第90話 鳴海君.2

 その思いに応えるべく私は、大丈夫だよ、と言いたくてジャージの袖をぐっと捲り上げた。


「ほら、大丈夫っ。ワイルドでしょ?」


 ドヤ顔を作ったつもりなのに、鳴海君と目が合った途端、ぷっと吹き出してしまう。けれど、その笑いも一瞬のうちに冷たい風にさらわれ、またくしゃみがひとつ出た。

 すると鳴海君は、苦笑いを浮かべてから、ゆっくりとブレザーを脱いで、無言のまま、ふわりと私の肩にかけてくれたのだった。


「ジャージだけじゃ寒いんじゃない?」


 その言葉に反射的に首を振る。


「え、悪いよ。鳴海君が風邪引いちゃう……」


 言いかけると、鳴海君は少し目を細め、口元に微かな笑みを浮かべる。


「大丈夫。俺は風邪引いても平気だから」


 その一言が胸に触れて、キュンと音がしたみたいだった。今だけは……鞄の中に入っている制服の存在を消し去ることとした。


「ありがとう」


 そう言いながらブレザーに袖を通すと大きさに驚いた。それと生地から伝わる鳴海君の体温が、まるで小さな焚き火みたいに心まで温める。

 先を歩いていた鳴海君が、ふと立ち止まって振り返った。そしてどこか言いにくそうに視線を落とし、それからゆっくりと口を開く。


「俺もさ……バスケ、応援してるから」


 心がぎゅっと締めつけられるように嬉しくて、思わず足元を見つめる。言葉にならない思いが、胸の中で溢れそうになる。できることならば、その言葉を袋に詰めて持ち帰りたい。

 そのとき、ポツ、ポツ、と冷たい感触が髪に落ちた。顔を上げると、小雨が空から舞い降りてくる。


「たく、天気予報は晴れだったのにな」


 そう呟きながら、鳴海君はためらいもなくニットカーディガンを脱いで、私の頭にそっとかける。湿った空気を遮る柔らかな布が、雨の冷たさを遠ざけた。


「えっ、ありがと」


 鳴海君に寒い思いをさせてしまったことを、心の中で、ごめんねと謝りつつも、私は空に感謝をするのである。



 次の日、授業と授業の合間に、結衣と廊下で話した。他の生徒とすれ違ったりと賑やかな声が飛び交っている。


「そうなんだ。滝本君のおばあちゃん、退院したんだ」

「そう、元気そうだったよ」

 歩きながら「しかも、占いもしてもらっちゃったし」と、私が付け加えると、結衣は、

「え、何それ? ひょっとして、ウィンターカップのことじゃないでしょうね? やめてよね、私、占いとか信じない派だから」


 と言ってくる。

 そう言いながらも、どこかそわそわした感じが見え隠れしている、と思うのは私だけだろうか。


「よくわからないけど、私に何か、お試し、みたいなことがあるんだって」

「何それ」


 あっさりと受け答えした結衣は、口を尖らせている。


「試合のこと?」

「さあ……」


 本当のところ、よく分からない。まあ……少し何か引っかかるっていえば、頭の片隅に引っかかってはいるのだけれども。


「そんなことより、今日も練習付き合ってよね。確認したいことあるから」


 結衣の瞳には、真剣な色が滲んでいた。その熱に引っ張られるように、私もうなずいた。


(……結衣。絶対、自分の恋愛のことで占いしてもらったな、私に内緒で)


 そう思うと、何だか可愛くて、口元が緩んだ。


「ちょっと、何笑ってんの?」


 頬を膨らませる結衣が、つい笑みを誘のだった。

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