第86話 がんばれ、私
彼女はさっきまでの様子とは打って変わって、真面目な眼差しで体育館の中を見つめている。
「私、子供の頃からずっと夢中になれることがなくって……」
噛み締めるように言葉を続けたあと、こちらを見て無理に笑顔を作る。
その笑顔に、どこか引っかかるものを感じ、何となく、共感できるような気がして、俺の口は自然と動いていた。
「大丈夫、俺も同じだから」
でも、すぐに思った。
いや、同じじゃない。目の前の彼女は、きっと毎日、自分ではない誰かを応援しながら、その純心な笑顔で前を向いている姿が容易に想像できた。俺とは違う。
「大丈夫。俺なんか、自分が泳いでることにすら気づいてない。そこが海なのかもわからないし。……ただ、何となく浮いてるだけ」
思わず出た言葉だったが、彼女は、ぽかんとした表情を向け、目を丸くしたあとに、ふっと肩を揺らして笑った。
「鳴海さんって……おかしな人ですねっ」
そう言いながら、突然手を前に突き出してグータッチの構えをする。
「ラブパワー、お裾分けしてくださいっ」
仕方なく拳を合わせたその瞬間だった。不意にもう一つの拳がどこからか滑り込むように加わった。それと、眩しさの中に
「俺にもお裾分けしてください」
何だったんだ? あいつは。
その場を後にして考える。
——あいつは、たしか……一年の、背番号十二番。
*
チーム内の紅白戦。
私は控え組のBチーム。レギュラー組のAチームには、結衣と沙織んがいる。Bだけど——今日の私は調子がよかった。
コーナーから放った3ポイントシュートが、リングに吸い込まれるように決まる。続けてもう一本、さらにもう一本——
気づけば、六本連続で決めていた。
「痺れるぅ~」
と、相手チームなのに、沙織んが私の背中を軽く叩いていき、結衣も「ナイス、桃っ!」と笑って近づいてきた。
すると、
「ほらーっ。紅白戦だからって気を抜かないよー」
コーチの声が響き、手を叩く音とともに緩んでいた空気が一気に引き締まる。
皆んなの表情にも緊張感が戻り、再びゲームに集中する。
練習が終わると、コーチに呼ばれた。
「あ、皆んな、先帰ってて」
そう言い残して、私はコーチの元へと向かった。
二人きりになった体育館で、コーチが私を見つめる。
「コンディション良さそうね?」
「はいっ!」
と、力強く答えると、コーチの視線が真っ直ぐ向けられ、淡々とした言葉が届く。
「明日は、期待してるから。そのつもりで」
一人で帰る道を歩きながら、足取りは自然と軽くなっていた。うっすらと残る夕焼けが、今日の自分をちょっとだけ誇らしく包み込んでいる気がした。
——いける、きっといける。
スランプに
何度も打ち込んだボールが、リングを通る瞬間の高揚感。紅白戦で決めたシュートの感触が、まだ指先に残っている。
静かな街並みの中で、握りしめるように心の中で呟いた。
——がんばれ、私っ。
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