第94話 カラス⋯
「いらっしゃいませ——」
パン屋の扉を開けると、チリンと軽い音が響き、友希さんがにこやかに迎えてくれた。店内に漂う、焼きたてのパンの香りがふんわりと広がる。
「あれ? 純君、今日は早いんだね?」
「昼ごはん、買いに来ました」
*
授業が終わりクラスメイトと軽く雑談を交わしながら、ふと時計に目をやると、そろそろ帰る時間だと気づいて、そのまま教室を後にした。
短縮授業は、あっという間だった。
そのせいか、今日は鳴海君を見かけなかった。
今日はバイトだろうか。
また帰りに、ばったりと一緒にならないかな? そんな思いにふけながら靴を履き替えていると、
「桃ー、お疲れさまー」
また沙織んとばったり会った。
声をかけられ、軽く手を振りながら、「お疲れさまー」と返すと、沙織んに訊かれる。
「今日、帰り何か用事あるの?」
おそらく、練習をしないか心配しているんだろうと、私は内心で思う。
「一つ用事あるけど、そしたらすぐ帰るよ」
そう言うと、沙織んはじっと見つめてきて、『絶対、練習するなよ』と、目でプレッシャーをかけてきた。
「ほんと、大した用事じゃないから、大丈夫だってっ」
軽笑いで返すと、沙織んは少し安心したように息をつきながら、「頼むぞ、桃まで怪我されたら困っちゃうから」と言う。
「ありがと、今日はしっかり休むから」
両手でグーを作り、私がしっかりと宣言すると、沙織んは、「おう、頼むぞ!」と頷いて、お互いに笑顔を交わした。
校門を出て、沙織んと別れる。その後ろ姿を見送りながら、安堵が胸に広がった。
本人は最初さえ嫌がってはいたけど、沙織んは、厳しさと優しさを絶妙に併せ持つ、頼りになるキャプテンだ。
私の心は清々しい気分だった。
空はどんよりと冴えない灰色で、どこか落ち着かないけれど、今日は平穏な一日だった……の、はずだった。
なのにどうしてだろう、まさかカラスに襲われるなんて。
わずかに「カァ」という声が耳に届いて、何気なく道路の路肩を見ると、黒いカラスが一羽、じっとこちらを見ていた。
車の通りが激しい場所なのに、路肩にいるなんて珍しい。なんだか嫌な予感がした。
次の瞬間だった。バサバサッという羽音と同時に、頭に衝撃が走る。
「えっ?」と思う間もなく、もう一度、ガツンと何かが頭を蹴った。反射的に顔を覆う。今の……カラス? まさか。
驚いて見上げると、電線の上に二羽のカラスが並び、こちらを見下ろしている。
心臓がバクバクして、恐怖と混乱で足がすくんで、——え、何で? と思った。私は何もしていない。カラスに恨まれるようなこと、何一つしていない。
仕方なく、もう嫌ーー、と心の中で叫びながら走り出す。鞄を抱えて全力で逃げた。
安全な場所まで走って、ようやく立ち止まってからも心臓に静まる気配はない。
——巣が近くにあったのかもしれない。
でも、毎日通る道なのに……どうして今日だけこんなことになったのだろう。
辺りを見回しても、いつものように並んだ木と電線、そして憎らしいカラスだけ。視線は冷たく、理由なんて分かるはずもない。
「今日はもう、真っ直ぐ帰ろ……」
小さなため息とともに私は足早に歩き出した。
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