第73話 ベルツリー品川アクアマリンパーク.3

 館内の人気ひとけは、ほぼなかったし、それと急転直下で決まった水族館デートの理由も知りたかった。

 問いかけに、鳴海君は少し間を置いてから「ああ、そうだよ」と答えた。


「本当は今日の午後からリニューアル工事で休館だったんだけど、特別に入れてもらえることになった」

 ん? 休館? どうして入れたんだろ?

「何で?」


 と、思わず身を乗り出して尋ねてみるけど、その答えも私には意味不明だった。

 鳴海君は軽く肩をすくめながら「鈴木だよ」と短く答える。


「鈴木さん?」


 ますます疑問は深まるばかりだったけど、鳴海君は、ふっと笑ってから、館内の壁に掲げられたロゴを指さした。


『ベルツリー品川アクアマリンパーク』


 鳴海君は「ほらあれ、ベルツリー」と教えてくれるけど、私には全く意味がわからない。

 そんな首をかしげる私に対しても、鳴海君は嫌な顔一つしないで優しく声をかけてくれる。


「鈴木を英語にしてみると?」

「あ……」


 聞いた瞬間に、すべてが繋がった。「おお。そうなんだ」と驚きの声が漏れた。


「鈴木の父親の会社が、ここの水族館のスポンサーなんだって。それと、鈴木も水族館の館長と仲が良いらしく、特別に二時間だけ開放してもらえたらしい」


 ——社長令嬢とは聞いていたけど、そんなことがあるなんて。

 以前、品川駅にいたのも、それが理由? 全然知らなかった。

 ん? それでもわからない。

 どうして私たちを特別にここへ?

 私は訊いてみたけど、鳴海君もわからないと言う。




「……鳴海君は。ここに来たかったんだよね……」

「……まあ、そうだね」


 鳴海君の呟くような声は、わずかに響く水の流れる音と、どこか遠くから聞こえる癒しのBGMに紛れて耳の奥で余韻を残して消えていく。

 天井は星が輝いているようで、プラネタリウムみたいな空間にある目の前の円柱型の水槽は、不規則に変化するライトによって、柔らかく青から紫、そして赤色へと表情を変える。


 ……『不老不死』の肩書きを持つベニクラゲ。

 理論上では五億年以上生きた個体もあるのだという。


 一センチ足らずの数えきれないほどの小さなクラゲは、宇宙をさまよう——それはまるで、産まれたての赤ちゃんの魂みたいに、ピョコピョコと水中を泳ぎ回っている。透明な傘の中で、脈を打つように浮かぶ赤いグミみたいなものが可愛い。

 ——鳴海君は満足してくれたかな?

 前回を踏まえると、ここでベニクラゲのうんちくを聞けると思っていたけど……

 ぼんやりと映る水槽のガラス越しの表情からは、何を思っているのかは分からなかった。どこか遠い場所を見つめているようにも見える。


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