第89話 鳴海君.1
俺は何も言わず、じっと見つめ涙が止まるのを、ただ黙って見つめる。
空気が冷たくて、頬をかすめるたびに、じんわり心に染み込んでくるようだった。自分の中の欠けた何かが、ふいに揺らいだ気がした。
*
改札を出ると、すぐに姿が目に入った。
——鳴海君?
思わず心の中で呟いて、足が止まる。
同じ電車に乗っていたのだと知っただけで、何でか胸の中に嬉しさが広がっていく。
鳴海君はじっとしたまま立っている。
何をしているのだろう?
視線の先を追うと、小さな男の子が転んだまま、膝を擦りながら小さく泣いていた。
助けなきゃ——そう思って足が一歩前に出かけたけれど、男の子は小さな手を地面を押さえて、ゆっくりと立ち上がった。夕暮れの薄い光が、涙の筋を頬に淡く照らしている。
息の詰まる光景だった。
男の子は唇をぎゅっと噛んで涙をこらえている。その表情に私の心は、きゅっと締めつけられた。
そのあと膝を曲げた鳴海君は、ふっと笑って男の子の頭を優しく撫でている。男の子の顔に少しだけ笑みが戻った瞬間だった。その横顔は誇らしげにも見えた。
何だろ? 何か言われている。
身長、大きいね、みたいな感じかな。
そう思ったときだ。
——え⁈ 鳴海君は男の子をひょいっと肩に乗せた。
少しだけ面倒くさそうな顔をしているけど。私の目には、その口元はどこか緩んでいるように映った。
バランスを取るために両手はしっかりと足に添えられて、男の子は嬉しそうに小さな手を広げて、まるで空を飛ぶみたいに揺れている。
どんな景色なんだろう。鳴海君の見ている世界は、一体どんなふうに映っているのだろう。
男の子が、ちょっぴりうらやましかった。
時折ちらりと鳴海君が
そして鳴海君が男の子のお母さんを呼び止めたときだ。
その声は賑やかな駅前の雑踏に紛れて、あっさりと消えてしまう。お母さんは少し離れているだけだけど、全然気づいていない。鳴海君は困ったように眉を下げて、男の子を肩に乗せたままだ。
その様子に……
私の足は反射的に駆け出していた。
「——すみませんっ!」
気づけば、私の声は冷たい風に乗って、その場の空気を破って響いていた。
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