第72話 ベルツリー品川アクアマリンパーク.2

「サンゴって光の色で変化するって知ってた?」


 ふいに声が飛んできたのは、ブルーライトが揺らめくサンゴの水槽を覗き込んでいたときだ。


「いや、知らない。初めてっ」


 思わず顔を上げて問い返した。初耳だったし、過去鳴海君からもそんな話を聞いた記憶がない。


「そうなんだ」


 と、私が相づちを打つと、鳴海君はサンゴに視線を落としたまま、どこか独り言のように、ふーん、とだけ言った。

 それだけだったけど……

 その横顔が私には嬉しかった。揺れる光と重なって少し神秘的に映った顔が……

 それは何だか、穏やかな表情で、以前ここに来たときの鳴海君だった。

 そのあとも、鳴海君が静かな空間に溶け込むようにつぶやいた言葉に反応してしまう。


「お、グッピー……」


 私は足を止め、水槽越しに鳴海君の横顔をそっと伺った。透明なガラスに映る魚たちの影が、金色の光に溶けてなみ打っている。

 グッピー——

 そう……前に来たとき、私が『一番好き』と話した魚だ。

 その記憶がふいに甦る。小さな魚の鮮やかな色彩に惹かれた私に、鳴海君はあのときどんな表情をしていただろう。


 ……覚えててくれた?


 と、今にも飛び出しそうな言葉をぐっと飲み込む。そんなはずがないことを、頭では分かっている。でも、なぜか胸の奥がじんわりと温かくなっている私がいた。

 鳴海君は相変わらず淡々とした表情のまま、泳ぎ回る魚を目で追っている。記憶の有無なんて、関係ないのかもしれない。ただ、グッピー、と口にしてくれた事実だけで十分だ。


「エビを飼うか、こいつを飼うか悩んでたんだよな~」


 その声は低く落ち着いていて、光の波紋を映す空間にすっと馴染んでいく。何でもないひと言なのに、どうしようもなくグッピーのヒレと共に胸が揺れる。

 私は思わず笑みを漏らしながら、鳴海君の目を通して、この場所の美しさを再発見したように、静かにその光景を見つめてしまう。



 そのあとも夢のような時間は続き、天井から左右へと広がる巨大なトンネルの水槽では、ライトアップによって青色の光を背負った大きなエイと一緒に、二人で写真を撮った。

 途中、大人の雰囲気が漂うカフェバーに立ち寄った際には、静かにきらめく水槽が埋め込まれた小さな丸テーブルに立ったまま向かい合い、鳴海君の高身長あるあるの話に二人の微笑ましい笑い声が、幻想的なブラックライトの光に包まれた。


『牛乳たくさん飲んだの?』


 と、よく言われるのは困るらしい。



 光が揺れる通路を歩きながら、私は訊いた。


「ねえ、鳴海君。これって貸切だよね?」

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