第84話 涙のわけは⋯
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自分の部屋に戻り、机に崩れ込むようにして力を抜いた。重い体を預けると、冷たい木の感触が額にじんわりと伝わる。
率直に楽しかった。一之瀬との時間は。
でも、まただ。妙なざわつきが胸の奥に居座っている。
鼓動と連動するように、ボールをつく音が耳の奥に響いている気がする。何かが迫り来るみたいに、それはまるで、脅迫されているかのような気さえした。
泣いて……たよな?
壁にかかったお面が目に付いた。
……また俺は、泣かせてしまった?
「いらっしゃいませ」
次の日のバイトで、声をかけた瞬間に見覚えのある顔が目に入った。糸田……だったよな? それと、隣に連れた女子は、たしかマネージャー。二人とも部活帰りか。
おう、と軽く手を挙げて「ここ、このパン屋、美味しいって聞いてさ」と、気軽な調子で話しかけてくるが、糸田と話をしたことがないため「ああ、どうぞ」と言うしかなかった。
パンを選ぶ二人の様子から、どうやらマネージャーの方がこの店に来たかったということがわかった。
棚を見上げながら「あれもいいし、これも美味しそう」と声を弾ませて話しているのが耳に入る。そのキャピキャピとした雰囲気に、糸田は適当に相槌を打ちながらも、どこか面倒くさそうな表情を浮かべていた。
すると、「純くんっ」と友希さんの声がする。
「そろそろ時間だから上がっていいよー。お会計、代わるから。今日もお疲れさまっ」
バイトを終えて店を出ると、ちょうど糸田たちが会計を済ませて外に出るところだった。
袋を抱えたマネージャーは、「あ、来た」と軽く手を振り、「じゃ、健ちゃん、また明日!」と、そんな明るい声を残して、迎えの車に乗り込む。そのまま視界の端で車が動き出し、俺たちの前から消えていく。
——残された二人。
気まずさだけが、辺りを埋め尽くしていた。
「なあ? 一之瀬と付き合ってんのか?」
なぜか、糸田と一緒に駅まで向かうことになった。冷たくなった風が、二人の背中を押したのかもしれない。
「……いや、違うけど」
と、否定すると糸田は「駅、こっちだよな?」と慌てた素振りを見せてから歩き出した。
……いや、駅はそっちに決まってんだろ、と思いながらも、俺もその後ろについていく。沈黙は深まるばかりで、足音だけがやけに響いていた。
無言で少し前を歩く背中を無意識に追っていると、糸田が歩幅を縮めるようにして話しかけてきた。
「ああ、さっきの話……。俺は部活に恋愛は肯定派だから」
こいつは何を言ってんだ?
歩きながら、ふと、妙な感覚に囚われた。
あと、こいつからは何か、昭和の雰囲気が漂う。
「俺は不器用だから無理だけどな」
当たり前のように、運動系の仲間に加えられ、いまいち納得できない自分もいたけど、とりあえず面倒なのもあって話を合わせることにした。
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