第69話 秋の空は移ろいやすい.3

 キラリ君は小さく頷いて、そう告げるとその場から走り出した。

 胸に残る鈴木さんの言葉が何度も頭の中で、何度も繰り返し思い出される。結局、皆んな鳴海君のことを——

 私だって——。

 握りしめた手が、自分の中にある想いを確かめるかのように、気づけば私も後ろを追い始めていた。



「鈴木さんっ……!」


 空気を切るように声が響く。私の呼びかけに応じるように、鈴木さんが立ち止まる。


「何?」


 静かに、桜の葉が揺れる音だけが続く中で、吐き捨てられた小さな声が、とても冷く感じる。鈴木さんは、振り向くことなく、背中越しに続けた。


「一之瀬さんには関係ないでしょ? 私の気持ちなんて、あなたにわかるわけない……」


 その言葉は鋭く、鈴木さんの中に渦巻く思いが剥き出しに伝わってくる。でも、私は逃げるつもりはなかった。踏み出した一歩が、かすかに地面を鳴らす。


「……私にもわかる」


 自分の声が、思ったより小さく聞こえた。

 鈴木さんの肩がわずかに揺れて、私の視線は足元に落ちる。でも、頑張る——。


「わかる。……だって、私も鈴木さんと同じだからっ」


 これが今の私が伝えられる気持ち。

 ゆっくりと振り返った鈴木さんの、その瞳に宿っていた怒りの色が、いつしか驚きへと変わっていくのがわかった。


「どういうこと?」

「私も同じ……」


 鈴木さんの問いに、胸の奥に押し込めていた感情が、ほんの少しずつもれる。自分では確認できないけれども、薄っすらと涙がにじみ出てしまっているような気もする。


「一緒に過ごした時間が、ちゃんとあったはずなのに。今はもう、その証拠がどこにもないような気がして——置いていかれたみたいな、そんな気持ちになる——」


 精一杯の言葉だった。

 私が記憶喪失のことに触れるのは、何か違うと思う。迷いながらも口にした言葉は、上手く伝わっているのかどうか分からない。でも——ただ、気づけば鈴木さんの揺れる瞳に、私の視線は吸い寄せられている。

 風に頬を撫でられるかのように目を伏せた鈴木さんは、言葉を飲み込むように唇を噛んでいる。


「——だから、一緒に頑張ろっ」


 真っ直ぐ鈴木さんの目を見て伝えた。拳をぎゅっと握りしめながら。


「きっと……鳴海君は、絶対に思い出してくれるからっ!」


 私の言葉を受け止めきれなかったのか、たじろぐように鈴木さんは目を見開いていた。それから、ふと小さく息をついて、わずかに頷いた。


「……わかった」


 その言葉は、どこか不思議な余韻よいんが静かに残る。

 鈴木さんはそのあと何も言わずに歩き出した。表情からは何を考えているのかは、わからなかった。

 すると、キラリ君が遠ざかる背中を追いかけていく。


「鈴木先輩っ!」


 その姿を見送りながら、私は立ち尽くしていた。風に揺れる桜の木の音だけが静かな空気の中で続いている。

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