第86話 がんばれ、私

 彼女はさっきまでの様子とは打って変わって、真面目な眼差しで体育館の中を見つめている。


「私、子供の頃からずっと夢中になれることがなくって……」


 噛み締めるように言葉を続けたあと、こちらを見て無理に笑顔を作る。

 その笑顔に、どこか引っかかるものを感じ、何となく、共感できるような気がして、俺の口は自然と動いていた。


「大丈夫、俺も同じだから」


 でも、すぐに思った。

 いや、同じじゃない。目の前の彼女は、きっと毎日、自分ではない誰かを応援しながら、その純心な笑顔で前を向いている姿が容易に想像できた。俺とは違う。


「大丈夫。俺なんか、自分が泳いでることにすら気づいてない。そこが海なのかもわからないし。……ただ、何となく浮いてるだけ」


 思わず出た言葉だったが、彼女は、ぽかんとした表情を向け、目を丸くしたあとに、ふっと肩を揺らして笑った。


「鳴海さんって……おかしな人ですねっ」


 そう言いながら、突然手を前に突き出してグータッチの構えをする。


「ラブパワー、お裾分けしてくださいっ」


 仕方なく拳を合わせたその瞬間だった。不意にもう一つの拳がどこからか滑り込むように加わった。それと、眩しさの中に人懐ひとなつこい声が。


「俺にもお裾分けしてください」



 何だったんだ? あいつは。

 その場を後にして考える。

 ——あいつは、たしか……一年の、背番号十二番。



 チーム内の紅白戦。

 私は控え組のBチーム。レギュラー組のAチームには、結衣と沙織んがいる。Bだけど——今日の私は調子がよかった。

 コーナーから放った3ポイントシュートが、リングに吸い込まれるように決まる。続けてもう一本、さらにもう一本——

 気づけば、六本連続で決めていた。


「痺れるぅ~」

 と、相手チームなのに、沙織んが私の背中を軽く叩いていき、結衣も「ナイス、桃っ!」と笑って近づいてきた。

 すると、

「ほらーっ。紅白戦だからって気を抜かないよー」

 コーチの声が響き、手を叩く音とともに緩んでいた空気が一気に引き締まる。


 皆んなの表情にも緊張感が戻り、再びゲームに集中する。



 練習が終わると、コーチに呼ばれた。


「あ、皆んな、先帰ってて」


 そう言い残して、私はコーチの元へと向かった。

 二人きりになった体育館で、コーチが私を見つめる。


「コンディション良さそうね?」

「はいっ!」


 と、力強く答えると、コーチの視線が真っ直ぐ向けられ、淡々とした言葉が届く。


「明日は、期待してるから。そのつもりで」



 一人で帰る道を歩きながら、足取りは自然と軽くなっていた。うっすらと残る夕焼けが、今日の自分をちょっとだけ誇らしく包み込んでいる気がした。

 ——いける、きっといける。

 スランプにおちいる前の、ベストだった感覚に近い。

 何度も打ち込んだボールが、リングを通る瞬間の高揚感。紅白戦で決めたシュートの感触が、まだ指先に残っている。

 静かな街並みの中で、握りしめるように心の中で呟いた。


 ——がんばれ、私っ。

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