第108話 ごめん.2

 そのときだ。


「ちょっと~。何でだよ……」


 わずかだけど、微笑みまじりの鳴海君の声で、はっとした。


「何で、一之瀬が泣くんだよ……」


 え、涙?

 自分の頬に触れた指先がしっとりと濡れていた。それと、——え?

 驚きに目を伏せたその瞬間、ふと視線の先に気づいた。

 隣で、鳴海君も涙を拭っていた。

 静かに、何かを押し殺すように。頬を伝うその雫が、月明かりの中で小さく輝いていた。


「……ごめん」


 と、謝る鳴海君に、反射的に「ごめん」と返してしまい私が笑うと、視線が合って二人で笑った。


「……わたしね」


 勝手に口からこぼれ出した言葉のあとにやってきた沈黙が、尊く感じるのが不思議だった。できることならば……

 ひとつひとつ浜辺で積み上げてきた、大切な砂のお城を崩さないでほしい。


 気まぐれな神さまに、そう願っていた。


「わたしは……ずっと鳴海君のことが好きだった」


 私はずるいのかもしれない。今の鳴海君に、言葉を返させるなんてこくだとわかっていたのに。それなのに鳴海君は誠意を私に向けてくれる。


「ごめん。なんか一之瀬に言わせちゃったみたいになっちゃって」


 その言葉が、めいっぱいの優しさだと思ったら、胸が熱くなってまたこみ上げてくるものがあった。けど、深く息を吸い込んで、それを必死に飲み込んだ。


「ほんとに何もないんだ……。思い出そうとすればするほど、今あるものまで信じられなくなってきて、自分が自分でないような気になっていく」


 耳にふれる声は、遠くの方から響いてくるようだった。


「変だよな、俺。やっぱ普通じゃないよな」


 私は、ただ涙を溜めながら、鳴海君が自分を責めるようにうつむいている姿を見つめることしかできなかった。


「ごめん」


 というその一言に、鳴海君の思いが詰まっているような気がした。


「大丈夫。きっと鳴海君は大丈夫だから」


 不恰好で無理やりつくろった笑顔と、上擦うわずった声では厳しいとは思ったけど、「ね? だって私たち、さっきから謝ってばかりだよ?」少しだけでもいい。鳴海君の不安が——少しだけでも和らいでくれたら、それだけでよかった。


 でも、鳴海君はかすかに首を振るだけで「もうこれ以上、壊れていくのが怖いんだ」と言い、その声によって私の涙はとうとうこらえきれずに、頬を伝ってこぼれ落ちてしまっていた。

 気づけば私の手はそっと伸びていた。隣でかがみ込んでいる鳴海君の頭に触れる。

 ちょっとだけ驚いたように顔を上げた頭を、私は気にせずそっと抱き寄せた。


「ぜったい大丈夫だから」


 震えそうな声を押し殺しながら伝える。


「私は、今の鳴海君も、過去の鳴海君も、どっちも好きだよ……」


 私の気持ちがどこまで届いているのかはわからない。涙を拭う鳴海君の顔も見れなかった。

 でも、せめてこの瞬間だけでも、彼の壊れそうな心を包み込んでいたかった。

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