願い!澄春の好きな人も教えるから!」
「は?」
急に矛先をこちらに向けられた澄春は反射で声が出てしまった。
いやそんなの聞いてないんだけど。
「おっけ、言うわ。」
夢希は即答した。澄春の恋愛事情も分かるのであればトントンであろうと思って答えた。
しかし、何も考えずに条件の良さだけで返答したので、口を開こうとしても恥ずかしさでどもってしまう。
自分の顔が赤くなるのを感じる。
2人に見られたくないから顔を伏せてしまう。
そんな夢希を広治は黙って見つめていた。
「別に……ただ話してて楽しい……から。」
ようやく絞り出せた答えであった。
「そっか、そっか。幼稚園から一緒だもんね。」
夢希の口から聞けてとても満足気な表情を浮かべる広治。
澄春は自分の番が来ることが嫌で嫌で仕方が無かった。
「え、で誰なの?」
顔が赤いままの夢希が広治に問いただす。
「実は……」
そう言って夢希だけに聞こえるように小さな声で広治は耳打ちした。
澄春は自分の鼓動がうるさくて、ゲームのBGMが小さく聞こえた。
誰も次へのボタンを押していないため、後ろでずっと同じBGMが流れていた。
「ふーん、そうなんだ。意外。」
さっきの羞恥はどこへ行ったのやら。夢希はニヤけ顔で澄春を見る。
「……うるさい。」
澄春は恥ずかしさが限界を突破し、思わず顔を覆う。
「ゲームに戻んぞ。」
澄春は落ち着きを少し取り戻し、次へのボタンを押した。
まだ太陽が南へ向かっている午前中の出来事だった。
3人はまたテレビ画面に目を向け、ゲームの世界へ入っていった。
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